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なじむことにはエネルギーが要る

ホームシックにはならないと思っていた。
ひとりが好きだし、ずっとひとりが好きだったし、実家は好きじゃないし、地元への愛も別にないし、地元で祭りがあるからと言われたって、へえ、ぐらいでだから帰りたいとも思わないし、ひとりぐらしの心配というのは基本的に、お金のやりくりできるかな、だけだった。

でもなった。いや、ホームシックとは違うかもしれない。帰りたいとか、地元の友達に会いたいとか、実家が恋しいとかじゃなくて、わたし、ここになじめんと思った。なじめる気がしない。

息ができん。苦しい。今までどうやって喋って、何を面白いと思って、何が好きで何が嫌いで、何を食べて生きてたのか、何一つ思い出せん。友達とどんなふうに喋って、どんなことをして笑っていたのかわからん。

でも言葉は通じるので、何か喋った。お腹は空くので、何か食べた。みんなが笑っているところで笑ったりしてみた。楽しいのかどうかわからなかったけど、とにかく日々をやり過ごした。やり過ごしたとしか言えないぐらいのレベルで生きた。やり過ごしたというレベルなので、きらきらはない。きらきらはないけれども、ぜいぜいした。その日一日使えるすべてのエネルギーで、ぜいぜいしながらその日一日を生きた。病気のときと同じような。重篤なけがをしているときと同じような。箸をあげるだけなのに、集中力が必要なような。なじまないところで生きるというのは、そういうことだと思う。

なじめる場所を探していたら、赤と黄色の鮮やかな看板のマクドナルドがあって、地元にもあるマクドナルドがここにもあって、同じ味の同じものを食べることができて、ここ、なじんだところだ、ここならわたし、知っているとマクドナルドを心のよりどころにして暮らした。

ちょっとずつ町を知りはじめた。

スーパーまで、歩いて三十分。バスはほとんど来ない。賞味期限ぎりぎりの乾物もおいてある。野菜の鮮度はちょっと悪め。

駅前はちょっとした繁華街。ギャル仕様の服がたくさん売っている。駅裏には古着屋があって、昭和レトロなかわいい服はあったけれども、これならおばあちゃんちにあるかもしれない、だからやめておく。

クリーニング屋にコートを出したら、服の内側の洗濯表示があるぴらぴらしたところに、マジックで直接名前を書かれた。ホッチキスで数字の書いたタグをとめるんじゃないのかと衝撃をうけた。友達同士の集まりで、コートを脱ぐのが恥ずかしかった。

初めてのバイトは駅ビルの中のラーメン屋。なぜこの店を選んだのか、いまだによくわからない。実家の裏に設置してあった、ガーデン用品と使わなくなったゴルフバッグが置いてあった、一畳ほどの外付け物置きが「更衣室」として用意されていて、これは「室」なのかと訝しんだ。鍵はなかったけれども、電気はついた。手作りの電気スイッチが設えてあった。使用するときは、外の扉に「使用中」のマグネットを貼った。

友達に紹介された日本料理屋のバイトは、客の食べ残しをもらった。メロンはおいしそうだったが、割り切るまで少し時間がかかった。あなごの天ぷらをもらえたのは嬉しかった。なじみそうになった頃、マスターと呼ばれる大御所が若い若い外国の女の子と再婚し、ふたりで店のスタッフに戻るから、君たち今日でもういいよ、ともうひとりのバイトの子とふたり、突然理不尽な解雇宣言をされた。理不尽であると知らなかった。そういうものだと思っていた。

パン屋のバイトは、楽しかった。焼きたてのパンはやわらかくてふくふくして、かまから出たばかりのフランスパンは音が出るのだと知った。かっこいい女の先輩がいて、仕事終わりにドトールに誘ってくれた。わたし、バーテンダーになりたいの、と先輩が煙草を吸いながら言った。煙草は好きじゃなかったけど、先輩が吸うとすこしかなしい感じがして、先輩に似合うなと思った。バーテンダーになっていて欲しい。

最後までなじんだとは思えない町だった。
引っ越すときは、せいせいしたので、結局好きになれなかったのだと思う。
でもときどき、テレビや新聞でその地名をみかけると、その写真のところが全然行ったことないところであったとしても、あ、知ってるとすこし得意になる。

なじまなくていい。生きていればいい。
最初の一年はそれを目的にすればいい。
なじんだものにすがりながら、ときどき外に出てみるといい。
歩いたことのない場所を歩いてみたらいい。がっかりしたりびっくりしたりしたらいい。
一年では変わらないかもしれない。
でも四年ぐらい経ったら、ずいぶん遠くまできたことを知る。

そうしたら、そんなところに来れたただそのことを、どうぞ誇りに思ってほしい。わたし、結構すごいじゃん、ちゃんとできたかどうかは別として、頑張ってきたじゃん、とちゃんと思ってほしい。

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