紙面の平野は続く

小さい頃から本が好きで、叶わないような事ばかりを考えている。
保育園の頃はでかい図鑑や、アフリカのドキュメンタリー絵本を読みながら、保育園の先生と好きな女の子の2人と結婚したかった。
小学生の時にはデルトラクエストを読んだり、アガサ=クリスティーを読んでいたし、ロールスロイスに乗りたかった。
中学生の時はヤンキーをして教室に通えなくなっていたので、図書室に登校して安納努版の封神演義や羊たちの沈黙を読みながら、津波が来ない場所に死ぬほどでかい豪邸を建てたいと思っていた。

高校に入って、授業で夏目漱石の「こころ」を読んだ。その日からずっとずっとこころのことを考えていた。どのくらい考えていたかというと、アメリカに留学しながらこころのことを考えていた。将来は夏目漱石になりたくなってきた。

ちょうどその頃の僕はなんだか日常に対して無気力になってしまっていたし、部活にも対して行っていなかったので文章を書く時間だけはあった。
今も筋肉短歌会で活動を一緒にしているinuneとお互いに読ませ合うようにして、はてなブログを更新していった。
しかし書けども書けども漱石にはなれなかった。
追いつけすらしなかった。叶わないようなことだとこの時に改めて感じた。
毎日、毎日書くこと自体はとても楽しかったし、日々を過ごすうちにこころの奥底に溜まってしまうグレーチングの油のようなドロドロを掃除するような感覚で書いていた。

夏目漱石になりたいというのは、こころのような素晴らしい本を書きたいというのと、印税で暮らしたいという気持ちが入り混じったものだった。
僕は本が書けない側の人間だったので、残念ながらこの夢すら絶たれてしまった。

本を書けない人間には文学界に居場所などなかった。
ギリギリ、「インターネット最奥誰も読んでいないブログ界隈」ぐらいにしか居場所がなかった。

Twitterをやりすぎて、Twitterみたいな文章しか書けなくなってからというもの、ブログを書くことすらやめてしまっったし、気がつけば労働人生が始まってしまった。

それでも心の奥底にはグレーチングに引っかかったまんまの夏目漱石がいた。彼の存在がデカすぎて下水に流れなかったのだろう。

労働をしながら、短歌の掲載企画に誘われて短歌を作ってみたりもした。が、やはり書くとか文章を作るということに向いていなかった。書けない人間に居場所がなかった。

それから2年ぐらいしたら、人生で短歌を一回しか作ったことがないのに、Twitterで短歌を募集してスペースで紹介する企画を、何故か始めてしまった。運よく様々な人が集まってくれた。初めてものすごく素晴らしい短歌と出会った。ものすごく素晴らしい短歌を作ったその人と友達になることができて、頑張りたい時とかに言葉を交わすようになった。
そこから2年くらいしたら歌人の木下龍也が、その企画で出版してくれた本を買ってくれた。
別に他者からの評価が全てではないし、文学や芸術は存在したり感情を対外的に発信する行為として全て素晴らしい。でもやっぱり、他人に評価してもらうとスッゲー嬉しい。他人に知ってもらえるだけでもスッゲー嬉しい。

この辺でようやく、文章を書けなかったり短歌を作るのが他人より苦手でも、文学と関わっていく術もあるんだなと思えた。
誰かが創作をし続ける場所や、書くという行為を始めたい人にとっての場所を構築することも文学に関わる方法だった。

今後どうなるかわからないし、自分が予想してたよりもでかい提案が降ってくるようになった。自分の居場所はどこまでも続く紙面の平野の中で、四畳半くらいあればよくて、もう少しだけ創作をしたい人のために、平野の中に壁を作ったりビルを作ったりしてみたい。

というわけで、おばけからRIUMもらいました。
人間文化課程と言います。人文くんって呼ばれてます。筋肉短歌会やってます。好きなラッパーは仙人掌、Fla$hBacks、NASです。


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