見出し画像

行くことを許される場所

昨年末、突然時間ができた。
家族が皆でかけて、夜の9時まで帰らないという。

そうか。
夜まで誰もいないのか。
カーテンでも洗うか。と思ったが、それももったいないかもしれないと、勢いで外出したものの、どこへ行けばよいのかわからず、とりあえず銀行で、急ぎではない所用を済ます。

そうか。
夜まで誰も。

それはつまり、昼ごはんの支度をしなくてよいということであり、鍵を持たない家族のために夕方までに急いで帰ることをしなくてもよいということであり、夜までわたしの時間を過ごすことを許されたということだ。

わたしの時間。
わたしが好きなことをする。好きなところに行くことができる。
それは何で、そこはどこだ。

どちらに歩をすすめるべきか、ぼんやり銀行の前に立っていたら、家族のお稽古ごとの先生と偶然会った。
先生、わたし、自由なんです。どこにでも行けて、何をしてもよいんです。でもそれがわからないんです。先生なら、何をなさいますでしょう。

先生は、歳の瀬の忙しい最中、ご自身の教え子でもないわたしのために、しばらく思案して、
遠くにいらしてはいかがでしょうと、提案した。

遠くに行くというのは、どうかしら。
遠くにですか。
はい、遠くに。

ほら、2時間ぐらい電車に乗って。特急券のいらない、でもはやあしで駆けていく電車を使って、ちょっと遠くの駅まで行ってみてはどうかしら。あのあたりなら、雪が降っていると思いますよ。雪見にいらしたらどう。

でも先生。そんな遠いところまで行って、帰って来れなくなったらどうしましょう。雪で電車が止まってしまったら。明日の朝まで帰れないなんてことになったら。家族に迷惑がかかるでしょうし。

大丈夫よ。何かあったら、わたしがあなたのご家族に連絡いたしますから。なんとでもなるの。なんとでもなりますから。ね、行ってらっしゃい。

それで、本当に電車に乗った。
特急券のいらない、はやあしで駆けていく電車は、本当にはやくて、一時間後には知らない駅についた。
知らない風景があって、でもそこで暮らすひとたちが降りたり乗ったりしていた。

本当は、さして遠い場所ではなかった。
よく使う駅の、切符売り場にかかげてある路線図で、駅の名前は見知っていた。
でも遠かった。知らない場所だと思った。わたしが行くことを、許される場所ではないとずっと思っていた。

こんな遠くまで、来ることができた。
ひとりで。

雪は、降っていた。
それを見た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?