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子育てだ!みんな逃げろ!

この春に次女が園に入って以降、家族全員で倒れていた。

生後しばらくは赤子を守ってくれる免疫バリアがちょうど切れてきたタイミングで、感染病の培養室みたいな閉鎖空間に放り込まれると、そりゃあ病気をもらってくる。

次女が真っ黄色の鼻汁を垂らしながら夜通しむせび泣き、それに続いて妻が高熱でぶっ倒れる。せっせとリンゴをすりおろしながら一人家事を回していると、次は自分が床に伏し。それが治った頃には長女がえげつない咳を周囲に振りまいている。

そういうのが3周ぐらい回って、ついには健康で精神快調で作業ができる日が1日ぐらいしか取れなかった。そんな2ヶ月間。

これは子育てあるあるっちゃあるあるで、今の園でも0歳児クラスなんかは他の子達も休みまくっていて、その日に半数でも揃っていればいい方なぐらいだ。なんだけど、長女のときは過酷な待機児童問題のさなかに滑り込んだ保育ママっていう一般居宅で3人ぐらいだけ保育してもらえるところに1年ほど行っており、感染リスク的には今思えばすごくソフトランディングができていた。

そんなこんなで、この5-6月は、月単位で見ればあるいは自分史上1番つらい期間だったかもしれない。まさに地獄のような2ヶ月間。妻も「子育て舐めてた」といって泣いた。

それが最近ようやっと落ち着いてきて、生きる気力が僅かに湧いてきた。夏に流行る子供の感染症もたくさんあるので、どうせ小休止といったところだろうけど、それでも、まさに渦中にいるときには「人生には苦しみしかない!」としか思えなかったのが、心身の回復とともに希望が復活してくるから単純なもんである。


冷静になって、この状況は一体全体なんなんだ?なんでこんな共倒れ必至みたいな構造になってる!?と考えてみると、やっぱりまぁこれは感染病の培養室であって、それが何らかの役割を担っているってことではあるんだろう。

幼稚園/保育園という制度は生活上の必要に応じてできた文明後期の産物なので、より根本的な課題は家庭内での感染症ループである。「なぜこんな地獄があるのに家族が肩を寄せ合ってひとつ屋根の下に住んでいるのか」である。

家族が閉鎖空間に共住していると感染症ループが少なからず発生するが、そうやって肉親の保護下で感染症に罹患しやすい状況を作っておくと、人生の初期で看病が担保されている環境下で、一通りの病気に罹患しておくことができる。免疫系にはじめに覚えさせておき、より重篤で手薄な環境下で有効な防御機構が働くようにできる。

もちろん本当にヤバイ病気はワクチンの予防接種で防ぐけれど、そうでもないやつは社会的に多少のコスト(親がメンタルやられる等)を払ってでも初期に一巡しておくことが重要なんだろう。

うん、きっとそうだ。そうじゃなければ、やってられない。この状況に、意味がないはずがない。そうでないと、一家離散もありうる。だって無理だもん。無理。さすがに自分が高熱出てる中でワンオペ2子保育してたときは、視界がはしの方から徐々にぼやけてくような、思い余って現実世界からログオフしそうな勢いあったもん。

どうせ何年かしたら、この苦しみはケロッと忘れて楽しかった思い出だけを選択的に思い出すようになるのだし、ちゃんと残る形で書きつけておかないと。


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