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《司会、入ります!》 第1話

●あらすじ● 
個性派女性司会者たちの、ウェディング業界ストーリー!
*******
宴会場のサービス係をクビになった三十歳・松乃美咲。婚礼司会者・在原泉と出会ったことから、かつて目指していたプロ司会業に、再び挑戦することに。
だが行く先は波瀾万丈。「MCスピカ」の敏腕マネージャー・七実チカと在原の元で猛レッスンの日々。元カレとの思い出が蘇るたび、自信が音を立てて崩れてゆく。そんな美咲を奮い立たせるのは、在原とチカの熱い友情だ。
初めてブライダルフェアに参加するも、ライバル会社に陥れられる美咲。 立ちはだかる大きな壁を、美咲は乗り越えられるのか? 憧れの婚礼司会のステージに立てるのか? ……までを掲載。


司会、入ります! 《第一話》

 理想の声が、女性の姿で立っている。……じゃなくて。
 新宿の某ホテルの、ウェディングパーティーの真っ最中。
 ホールスタッフのアルバイト・松乃美咲《まつのみさき》は、さっきからドキドキと胸を高鳴らせていた。新郎新婦より緊張しているのは、初めて派遣されたホテルだから……じゃ、なくて。
「松乃さん。アミューズのお皿、早く下げて。次のお料理が待ってるわよ」
「あ、はい!」
 ホールチーフに注意され、美咲はユニフォームであるロングスカートの裾をひるがえし、担当テーブルへ足を急がせた。
 でも、その間も美咲の意識は、女性司会者の声に吸い寄せられてしまうのだ。
『……ご祝辞、ありがとうございました。続いては乾杯のセレモニーです。新郎タカシさんの、テニスサークル同期の皆様に、お祝い酒のボトルをオープンしていただきます』
 ゆったりとして、深みがあって、鼻骨にうまく響かせる発声が心地いい。
 みごとな滑舌は音の輪郭が明瞭で聞きとりやすく、抑揚はクラシック音楽のよう。気づけば聞き入り、手が止まっている。
 ゴホン! と背後からホールチーフに咳払いされ、美咲は追われるようにして自分の担当する円卓の皿を下げた。
 私だって──と、切ない嫉妬がちらつくたび、弱々しく首を横に振る。
 いまはバイトに集中! と自分を励まし、美咲はゲストの食事が済んだ皿をキッチンへ運び、次の料理をテーブルへと運んだ。
 大きな皿の真ん中に、エレガントに盛りつけられているのは、春らしく桜の花が飾られた、サーモンのタルタルキャビア添え。
 美味しいものや綺麗なものには目がない美咲だから、視覚と嗅覚を奪われてもおかしくないのに、今日は五感が聴覚一点に集中している。そのせいか、ご馳走を前にしても胸がときめかない。それほど司会者の声に引き寄せられる。
 見れば、モデルのように長身だ。ノーカラージャケットとレースのタイトスカートのバランスが絶妙。薄暗い照明の下でもわかる表情は、ウェディングパーティー開始からずっと笑顔で、すべてに余裕が感じられる。
 襟足でひとつに結わえられた髪は、ひと筋の乱れもなくて、きりりと清潔。マイクに添える手の角度や、指の形にも品がある。
 私だって──。再びこみあげる感情に、慌てて美咲は目を瞬《しばたた》き、ともすれば涙で霞みそうになる視界に目をこらした。
『テニスのスマッシュさながらに、コルクの栓を勢いよく飛ばしていただきましょう。皆様、ご準備はよろしいですか? では、ボトルオープン……どうぞ!』
 テニスサークルにうまく絡めた司会者のコメントを合図に、シャンパンの栓が飛び、宙に大きな孤を描く。
 円卓に座っているゲストたちが歓声をあげ、拍手する。その間に美咲たちは、フルートグラスに「お祝い酒」を注いで回るのだ。
『ただいま皆様のお手元にご用意しておりますお祝い酒は、パチパチと弾ける音から、天使の拍手に例えられ……』
 華やかで伸びやか。余韻は甘くて、ほんのりまろやか。一時間でも二時間でも聞いていたくなる声だ。
「……あの!」
 傾けていたボトルを突然押し戻され、はい? と美咲は意識を戻し、あっ! と叫んだ。
 なんと目の前のフルートグラスから、シャンパンが噴きこぼれている!
「申し訳ございません!」
 とっさに謝るが、泡立つ炭酸の勢いは止まらず、シーズンカラーの桜色のテーブルクロスに染みこんでゆく。眺めているゲストは困惑顔だ。
 おろおろしていたら、ホールチーフがやってきた。目尻が完全に吊りあがっている。
「松乃さん。グラスを下げて、クロスを拭いて!」
 早く! と小声で急かされ、美咲は慌ててグラスを取り替えた。ナプキンでテーブルの水分を吸いとりながら、小声でゲストに謝罪する。
「大変失礼いたしました。お召し物に影響ございませんか?」
「あ……はい、大丈夫です」
「のちほどお気づきの点がございましたら、どうぞ遠慮なく仰ってください」
 ゲストたちの視線が集中する。司会者も、こちらを見ている。せっかくの乾杯のタイミングを乱してしまった。どうしよう……!
 美咲はゲストに頭を下げながら桜色のクロスを重ねて敷き、カトラリーを整えた。その間に司会者は、乾杯の発声者を紹介し、前へ出るよう促している。
 名を呼ばれた新婦の勤務先の上司が、お祝いのスピーチを手短に済ませた。司会者が来賓に起立を促す。
『それでは皆様、ご起立ください。そして……』
 美咲と司会者の目が合った。
 大丈夫よと、言われた気がした。
 円卓みっつぶんほど離れているのだから、声が聞こえるわけもないのに、司会者は美咲からフッと視線を外すと、明るい声で言ったのだ。
『溢れんばかりの愛情に満ちたグラスを、お持ちください』────と。
 お手元のグラスをお持ちください──美咲は、そう習ったけれど。
 気の利いた司会者の言葉に、さっきまで困惑顔だったゲストの顔に、笑みが生まれた。それどころか、「私のグラス、愛情に満たされましたね」とまで言って、気遣ってくれたのだ。
 感極まって言葉にならず、美咲は深々と頭を下げた。そして、司会者にも感謝した。
 美咲のミスを、さりげない言葉でプラスのイメージに変えてくれたプロの仕事に「美」を感じた瞬間だった。
 もう一度、挑戦したいと思った。
 諦めるたびに憧れる、未練のループと化した夢を、もう一度見たいと思った。
 そんな美咲の意思表明が吉と出たのか、凶と出たのか。
 パーティーのお開き後、夢を叶えるより先に。
 なんと、バイトをクビになってしまった。

