母が漢字を書いたり、はしゃいだり。

父の命日に書いたnoteで、母が漢字を読み書きできなくなった旨をしょんぼり綴ったけれど、急展開。
病院スタッフさんと我が家で1冊の日記をつけているのだが、そこに見慣れた母の文字が!
俳句程度の文字数が、七、八行。漢字とひらがなを使って文章が構成されている。「これお母さんが書いたの? 読んで」と催促すれば、前回は「読めへん。目も見えへんし。いや」と拒んだはずが、今回はスラスラと読みあげてくれた。
驚くと同時に涙が出た。リハビリって、すごい!!
そこへ仲良しのスタッフさんがやってきて、かなり症状が良くなったこと、中秋の名月には同室の皆さんとお月見をしたこと、そろそろ地元の祭りが始まるとそわそわしていることなど、時間感覚もうっすら戻っている様子です、と丁寧に説明してくれて、ますます感動。
そこまで話して、ふと気がついた。
この日、兄とふたりで母の面会に訪れた際、すでに待合室には母がいて、スタッフさんと一緒にタオルを畳んでいた。そして私たちを見つけるやいなや「あれー! 来てくれたん?」と満面の笑み(認識力抜群!)で迎えてくれたのだ。
すぐに立ちあがり(足腰も元気!)、早足で私の元へ来て(反射神経抜群!)、きゅっと私の手を握り(娘が来たとわかってくれた!)、窓辺へ引っぱってくれて(一番いいテーブル席へ案内してくれた!)イスとイスをくっつけて、私の隣にピタッと。
「私のこと、わかる?」と訊くまでもなく話が弾み、あっという間に面会時間超過。途中、母に地元の秋祭りの動画を見せたら、「泣けてくるー」と目を潤ませていたのが、嬉しいような寂しいような。
「それ置いてって」
「スマホやでアカン。写真をアルバムにして持ってきたるわ」
「うん、ほなそうして」
普通に会話が成立する。私のほうが泣けてくる。
帰りは、母と手を繋いでエレベーターの近くまで。
私と兄の姿が見えなくなるまで母は、ぶんぶん両腕を振ってくれていた。


リハビリ棟に置いてもらえるのは、長くて半年。
病室からリハビリ棟へ移って、1月頭で半年になる。
「じゃあ年明けに施設(高齢者向けサービス住宅)へ転居予定でいいの?」と兄に訊けば、いいや、と首を横に振る。
「いまのリハビリ棟が楽しすぎて、できればギリギリまで置いてやりたいけど、年内なら施設でクリスマス会があるやろ? イベントを体験させたるほうが、ばあさんも場所に慣れるし、友達もできるやろし、楽しいん違うかな」
……この兄は、ときどきハッとするような視点でモノを見る。
普通の人がしていないような経験を重ねているだけあるなと思う。……私が未熟なだけか?
もちろん文句ナシ、大賛成。「ほなまた12月に帰省するわ」と約束を交わす。

そんなわけで我が家の介護は、次のステップへ。
年内に母を新天地へ転居させるべく、いろいろと準備しなければ。
冷蔵庫とテレビは実家に余分があるから、それ以外のリストを作って、手分けして用意すればいい。
帰省前は「母が喜ぶ場所がみつかりますように」と神棚に手を合わせ、願いが叶った。今度は「母が気に入ってくれますように」とお願いしよう。
叶うかな。叶うといいな。

帰省直前の見学で超気に入った「母の新天地」は、とにかくスタッフさんが明るい、元気、挨拶が多い、すれ違うたび冗談を言いあうほど仲がいい。
そして入居者さんたちが笑顔、賑やか、食堂でおしゃべりも弾んでいる。
部屋の窓枠が低すぎず、高すぎず。そして窓から花壇が見える。廊下が広い。
個室のドアがスライド式、デイサービスが豊富、参加の方々が楽しそう。

見学からの帰り、「めっちゃ気に入った!」と何度も繰り返す私に兄が苦笑。「お前もあそこへ入るやわ」と。
「ほなお兄ちゃんもな。家族みんなで同じとこ入ろ」と返せる幸せ。
いい場所だった。あそこへ入れたら安心。母への説明は兄に任せた。

そのまま駅へ送ってもらい、「ほなまたねー」と兄に手を振り、今回の帰省終了。
成果があって、よかった。
天国の父も喜んでくれている。と、思う!




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