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リアルよりリアリティ、十五才より十四才。

「ジョナサン」

 イヤホンから急に、甲本ヒロトが俺の名前を呼んだ。
 思わず「え?」と声が出る。

「ジョナサン」

 またヒロトが俺を呼ぶ。しかも、さん付けで。俺は固まったまま、鼓膜だけがゆれる。

ジョナサン 音速の壁に
ジョナサン きりもみする
ホントそうだよな どうでもいいよな
ホントそうだよな どうなってもいいよな

一発目の弾丸は眼球に命中
頭蓋骨を飛びこえて 僕の胸に
二発目は鼓膜を突き破り
やはり僕の胸に

それは僕の心臓ではなく
それは僕の心に刺さった

 歌詞のまんま言葉たちが鼓膜から脊髄飛び越えて胸の真ん中にブッ刺さった。それが十五才の柳田如那少年が聴いたTHE HIGH-LOWSの『十四才』という曲だった。

 十五才になった時、誕生日プレゼントで親父にiPodを買ってもらった。青いiPod nano。中学1年まで全く音楽を聴いていなかった俺だったけど、十四才で『RADWIMPS』に出会い、人生出会い、そこから音楽というものにハマりにドハマりした。兄貴のiPodを借りてはいろんな曲を聴き始め、色んなアーティストの曲が急激に自分の世界に入りこんでくるようになった。そして十五才の誕生日に、自分も欲しいとねだって、iPodを買ってもらったのだ。(ありがたいもんだ)
 すぐさま兄貴のパソコンのiTunesから曲を入れる。その中にはTHE BLUE HEARTSも、THE HIGH-LOWSも入っていた。これで、好きな時に、好きな曲を、好きなだけ聴ける。無敵になった。人生で無敵になる時って何度かある。その何年後かに原付の免許をとった時も無敵になるのだが、その話はまた今度。

 高校から厳しい剣道部に入ることになっていたので、中3の俺は体力をつけるために、近所の山道を夜によくランニングしていた。本当に真っ暗な道もあるから、正直怖い時もあった。しかし、十五才の俺は違う。音楽があれば無敵だ。好きな音楽を聴きながら走る、走る。耳が明るいと、暗い道もなんのそのだ。
 兄貴はかなりの曲数をiTunesに入れていたから、そこから同期した自分のiPodには、まだまだ聴いたことのない曲がたくさん入っていた。あの時代からすでにサブスクを始めていたようなもんだ。
 そして、その日はTHE HIGH-LOWSの、まだ聴いた事のなかったアルバムをかけて走り始めた。街灯も少ない、真っ暗な山道をひたすらに走っている時、何曲目かでその声は耳に流れた。
「ジョナサン」
 真っ暗な中、どこかから名前を呼ばれたと思って立ち止まった。
「ジョナサン」
 ヒロトだ。甲本ヒロトが名前を呼んでいる。歌に耳を傾けながら、また走り始めた。ペースは変わらないのに心拍数が上がる。鼓動の音量もドンドンと上がっていく。

リアルよりリアリティ
リアルよりリアリティ
リアルよりリアリティ
リアルよりリアリティ リアル


 その、意味を噛み砕けないサビの歌詞と音が、背中の肩甲骨と肩甲骨の間をぐんぐんと押してくる。家まで走り切った時、なんて曲だったんだと、すぐに曲名を調べた。

『十四才』

 十四才…。すんごいもんを聴いたという興奮と共に、十五才の俺は、「1年前に聴いてたらなぁ…」という1年遅れの運命に、野暮なクレームをつけなかったと言ったら嘘になる。ただ、そんなことはどうでもいいくらい、感動していた。
 改めて、自分の部屋で横になり、歌詞を見ながら『十四才』を聴いた。そこでヒロトが「如那さん」ではなく、「ジョナサン」と言っていたんだと冷静になる。ただ、歌詞をちゃんと聴いた時に、あながちこれは「如那さん」でも間違いじゃないぞと嬉しくなった。

ジョナサン 音速の壁に
ジョナサン きりもみする
ホントそうだよな どうでもいいよな
ホントそうだよな どうなってもいいよな


 この歌詞を見て、すぐにこれが『かもめのジョナサン』のことだと気付いた。『かもめのジョナサン』とは、リチャード・バックが書いた小説だ。
 後付けかどうかはわからないが、両親の言うことにゃ、俺の如那という名前はこの『かもめのジョナサン』からとったらしいのだ。そう聞かされていたから、その本は既に読んでいた。
 主人公はジョナサン・リヴィングストンという一匹のカモメ。他のカモメは餌をとるためだけに飛ぶ。それに対しジョナサンは「飛ぶ行為」そのものを探求していく。仲間から変わり者扱いされ、群れから追放されても、速く飛ぶことを追求していく。そんなおはなし。

 どういうつもりで親がこの、『かもめのジョナサン』から俺の名前をつけたかはわからない。が、とにかく、誰がなんと言おうと、ヒロトが歌う「ジョナサン」は「如那さん」のことなのだ。そしてそれ以上、それに対して意味を考えるのもやめて、また『十四才』を聴く。そしたらいつでもどんな時でも、ハイロウズは必ず俺を十四才にしてくれる。

