四コマ漫画コンテスト

今もあるのかどうかは知らないが、かつて僕が通っていた小学校では年に一度「四コマ漫画コンテスト」が開催されていた。

その催しは入学した当初からあったわけではなくて、確か僕が小学4年の時...2008年くらいから始まった気がする。確か学年ごとに部門が分かれていて、それぞれ「大賞」「優秀賞」などがあった気がする。確か審査方法は生徒による投票と、教師による選出の2通りがあった。気がする。

今日は「確か」と「気がする」が多くなる。よ。

ちょうど僕は小学3年生の頃から漫画を書くのを趣味にしていたので、「これは僕のためのイベントだ!」と息巻いたのを覚えている。

【当時の連載作】
『えらいニワトリ』(2007〜2008)
・四足歩行のニワトリが主人公。ニワトリが街ゆく人々に対して、その高度な知能に基づいた説法(しかしその内容はどこかズレている)を行うというストーリー。だった気がする。当然面白くはない。四コマ形式が多かった。

ー記憶より

突然の黒歴史開示で面食らった諸兄もいらっしゃるかもしれないが、写真を載せていない分まだご容赦願いたい。

とにかく、当時『えらいニワトリ』を自由帳(笑)に連載中(笑)で少数の読者(笑)からの評判(笑)もそれなりによかった僕は、意気揚々と作家気分で「四コマ漫画コンテスト」用の漫画制作に取り掛かったのである。この頃から作家気分だった。作家風情。

学校から四コマの枠が予め印刷された用紙が配られるのだが、これが曲者だった。「紙に四コマの枠が既にある」というだけで、め〜ちゃくちゃ緊張してしまうのだ。だっていつもフリーハンドで自由帳に線を書いて、そこから漫画を書き始める...というのをルーティンにしていた少年にとって、その黒々とカッチリと均一化された枠はあまりにも「公的な」、いやもっと巨大かもしれない、「体制的な」威圧感を感じさせたのだ。

僕はフォームを崩した。どんなものを書けばいいのか分からなかった。用紙だけのせいではない、初めて公の場に出す自分の漫画、というのも大きな足枷になった。友達じゃない奴も見るのだ。

結局、僕は十八番の『えらいニワトリ』の主人公、ニワトリ(特に名前なかった、確か)を登場させ、適当な話をこしらえて提出した。


提出された四コマ漫画たちは選考期間の間、確か理科室の廊下に張り出されていた。休み時間になると生徒がチラホラと足を止めて作品を見ていた。作品数は結構多かった。これは僕にとっていささかショックな現実だった。だってみんな普段漫画なんか書いてないじゃないか。どっから沸いてきたんだ、キミたちは。これじゃあ、受賞する確率が低くなるじゃないか、と余裕ぶっこいていた僕に不安を覚えさせた。決して漫画を愛する仲間をたくさん発見できた、とは思わなかった。

その不安は的中し、結局僕は何も受賞することが出来なかった。

これは相当に悔しかった記憶がある。


翌2009年も四コマ漫画コンテストは開催された。

去年の雪辱を晴らす時が来た。

【当時の連載作】
『ダンボール球太郎』(2008〜2011)
・『えらいニワトリ』に飽きて、入れ違いに連載がスタート。ダンボールで出来た球体の生命体、「球太郎」が主人公。前作よりもアクション、活劇路線が主体で、パロディは多かったもののスケールは格段にアップした。気がする。後に「ブラック球太郎」なるライバルキャラが登場など、作品世界の拡張にも余念なし。ちなみにブラック球太郎はすぐに球太郎の相棒になった。これは当時好きだったルパン三世の影響だと記憶している。

ー記憶より

『ダンボール球太郎』です。「は?」じゃない、黙って。『ダンボール球太郎』です。

連載年を見ても分かるように、かなり長期に渡って僕はこの漫画を断続的に描き続けていたんですね。中1までか。今でもたまに落書きで球太郎描いちゃうね。

格段に『えらいニワトリ』時代よりも熱量の籠った漫画活動を行っていた僕は、今度こそ自信に満ち溢れていた。必ずや、受賞してやると。

最早あの学校から支給される四コマ専用用紙など、恐るるに足らず。『ダンボール球太郎』はしっかりと定規で枠を書いて連載していたのだ。

コマの中で躍動する球太郎、さぁ、お前の姿を全校生徒に解き放つ時が来たのだ。行ってこい...!



さぁ...!



この年も僕は何も受賞しなかった。

当時の僕は重大な欠点を1つ抱えていて、いや、それは今もかもしれないんだけど、「自分の作るものが面白くない」という気づきを全く持てていなかったんですね、恐らく。

ただ、なぜか不思議と前年より悔しくなかったような気がする。


翌2010年も四コマ漫画コンテストは開催された。

【当時の連載作】
『ダンボール球太郎』(2008〜2011)
・当時2年目に突入していた球太郎。この頃になると「シリーズもの」という意識が芽生え始めたのか「通常回」と「長編回」が存在するようになった。特に「長編回」は「劇場版」と呼称され当時としては気合いの入ったストーリーを展開していた。悪の親玉が実は球太郎の親父で...というスターウォーズの丸パクリをやってのけていた。若さ。Youth.

