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根源を問う~哲学のススメ

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哲学書のレビュー集です。自身、専門家ではないので、比較的読みやすい本の紹介や、読みにくいものであっても非専門家の言葉で噛み砕いていきます
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#哲学

見えないものは無限に類似する~ヒュームの方法と普遍性の虚構

ヒューム『人間本性論』において、通常見過ごされがちだが体系全体にとって重要な示唆を含みうる箇所を取り上げる。西洋近世における経験論哲学が頂点を極めた本書(第1巻)のうち、第4部第3節「古代の哲学について」でのアリストテレス-スコラ的な実体概念への批判の箇所である。 この箇所は直接には、中世のアリストテレス-スコラ学的な実体と実体的形相の対概念を、虚偽の観念であると糾弾するものである。実体すなわち根源的な質料と、それを種的な本質を持つ特殊な在り方に規定する実体的形相という有名

死ぬという驚き~池田晶子『41歳からの哲学』

哲学エッセイスト池田晶子の週刊新潮での連載エッセイを一冊にまとめたもの。おそらくは著者41歳の1年間分なんだろう。それ以上には、書名にあまり意味はない。 時事ニュースをとっかかりに人生と日常のあれこれを幅広く扱っており、1話毎に数ページ完結ぐらいのボリュームながら、それぞれのテーマに鋭く切り込んでいく迫力が感じられる。そして、それら多方面への思索の核である「死」への眼差しが、一冊の全体を緩やかに取りまとめている。 日々の生活上の通念をぐらぐらと揺り動かした時にこつ然と現れ

同一律に抗う

同一律。 古くはアリストテレスによって普遍的に妥当する論理的な思考原則として定式化されたもので、 〈A = A〉 と表現される。AはAと異なるものではない。 これはより厳密には、矛盾律と排中律として示された2原則から導出される。 前段の(無)矛盾律は「Aは非Aと両立しない」といい、後段の排中律は「Aと非Aには中間が無い」という。すると、「Aは非Aではなく、中間のものでもないゆえにAと等しい」という3つ目の原則が出てくる。 矛盾律の引用箇所の言葉づかいを見るとわかる

フッサール『論理学研究』1巻の重要箇所をざっくり読解する(後編)

3ヶ月前に中編を書いてから完全に忘れていたすこし筆を置いていた『論理学研究』1巻のライブ読解。もはや内容というより、生々しいあがきと悪戦苦闘の痕跡ぐらいしか表現出来ていないシリーズではあるけど、とにもかくにもついに完結! まずは当該箇所の全部の再掲。たどたどしくも、これまで⑦まで読み進めていたのだ。 さっそく行ってみよう。 はい来ました。本当に意味がわからないやつが来ました。いきなりつまづきました。 「〜類比は次いで類比的な言い方となり、」 なんぞそれ??? 今回

フッサール『論理学研究』1巻の重要箇所をざっくり読解する(中編)

前回の続き。 ⑥まで読んだので、⑦へ。 長い一文だが、ダッシュ「ーー」で前半と後半に分けられる。前半が「明証的に判断されたもの」について、後半が前半の「現在する」という語の補足説明をしていそう。 まず前半。「明証的に判断されたもの」は、「ただ単に判断されている…のではな」い。「されたもの」という所から、明証的な判断のはたらきと、明証的と判断された判断の内容を分けて考える必要がありそうだ。2+2=4は自明であるという確信/心証と、そう判断された2+2=4の区別。 ここで

フッサール『論理学研究』1巻の重要箇所をざっくり読解する(前編)

『論理学研究』1巻の最重要箇所だと考える部分を読解してみる。特にノート取ったりせずササッと素読したのもあり、読みの精度は低いので悪しからず。 さて、フッサールは本書で、真理の概念をめぐって心理学主義の立場を徹底的に排撃しようとしている。 大まかに言えば心理学主義とは、「知識」「真理」などを含むわれわれの認識の対象となる事柄の一切を「心理的な現象」に属するものと捉え、人間の心の機能として説明しようとする立場である。 その立場によると、例えば「2×2=4」という数学の命題に

歯車ぐるぐる、はたらき生きる霊性~シモーヌ・ヴェイユ『工場日記』

はたらく、とはなんだろう。日銭を稼ぐ手段?自分の夢の叶えるための階段?それとも、他者とのつながりを感じるための行為だろうか。仕事がほとんど人生そのものと一体化している人だっている。 そういうことを、工場労働者としてはたらきながら突き詰めた哲学者がいた。大戦の時代を生きたフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユである。 シモーヌ・ヴェイユと工場労働~「狂気の沙汰」の哲学者 パリの高等師範学校を卒業したのち哲学教師をしていた彼女は、突如休暇を取って知り合いの機械工場に飛び込んだ。