 十四才の頃。中学2年から3年にかけての期間。最も思春期の純度が高く、最も善悪の尺度がぐらついていて、最も頭が悪い。身体の成長もバラバラで、俺で言うとやっと下の毛が生え揃ったくらいの、そんな期間。そんな時間。
 当時、美術の授業の夏休みの宿題で、『愛鳥週間』のポスターを描くという課題があった。優秀な作品は『愛鳥週間用ポスター原画コンクール』で表彰される。
 絵を描くのは好きだったので、どんなポスターを描こうかと、8月31日の昼下がりに考えていた。ポスター作成のルールは2つだけだった気がする。『愛鳥週間』という文字と、鳥の絵をいれること。
 そもそも、愛鳥週間てなんだ?十四才の俺はまずそこから考えることにした。(調べろ)
 この1週間は鳥を愛しましょう、鳥を傷つけないようにしましょうね、大事にしましょうねってことか?いや、そんなん1週間どころか一生やれよ。愛鳥週間より愛鳥"習慣"のほうがいいだろ。いやまぁでも、習慣化するのは中々難しいからな、人間というのはサボる生き物だ。まずは短い期間から。愛鳥週間から、そして愛鳥月間、愛鳥年間、それでやっと愛鳥が板についてきたら愛鳥習慣になるのだろう。そうだ、だからまずは愛鳥週間から、そういう意図があるのだろう。なるほど、なるほど。でも待てよ?その1週間は鶏肉を食べれないのか?食べないってことだよな?だって、野鳥だけでなく、鶏だって鴨だって七面鳥だってみんなみんな生きているんだ愛鳥なんだ、だろう?それとも彼ら彼女らだけは、アンパンマンのようにお腹の空いた子どもたちの所へ飛んでいき、自分の体を自ら分けてくれるとでも言うのだろうか?だから鳥にはアンパンマンのように飛べる力がついているのだろうか?だとしたら鶏にももっと飛べる力を。カモメ程の飛翔力を。ニワトリマン、新しい翼よ。ジャムバタチーズだんだんだん。
 本当に鶏肉を食べちゃダメだとしたら、愛鳥週間てのはどの1週間のことだ?愛鳥週間てのはどの期間なんだよ先生、なぁおい。知ったとしても十四才に1週間の献立をコントロールできる力があるわけがない。うちの母ちゃんはこの事を知っているのか?いや、知るわけがない。そもそも、今後鶏肉を食べないなんて、そんなの週間から始めても習慣になるとは到底思えなかった。俺は唐揚げも、焼き鳥もチキンライスも大好きだ。何ニズムの価値観も持ち合わせていない十四才に鶏肉を断つという選択肢は無かった。よし。だとしたらこれまで以上に、命に感謝して、しっかり残さず美味しく頂こう。それが本当の愛鳥週間であり、愛鳥習慣になるべき姿勢だろう。そう心に決めた。
 だとしたら、ポスターのデザインだ。この精神と姿勢をポスターの絵に込めてメッセージとして残したい。そしてこのメッセージを多くの人に届けるには、なんとしてでも、コンクールで入選する必要がある。西陽が差す部屋で、俺は深く息を吸って、筆に力を込めた。

 ほっぺたが落ちるほど美味しそうな、七面鳥の丸焼きの絵が描けた。正直、力作だった。
 水をつけずに白い絵の具を使い、立ちこめる湯気を表現した。あえて七面鳥の背景にはなにも描かず、真っ白なバックに、七面鳥と湯気が立体的に見えるように工夫した。それはもう、本当に匂いが立ち込めてくるほどリアルな絵が描けた。いや、リアルよりリアリティのある絵だ。そして、絵だけではない。ポスターで重要なのは『愛鳥週間』の文字だ。字の綺麗さ、バランスもさることながら、デザインが重要になってくる。俺は愛鳥週間の文字を一番目立つ赤色にし、一文字ずつのバックに緑色のひし形を描き、字が映えるようにした。奇しくもクリスマスカラーになった事で七面鳥を少しでもポップなものに演出できたことも、自分では評価している。
 時計を見ると、もう夏休みは終わろうとしていた。ヘトヘトになりながら寝床に入る。ポスターを提出した時の、美術の先生の顔がまぶたの裏に浮かぶ。こんなにワクワクする8月31日は今まで無かった。

「ダメよ〜、こんなの」
 温和で気弱そうな美術の先生に一括された。
 俺は愕然とした。まさか、入選どころか、コンクールにエントリーさえさせてもらえないとは思わなかった。「ふざけて描いたわけではない」「ふざけて描いた奴のクオリティではないだろう」と、なんとか想いを説明し、説得するが、その熱量に、より先生は引いていた。今思えば、中学の教師として先生の判断は正しい。ただ、「お前は愛鳥じゃない」と言われた俺はその時、群れから追放されても尚、速く飛ぶことを追求した、かもめのジョナサンの気持ちが少しだけわかった気がしたんだ。
 俺の『十四才』は、誰にも見られることなく、自分の胸にだけ深く刺さった。

 丸めたポスターを片手に下校する。親指で強く、輪ゴムを弾いた。

 読んでくれて、ありがとうございます。

 そして愛鳥週間に関わるみなさん、十四才の僕がすみませんでした。ちなみに調べたら、毎年5月10日から16日が愛鳥週間だそうです。もちろん僕は毎日、自然を愛しています。

 そういえば、あの青いiPod nano、たしか高3まで使ってたんですよ。そんで最後どうしたんだっけ。と思い返したら、曲数が多くなり容量が足りなくなって、容量がでかい『iPod classic』に買い替えたんでした。そうそう、そんで、そのiPod nanoは幼馴染に二千円で売ったんですよ。いや二千円なら無料でドンとあげちまえよ、バカ俺。バーロー俺。たしか、高校卒業前か後に、原付き乗って渡し行って、そのままお寺の階段に座って、夜遅くまで喋ったなぁ。
 それは、十八才の思い出。


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