ー記憶より

2010年。小学6年生。そう、M-1風に言うならラストイヤーである。なんなら本家M-1そのものも一旦ラストイヤーだった年。つまり状況的には笑い飯。2010年の俺は実質笑い飯だったわけよ。

『えらいニワトリ』時代の読者は既にいなくなって久しい。『ダンボール球太郎』連載開始と同時に私生活で急速にオタク化が進んだ僕は、その趣味を漫画に反映させ過ぎて、「これは他人に読ませるものではない」&「漫画は自分で書いて自分で読むもの」という孤独な方向に先鋭化していたのだ。

しかし、3度目の正直。やっぱり四コマ漫画コンテストで賞を獲りたい。

諦めきれなかった12歳の僕は過去2年の反省を活かして、知略を巡らせながら毎度おなじみ学校支給の四コマ用紙と格闘した。どんな内容にすれば受賞できるだろうか。

導き出した結論はこれだった。


"教師に媚びる"


タイムスリップして過去の自分を殴れるとしたら?僕はこの時の自分を殴るだろう。
表現者の風上にも置けない、なんと情けない決意だろうか。それほどまでにして、たかがイチ小学校の漫画コンテンストの賞が大事なんだろうか。

無論これは今だから思う事であって、当時はその小学校こそが世界そのものであったから、自分のことを万年ノミネート止まりの四コマ版村上春樹だと感じていた僕はもうなりふり構っていられなかったのである。えらいニワトリも球太郎も登場させない、というのはそれほどまでに大きい決意だったのだ。

肝心の内容だがハッキリと覚えている。

【2010年コンテスト用四コマ】

1:コシヒカリを模したキャラクターが輝かしく登場

2:美味しい!寒さに強い!などコシヒカリくんの長所を他のお米たちが挙げる

3:でもそんなコシヒカリくんにも弱点が...?

4:コシヒカリくんは「女に弱い」!(女コシヒカリにめちゃくちゃキスをされてメロメロになっているコシヒカリくん)

ー記憶より

つまんな過ぎて、ゲロ吐いた方もいらっしゃるでしょう。ごめんなさいね。堪忍な。

いや、これ、当時ね、社会の授業、あ、社会って科目まだないか、小学校で。まぁいいや、ヤバ、待って、めっちゃ恥ずい、あの、当時ね、お米、ハイ、あの、お米、作っとったんですよ、学年で、お米の勉強みたいな、ほら、しとったんですわ。

それで、ですねん。お米の学習してたから、それ取り入れよう、思いましてん。

ただその時は「イける!」思たんですねぇ〜ついに作家性と評論性を両立出来たと、思たんですねぇ〜〜〜


例の如く、その年も理科室前の廊下に作品が張り出されるわけなんですが...

なにげなく出品作品をフラ〜っと見ている時、僕は衝撃的な作品に出会ってしまったのです。

タイトルは確か『あれ?』だった気がする。
絵のタッチも独特だった。蛭子能収を更に粗くしたような、素朴で登場人物には生気の宿っていない、しかし印象に残る絵だった。

内容はこんな風だったと記憶している。

【『あれ?』の内容】

1:玄関にて。帰宅する息子「ただいま〜」
それを迎える母「おかえり〜」

2:続いて帰宅する父。「ただいま〜」
それを迎える母「おかえり〜」

3:続いて先程帰宅した息子と全くの同一人物が帰ってくる。息子「ただいま〜」母「おかえり〜、あれ?」

4:玄関に1人残される母。「さっきも帰ってこなかったっけ。」「ま、いっか。」

ー記憶より


僕は生まれて初めて、シュールに出会った。

「シュールだ!」という言葉がその時浮かんだわけではない。ただ、今まで感じたことの無い感覚を僕は覚えたのだ。
僕はその時横にいた高垣先生という、小4の時の担任だった女性の先生に感想を求めた。
これめっちゃ面白くないですか?そう問いかけると、高垣先生は「うん...シュールだね、これは。」と、「シュール」という新たな言葉を僕に授けてくれたのである。あ、そうなのか。僕がさっき初めて体験した感覚は「シュール」って言うんだ。

当然、この四コマには作者が存在する。

これを書いたのは「まこっちゃん」と呼ばれる同級生(女子)で、確か小学校6年間で1回か2回同じクラスだった気がするのだが、大して会話した記憶はなく、ましてやこんな漫画を描く感性の持ち主だなんて知る由もなかった。
この言い方はアレかもしれないが、そもそも絵のタッチからして女子じゃなさ過ぎた。当時の女の子が描く絵といえば「りぼん」直系のカワイイ全開、お目目キラキラのアレが主流だったので、今回のまこっちゃんのような、ともすれば不気味なタッチは非常に革命的に思えた。


こりゃ勝てないな、と思った。

媚びた3流素人漫画家は当然受賞などするはずもなく、笑い飯にはなれずに小学校を去ることになってしまった。まこっちゃんが受賞してなかったのは腑に落ちなかった。

どうしてあんな漫画を思いついたのか聞いてみたかったけど、いや、聞いたのか?聞いていたかもしれないけど、どっちにしろ覚えていない。

確かまこっちゃんは中学の途中かなんかで転校しちゃったはずで、最後に会ったのは中2の登校途中だった気がする。

今どこで何をしているのか全く知らないし、そもそも「まこっちゃん」と呼んだことすらないけども、もし会ったらあの時の衝撃を伝えたい。
あれから色んなシュールなものに出会った。でも、あの時のまこっちゃんの四コマを超えるシュールにまだ僕は出会っていないよ、と。

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