     ◆◆◆            

 午後三時。季節を問わず、まだ日が高い。
 こんな時間に働いていないという、なんというか、この……。
「罪悪……感?」
 それと、いま仕事を失ったばかりという喪失感と、自己嫌悪と、今後の生活の不安と……。
 ふぅ、と美咲はため息をつき、肩を落とした。なんだか最近は、いつも肩を丸めているような気がする。
 たったいまホールスタッフのユニフォームを返却し、ホテルをあとにしたばかり。今日の報酬は現金でいただいたものの、本音を言えば受けとりづらい。
 でも、受け取らなければ生活が貧窮する……。
 あと五分ほどまっすぐ歩けば、新宿駅の西口だ。このまま電車に乗って、帰ってしまってもいいのだろうか……と後ろ髪を引かれてしまう。
 この生真面目すぎる性格も、二十代前半なら「一生懸命」と笑ってくれる人もいたかもしれないが、二十代後半……じゃなかった、三十の大台に乗ったいま、おまけに結婚目前で婚約破棄されるという苦い体験を引きずっている身では、ただの意固地か、融通の利かない頑固者だ。
「かといって、ミスしちゃったのに満額いただくのは……」
 再びため息をついたときには、足はすっかり止まっていた。ああ、いろいろ気が重い……。
「やっぱり、返してこよう」
 踵を返すと、すぐうしろに誰かがいた。危うくぶつかりそうになり、とっさに「すみません!」と謝罪したら。
「返す必要ないでしょ」
 頭半分高いところから、キレのいい意見が降ってきた。
 仰ぎ見て、目を丸くして、美咲は反射的にうしろへ飛びすさった。
「うわっ!」
「うわって、なによ。失礼ね」
 さっきの司会者だと気がつくまでに数秒のタイムラグが生じたのは、彼女が髪をほどいていたから。結っていた名残か、肩の上で毛先がくるんっと跳ねている。
 太陽の下で見る彼女は眩しかった。陽が当たっているから、という意味ではない。他人に見られる仕事をしている人間特有のオーラというか、内側から発するエネルギーが肌を明るくしているように思われた。
 美咲より五、六歳ほど上だろうか。若く見えるけれど、実年齢はもう少し上かもしれない。見るからにやり手の知的美人だ。
 艶やかな髪も、美しい柳眉も、筆で描いたようなシャープな目尻も、はっきりした唇の輪郭もどこもかしこも、自信に満ちあふれている……に違いないと羨ましくなる。
 ウィスカーパッドって知ってる? と猫好きの友人にからかわれるほど口元が猫っぽく、前世はあざらし間違いなしと笑われるほど黒くて丸い瞳の美咲とは、対照的だ。
 その自信の塊が言った。報酬は、あなたの権利よと。
「そういう契約だから、いいのよ。逃げたり泣いたりせず、お開きまで頑張ったんでしょ?」
「……はい」
 素直に頷いてしまったのは、百五十八センチの美咲より、十数センチは上から目線……と、日本語の使い方を間違えるほど緊張しているから。
 なぜなら、たった二時間半のパーティーで、夢を諦めていない自分に気づかせてくれた人と、ふたりきりで対峙しているのだ。緊張は当然。
「じゃ、そういうことで。お疲れ様」
 大きなビジネストートを肩に担ぎ直し、去りかけた彼女を、美咲は「あの!」と呼び止めた。
 肩越しに振り向き、「なに?」と眉を撥ねあげる仕草が、まるで宝塚の男性役の俳優のようで胸がときめく。
「お名前、教えていただけませんか?」
「なぜ?」
「なぜって、あの……」
「パーティーの冒頭で自己紹介したけど。聞いてなかった? それより、私と会話を継続したいなら、最初に謝ってくれないかな。せっかく私が整えた流れを乱した張本人なんだから」
 いきなり突き放されて、美咲は耳を疑った。宝塚の男性役が、突如ラスボス感満載だ。
 でも彼女の言うことは正しい。美咲は両手を下腹の位置で重ね、頭を下げた。