潜るように考える~『水中の哲学者たち』

本書は、気鋭の書き手として最近注目を集めている著者の、複数のメディア連載を編纂した哲学エッセイ集である。 柔らかくたゆたう水のような、どこか掴みどころがなく浮遊感のある不思議な文体。読み手も一緒になってその流れに気持ちよく身を任せていると、時たま渦に巻き込まれるような緊迫感がぎゅぎゅぎゅっと迫ってきてシリアスに転じたりする。レトリックの巧みさ、文章構成と伏線回収のうまさなどが際立つが、それらだけに還元しにくい独特のリズムと雰囲気が、一見すると日常のなんてことはない場面をふつ

迫真の入門書~古田徹也『はじめてのウィトゲンシュタイン』

孤高の天才として知られる哲学者の人生と難解な思想を一望のもとにはるばる見渡し、高くそびえる「入門」の壁をひょいと超えさせてくれるいい本が出た。 最近立て続けにウィトゲンシュタイン関連書を出版している気鋭の哲学研究者・書き手による、300pを超える迫真の入門書である。 構成や文体は平明で簡潔、どこまでも柔らかい語り口で前期思想からの重要タームと論理の説明をひとつひとつ丁寧に積み上げていく。それでいて、ウィトゲンシュタインが影響を受けた周辺思想家の系譜もしっかりと辿りながら、

ビジョンは「都市」の形をしている~『太陽の都』カンパネッラ

中世イタリアに、トマソ・カンパネッラという思想家がいた。 若くして政治運動で逮捕されたのち実に30年を獄中で過ごし、度重なる拷問に耐え、正気を失ったふりをして処刑を免れさえしながら、なお塀の中で内省と思索を重ね、多くの重要な著作を執筆した。 世渡りの危うさだけではない。中世末期の自然主義的な感覚論・認識論(テレジオ哲学など)を発展させる一方で、宗教的関心に誘われて魔術思想にどっぷり浸り、それらをないまぜにしたまま危ういバランスを取り続けた思想家でもあった。 ときはルネサ

生きることの哲学~飲茶『「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学』

「さようなら、さようなら」と私は繰り返しました。 ジナイーダは急に身をふりほどいて行ってしまいました。私も外に出ました。そのときの気持ちを言葉で言い表すことは、とてもできそうにありません。願わくは、そんな感情は二度と経験したくありませんが、でも、もし一生に一度も経験できないとしたら、それはそれで自分のことを不幸だと思うにちがいありません。 ―トゥルゲーネフ『初恋』(光文社古典新訳文庫) 本noteで何度も取り上げてきた飲茶氏。まったくの初学者に向けた面白い哲学入門書を書かせ

科学と神の出会う場所~ライプニッツ『モナドロジー』

この短い一篇のうちに、美しく壮大なスケールの宇宙観が稠密に織り込まれ、無限小から無限大へと余すところ無く展開されている。 哲学者であり、それ以上に偉大な科学者・数学者であったライプニッツの主著である『モナドロジー』は、世界の実在性とその認識原理を説く、近代哲学の重要書である。本書は学術論文として出版されたものではなく、文通相手に自身の思想を明確に噛み砕き、体系的に表現するために編まれたものであり、岩波版でも100p強と小ぶりである。本書には、ゆえに『モナドロジー』以外に数編

絢爛で魔術的な文化論の”超”作~高山宏『近代文化史入門―超英文学講義』

ついに出た。2020年私的ベスト本の急先鋒。 博覧強記の文学者にして「学魔」と呼ばれる著者高山宏については、名前ぐらいは聞いたことあれど本書を開くまで寡聞にしてその業績をほとんど知らなかった。「こんなすごい人がいた!」と騒いでも、何をいまさらと鼻で笑う向きもあろう。 サブタイトルにある「英文学」が確かに著者の専門ではあるらしいのだけど、堅苦しく味気ない文学史の類では、本書は一切ない。”超”英文学との謂いは、スーパーな英文学ということではなくて、英文学を”超えている”=超領

読書メモ:『その悩み、哲学者がすでに答えを出しています』

うーん、まぁこういう本もありかな、と思ってしまうのは、「哲学はなんの役に立つか?」という使い古された問いに対して、世間一般の人々への満額回答が今もって与えられていないからだろう。 本書は、人生において直面するさまざまな問題や悩みについて、過去の偉大な哲学者たちが考えてきた思索のエッセンスを抽出しながら、解決のサポートをすることを目論んだ本である。「人前で緊張してしまう」人にはブッダの瞑想を、「毎日が楽しくない」人へは道元の身心脱落を、ポンポンと手渡していく。本書で登場する哲