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キミは『20世紀ノスタルジア』を観たか?その1

 僕は映画が好きだ。自慢ではないが、普通の人よりは観ている本数も多いと思う。基本的にホラー以外は何でもイケる口。最近見て感銘を受けた映画は『香港製造 メイド・イン・ホンコン』。

コロナ暇で始めたnote、今回は僕の趣味である映画について書きたい。

世の中には、「カルト映画」と呼ばれるジャンルが存在する。一部からは強烈な支持を得ているが、あまり有名ではない映画のことだ。
カルト映画は往々にして好き嫌いがはっきり分かれるような独特の作風であることが多い。というかほぼそう。

今回紹介したいのは、僕が知りうる限り一番「ヤバい」カルト映画である『20世紀ノスタルジア』だ。

1997年製作、あの広末涼子の映画デビュー作である。
「いやいや、広末涼子のデビュー作がカルト映画なわけないだろ!」
そう思った方もいるかもしれない。実際、僕もそう思っていた。

【僕と『20世紀ノスタルジア』の出会い】

 今から4年前、高校三年生の夏。クーラーの効いた部屋で、僕は受験勉強もほったらかしてスマホをいじり倒していた。スマホは21世紀が生み出した癌だ。健全な受験生から根こそぎ勉強意欲を奪い取ってしまうのだから。
「暇だなぁ。映画でも観よう」と受験生としてあり得ない脳の錯覚を起こした僕はGYAO!のアプリを開けた。無論GYAO!も癌である。

期間限定無料配信中でピックアップされている作品の中で、ひときわ僕の目に留まるサムネイルがあった。

今思えば、この一枚の画像を見てしまったことが始まりだった。
まず第一に広末涼子がめちゃくちゃ若い。一世を風靡したのも頷ける可愛さで写っているじゃないか。隣には少年が立っているが、コイツは彼氏なんだろうか。そして何より、この写真全体から漂う「青春」感は一体何なんだ。
僕には、全部が瑞々しく見えたのである。

極めつけはタイトルだ。その名も20世紀ノスタルジア

遠く過ぎ去った90年代、郷愁。

ヤバい、俺が好きな要素しかない!間違いなくアタリだわ!今日の息抜きという名の現実逃避はコレに決めたぜ!!
そうして上機嫌で再生ボタンを押したのである。

【ひと夏のカオス】

 さて、ここで簡単にあらすじを紹介しておきたい。

放送部に所属する女子高生の杏〔演:広末涼子〕は、宇宙人と称する少年、片岡〔演:圓島努〕に出会った。杏も宇宙人のふりを演じて、二人は自主製作映画を撮り始める。だが突然片岡は父のいるオーストラリアへと去ってしまい、杏は一人で残されたテープを編集して映画を完成させようとする。(all cinema ONLINEより引用、一部改変)

映画自体は片岡少年が去ってしまった後の現在(秋)と、二人で映画を撮っていた過去(夏)の二つのパートを織り交ぜる形で構成されている。
まぁ要は高校生の男女が「宇宙人」になりきって映画を撮る、という極シンプルなお話だ。
早速ツッコミたい方もいるかもしれないが、まだ堪えていただきたい。

話を4年前に戻そう。名作を確信し意気揚々と再生ボタンを押した僕だが、開始10分ほどで己の決断が間違いであることに気づいた。

「♪月が鏡であったなら~愛しあなたの面影を~♪」

片岡が去ってから放置していた映画を完成させる決意をした杏(広末)が、いきなり歌い始めたのだ。チープな音色のビミョーな曲に、ビミョーな振り付け、ビミョーな歌声を添えて。

いやもちろん知っている。広末涼子様がかつて天下のアイドルであったことは知っている。『MajiでKoiする5秒前』の当時映像を見た時は衝撃を受けた。いやマジで。俺ら世代のスター、広瀬すずも太刀打ちできねぇよ。今のオッサンはこんな美少女と青春時代を過ごしたのか。うらやましいなオイ。
でも!でも聞いてくれ旦那。この映画の中の広末涼子はとんでもなく・・・見てて小っ恥ずかしいんだ。ミュージカルと言えるほど振り切った演出ではないし、とにかく野暮ったいんだ。彼女自身の魅力ではカバーし切れないほどに。