「先ほどは、大変失礼いたしました。私がうっかりしていたせいで、新郎新婦にも、ゲストの皆様にも、そして……司会者さんにも、ご迷惑をおかけしました。出入禁止を言い渡されましたので、二度と過ちを犯すことはございませんが、なにより晴れの日に水を差すような真似をしてしまい、心から反省しています」
 言い終えて顔を戻すと、「お祝い酒と水を掛けたのね。うまいじゃない」と感心された。……掛けたつもりはなかったけれど。
 さらさらのミディアムヘアをガッと片手で掻きあげて、彼女が美咲を斜めに見おろす。
「あなた、名前は? 歳も教えて」
「あ、はい。松乃美咲です。歳は……三十……に、なったばかりです。先月」
「先月なったばかりっていう説明は必要? 三十は三十でしょ」
「は、はい。おっしゃるとおりです」
「私は司会派遣会社『MCスピカ』の在原泉《ありわらいずみ》。歳は省略」
 ずるい! と言いかけたらジロリと睨まれ、慌てて口を手で押さえた。
「主な仕事はナレーションと司会全般。で、松乃さん。あなた、新郎新婦って言ったわよね、いま。新郎様、新婦様。またはご新郎、ご新婦じゃなくて」
 なぜそんな質問をされるのか不明だったが、はい、と美咲は頷いた。
「いま在原さんが例に挙げられたものは、すべて二重敬語です。寿を指す場合は、新郎新婦と言いなさいと教わりました」
「どこで?」
 畳みかけるように訊かれて、迷った末に、美咲は正直に白状した。
「ブライダル司会派遣会社の、育成講座です」
 目を丸くした在原が、「どうりで」と小声で呟き、「あなた、流暢だったもん」と苦笑した。ミスがですか? と訊くと、「ミスが流暢って、どういう日本語よ」と一瞥され、「で?」と先を促された。
「育成講座を受けていた人が、どうしてサービスにいたわけ? 三十歳なら、ウェディング司会として、一番需要が伸びる年齢でしょうに」
「そうなんですか?」
「そりゃそうよ。新人でもベテランでもなく、実践経験は豊富。新婦よりやや年上で、結婚生活の相談もしやすいお姉様的ポジション。三十代前半の司会者は寿にとって、もっとも身近で頼りになる存在だもの」
 結婚生活の相談もしやすいという条件に、残念ながら自分は当てはまらない。
 黙っていたら在原が、「訊いてもいいかしら」と声のトーンを落とした。結婚経験を訊かれるのかと身構えたら。
「松乃さんが受けていた育成講座って、どんな内容だったの?」
 予想外の質問に、はい? と目を丸くすると、在原さんがニッと白い歯を見せた。
「何回くらい受講したの? どんな内容で、費用はいくら? ヨソの事務所のこと、すっごく興味ある」
 在原は興味津々でも、美咲としては永遠に封印しておきたい話題だ。レッスンが楽しくてたまらない、ちょうどそのときに……だったから。
 そう。美咲が一番幸せを実感していた時期に、彼から破談を言い渡されたのだ。
 太陽から顔を背けつつ、それでも口を開いたのは、嫉み以上に羨望が勝るコメントで美咲を救ってくれた在原からの要請だから。
 それと、やっぱり……なりたかった職業に就いている、憧れの人だから。
 きらめく言葉で会場全体を幸せ色に染める、美咲には叶えられなかった夢を手にした人だから。
「一クール十二回、ひと月二回の半年講座でした。人前式やパーティーの順序、応用、それに相応しいコメントをいくつか教わって、最終日には社内オーディションをクリアすればデビューでしたが、あとひといきでダメでした」
「それがどうして、ホールスタッフのバイトを?」
 それを訊かれると、返答に窮する。
 彼に対する意地かと問われれば、そんな気もするし、ただ純粋に、目指していた仕事に少しでも関わっていたいという思いもあったのかもしれない。それと……。
