「大切な人」を「大切」にするには、「一緒に考えること」が大切だと思う。
今回は、ちょっとボク個人の「恋愛感」についてお話したいなと思います。
独断と偏見に満ち溢れていると思うので、「ふーん」くらいで聞いていただけるととてもハッピーです。
「大切な人のために」は失敗する
2年ほど前まで、ボクには8年弱くらいお付き合いをしていた方がいたのですが、恥ずかしながら、「行動」としてあまり大切にできていなかったなぁと猛省しています。
・自分の考えを強要する
・相手が期待した行動を取れないと怒る
・一緒にいる時間もひたすら仕事のことばかり考えている
など、反省点を挙げるとキリがないのですが、当時のボクの行動は「地球の反対側まで穴を掘って、ものすごい圧力で土をかけて、圧縮して埋めて欲しいレベル」の恥ずかしさでした。
(いま現在、そういった行動が完全に改善されたかというと、まだまだ改善の余地はあると思ってはいるものの、当時と比べるとだいぶマシになったように思います...。)
こんな話をすると、「そういう行動をとっていたってことは、彼女のことを大切に思っていなかったの?」となるのですが、まったくそんなことはありません。
「大切に思っていた」というのは、いまでも自信を持って言えますし、むしろ「大切さ」はかなり強めだったのでは、と思えるほどです。
では、大切に思っていたにもかかわらず、なぜ「猛省」が必要になる行動をとってしまったのか?
単純に「思いやりが足りていなかった」とかもあるのですが、「大切な人のために」という意識で動きすぎたのが大きな原因だったのかなと思っています。
価値観の押し付け
「大切な人のために」という意識は、こちら側の「主観」が強くなります。
「大切な人の今後を考えると、〇〇であるべきだから、そのために▲▲という行動を続けてもらわなくちゃいけない。じゃないと相手が不幸せになってしまう。」
というように、「決めつけ」で動いてしまって、結果、相手の意向を無視してしまいやすくなるのですね。
「勉強している方があなたの将来にとっていいんだから、勉強しなさい!」と子どもを叱る親御さんのようなイメージでしょうか。
たしかに、勉強することは、子どもの将来のためになるかもしれないのですけれど、それは「親の価値観」であって、子どもはそうは思っていないかもしれません。
もっとほかにやりたい道があって、「勉強」よりも大切にしたいことを持っている可能性があります。
それを考慮しないまま、「勉強しないとダメでしょ!」というのは、ちょっとうまくいかない気がしていて、そんな状態で勉強してもたぶん続かないでしょう。
それにそんな親の言うことは、「勉強以外の分野」においても、ボクだったらあまり聞きたくありません。
どうせまた「自分の価値観」を押し付けてくるんでしょ?、と思ってしまいますからね。
とはいえですね、このとき親は子どものことを大切に思っていないかというと、きっとそんなことはなくて、むしろとても大切に思っているはずなんです。
かりに大切に思っていないのなら、子どもの将来なんて知ったこっちゃないので、
「勉強? 別にいらないんじゃない? やりたきゃやればいいし、したくないならしなくてもいいんじゃないの?」
ぐらいを伝えて終了ですから。
大切に思っていて、勉強した方が子どもの将来のためになる、と心から思っているからこそ「勉強しろ!」というわけですね。
でも、すでにお伝えした通り、この「勉強しろ!」は「自分の価値観の押し付け」になるので、相手の行動が継続しないし、お互いの信頼関係も希薄になりやすいんです。
一緒に考えること
「ではどうすればいいのか?」なんですけれど、シンプルに「一緒に考えること」がいまのところ1番いい気がしています。
「勉強しろ」っていうなら、なぜ勉強した方がいいのか、まったく勉強しなかったらどうなるのか、を子どもと一緒に考えるのがいいと思います。
一緒に考えて「勉強した方がいいな」と子どもが思ってくれたなら、きっと強制しなくても自ら進んで勉強してくれるでしょうし、逆に「勉強よりももっと大事なことがある」っていうのがこちらでわかれば、勉強を押し付けなくてもいいかもしれません。
たとえば「サッカーで日本代表になりたい!」と強く思っている子どもに「勉強」を押し付ける意味はないですからね。
きっと勉強を頑張るよりは、走り込みをしたり、リフティングを頑張ったりする方が、子どもの進みたい道に繋がるはずです。
注意! ゼロベースで考えること!
「一緒に考える」ときに注意しておいた方がいいことがひとつありまして、なるべく「ゼロベース」で考えた方がうまくいくと思います。
いいかえると、「自分の思う答えにたどり着くように誘導しない」ってことです。
答えを誘導しようとすると、相手には絶対に伝わります。相手に伝わると、信用を失うので、「一緒に考える」という姿勢が失われてしまうのですね。
まっさらな状態で「ゼロ」から考えて、それでも「勉強した方がいい」となるのか、それとも別の答えにたどり着くのかはわかりませんが、これが「一緒に考える」ということだと思っておくといいです。
自分の思う答えに誘導するのは、「一緒に考える」ではなく、「価値観の押し付け」と同じになるので、要注意。
恋人なら「しあわせ」の価値観を共有した方がいいかも
これまで「子ども」を例に話を進めてきましたが、そもそも今回は「恋愛感」がテーマなので、「恋人」を想定して少し話をします。
冒頭で以前お付き合いしていた方に対する「愚行」を共有させていただきましたが、その経験から「恋人」と「一緒に考える」ときは、相手が何に「しあわせ」を感じるのか、を話し合っておくのがいい気がしました。
人生はいつ終わるかわからず、変な話、明日「病気」や「交通事故」で死ぬ可能性だってあります。
それなら、生きている間に、どれだけ「しあわせと思える時間を増やせるか」が重要だ、とボクは思っています。
恋人でいうと、「美味しいもの食べたり、欲しいものを一緒に集めることにしあわせ」を感じる人もいれば、「それほどお金がなくても一緒にいればしあわせ」っていうひともいるでしょう。
「ガッツリ仕事をして稼ぐんだ!」っていう価値観は、「前者の恋人」には当てはまるかもしれませんが、「後者の恋人」にはあてはまらないかもしれません。
むしろ、肝心の「一緒にいる時間」がドカンと減ってしまい、恋人を不幸せにしてしまう可能性だってあります。
こういった理由から、相手がなににしあわせを感じるのか話し合っておくのがいいと思うのですが、もちろん、この辺は「バランス」が重要です。
「一緒にいることにしあわせを感じる」といえど、「一緒にいるのがしあわせなら、ボクはなにも働くことなくずっと家で一緒にいるよ」っていうのもなにか違う気がしますよね。笑
相手の価値観を知り、その価値観を尊重した上で、生きていく上でのなにに重きをおくのか、どんなふうに一緒に生きていきたいと思っているのか。
このあたりを定期的に話し合いできるといいかもしれないですね。
まとめ
「大切な人」を、本当に「大切」に思っているのなら、相手の「価値観」を知って、その価値観を「尊重」しつつ、「一緒に考える」といいかもしれません。
その方が「しあわせタイム」の「総量」が増える気がするので。
この記事があなたの参考になれば、ミラクルハッピーです^^
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