今この見ているだけでコッチが恥ずかしいシーンの最中に、母親が部屋に入ってきたらどうしよう。「勉強集中できてる~?」とか言って。こんなに恥ずかしいことはない。受験勉強をするどころか、90年代広末涼子が野暮ったく歌い踊る謎の映像を観ている息子。変態レベルがあまりに高すぎるだろう。

背筋にまるでエロ動画でも見ているかのような緊張感が走ったが、未だ開始10分余り。まだまだ映画はこれから。後半大化けするタイプの名作かもしれない。俺の嗅覚は間違っていない。安心しろ俺。広末を目に焼き付けろ。

【映画史に残る電波、片岡という男】

視聴を続行する決意をした瞬間、映画は回想パートに突入した。
季節は夏。半袖の広末。透明感エグ。全盛期広末パネェ。ガチレジェンド。オッサンうらやま。

橋の上でカメラの練習をしていた広末に、ビデオカメラを小脇に抱えた少年が声をかける。少年の名は片岡。どうやら広末と同じ学校の同級生で、ニューヨークから来た転校生らしい。

「実はさぁ、僕宇宙人なんだ。」

挨拶もそこそこに片岡は一発カマす。真意をのみ込めない広末と僕をよそに彼は畳みかける。

「喋っているのは片岡徹という17歳の男の子ですが、片岡徹の身体をボディジャックした宇宙人の私が喋らせているのです。私の名前はチュウセ。フォルクス第7惑星宇宙生命文化研究所の調査員。」

お笑いトリオ、四千頭身後藤のツッコミフレーズに「前半に畳みかけるな」というものがあるが、たぶんこのシーンを見て思いついたんだろう。
片岡は尚もオフェンスを続ける。

「それで、地球人の片岡徹としては宇宙人のチュウセと一緒にSF映画を撮ることにしたんだ。」

なるほど。どうやら片岡少年の意識もあるらしい。本人の意識とチュウセの意識が一つの身体に同居しているのか。なるほどね。よーできてる。

みなさんお気づきだろうか。ここまでで片岡少年は一切宇宙人を「設定」として認めていないということに。「宇宙人っていう設定で映画撮るんだ!」とは一言も発していない。あくまで本当に宇宙人チュウセは彼の中に存在し、時折顔を出すのだ。フォルクス第七惑星云々という詳細なプロフィールからも分かるように、そこらの「不思議ちゃん」とは格が違うのだ。たぶんだけど星新一の小説全制覇してんだろうな。
片岡は尚もオフェンスを続ける。

「それでさぁ、チュウセが今キミの身体を借りたいって。分裂したがっているんだ。」

強烈な提案だ。常人ではドン引きしてしまうような片岡の話をそれまで興味津々に聞いていた広末も、流石に「嫌よぉ。」と拒絶する。そりゃそうだ。俺もヤダもん。宇宙人に身体乗っ取られたくねーもん。

しかし直後に天下の広末様は器の大きさを見せつける。「もう少し説明してくれないと。」と、突っぱねるのではなく一応話に乗っかったのだ。なんという懐の深さ。さしずめ慈愛の女神といったところか。

片岡は宇宙人の身体は「エーテル体」なる目に見えない物質で出来ているので危害に及ばない、という謎弁解をし広末を納得させる。そして二人は互いの両手を合わせてエーテル体の移動を行い・・・あーマジで自分で何書いてるか分かんなくなってきたわ。なんやこれ。なんやこの映画。

とにかく、こうして広末の身体の中に「ポウセ」という新たな宇宙人の意識が宿ったのである。二人は共に宇宙人チュウセとポウセとして映画を撮り始めることになるのだ。

ポウセの誕生を記念してか、なにやら軽快なBGMが流れ出してきた。

チープな音色。嫌な予感がする。

「♪タイムマシンに乗って~ワープしてきた~♪」

まさかの片岡が歌い始める。もう、マジで勘弁してくれ。

お母さーん!絶対にいま部屋に入ってこないで!

【ヒートアップしてきた】

 本当はヤバい点を数個挙げて軽く紹介するつもりだった『20世紀ノスタルジア』、思いのほか熱が入ってしまった。ここまでこの駄文を読んでくださった方には本当に申し訳ないのですが、今回は前後編にしたいと思います。よくわからないけど、今僕の中には謎の情熱がある。『20世紀ノスタルジア』という最強のカルト映画をもっと多くの人に知ってもらいたいのだ。そして、高3の時の僕と同じ羞恥心を味わってほしい。


                             つづく

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