「幸せって、どんな形で、どんな色をしていたんだっけ……と、思って」
 え? と訊き返され、なんでもないです、と慌てて美咲は胸の前で片手を振って誤魔化した。
 ……ダメだ。自分が情けなくて、泣けてくる。
 美咲は首を振って涙を誤魔化した。涙ぐんでいる顔を見られないよう太陽に背を向け、顔を隠す。ははっと声を立てて笑い、へたくそなコメディエンヌを演じてみせる。……と、クサいコメントが浮かんでしまい、これだからプロになれないのよねと自嘲した。
「働かないと生活できないっていう事情も、もちろんありますけど……もう一度受講したら絶対プロになれるのに、って言われたんです。だから、もし受講料を貯められたら、また挑戦したいっていう気持ちになれるかなって……」
 ふーん……と疑わしそうな目で美咲をジロジロ見回して、在原が腕を組む。
「受講料って、いくら?」
「一クール十五万円です。二クール以降は、十三万に値引きしてもらえて……」
「はぁあっ?」
 覆い被さってきた在原の声が、盛大に裏返った。
 見れば完全に臨戦態勢……じゃなく前傾姿勢で、美咲相手に怒りの砲弾をぶつけてくる。
「なにそれ! ぼったくりじゃない! 一体どこの派遣会社よ!」
「渋谷の、フローラル……です」
「フフフフフフロ──────ラルッ!」
 ずざざざ────っと砂埃が立つ幻覚が見えるほど勢いよく、在原が引いた。
 顔には縦線が無数に入り、漫画のように青ざめている。
 こめかみにはビキビキッと卍型の青筋が浮き、優雅で美しい歯並びに、いまだけ鋭い犬歯が見えた。
「よっ、よりによってフローラルッ! うちの天敵、フッルォオ───ラルゥッ!」
「あの、そこまで英語っぽい発音ではなくて……」
「巻き舌にもなるわよっ! あなたって世間知らずで押しに弱くて、頼まれたら絶対に断れないタイプでしょ! でしょっ?」
「はい、よく言われます」
「そりゃ言うわよ! 百人いたら百人全員、声を揃えて大合唱よッ!」
「はぁ……」
「なにその金額! 値引きに騙されるんじゃないわよ! それ、全ッ然値引きじゃないから! 相手はフッルォオ──ラルだから! 値引く前提で最初からガッツリ乗せてるから! そのうえ次は絶対ですって? この地球上に絶対なんてものが存在すると、あなた本気で信じてるの? だとしたらあなたは間違いなくカモよ! そしてヤツらはサギよ、サギ!」
「あ、鳥つながり」
「そこに反応するんじゃないッ!」
 異様にフローラルを敵視して怒りを爆発させた在原が、「来なさい!」と美咲の肘をわしづかみにした。
「あなた、いまからチカに会いなさい」
「チカ……?」
「やり手で有能、小柄美人。難問難題、即解決。我らがスピカの敏腕マネージャー、七実《ななみ》チカよ!」

    2話へ続く →

2話 https://note.com/jin_kizuki/n/n609781e9a919

3話 https://note.com/jin_kizuki/n/n702b92e8052f

4話 https://note.com/jin_kizuki/n/n4f2e1d6b52cb

5話 https://note.com/jin_kizuki/n/n24ad69399bf4

6話 https://note.com/jin_kizuki/n/nfc07fcc7e1cc

番外編1 https://note.com/jin_kizuki/n/n5fe9227c5e07

番外編2 https://note.com/jin_kizuki/n/nd78387988b44

(創作大賞2024/お仕事部門参加中)
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