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山積みのりんごの購入はストレスが少ない


はじめに

 昼下がりのモンマルトルの丘の通りのある一角でくだもの屋を見かけた。

そこで、むかしはふつうだったはずなのに、わすれていたことがよみがえった。むしろこの時代に、いや切実な今だからこそ使えそうなものがある。もしも叶うなら…。

そのうちのひとつ。なにげなく店で手にするりんごから。


スーパーに行くと…

 昨今の状況下により、週1回の日用品のまとめ買いと、これも週1回の生協の個配で日々の食べものをまかなっている。出かけないでむだなリスクを避けられる。行動の抑制はたいせつだしガソリンをむだにしない。これにまさるものはない。

そして週に1回の機会だとひさしぶりに出会う世の中がすこしだけ新鮮な感じがする。デートとおなじかな。時季によって生鮮食品の品揃いと値段が微妙に変化するから。

あたりまえのようだが、季節が進むと収穫する野菜や魚の種類は変わる。もちろんハウス栽培や養殖だってあるから一概にはいえないけれど。

旬のものは安いし、地元や近海で得られる産品にそういうものが多い気がする。そしてなにより鮮度がいい。

それでも遠来のくだものをやむなく買う機会がある。それはりんご。住む地域が温暖でみかんの産地なので、りんごを商品にするほど地元で作っていないし、そもそも食べるタイプのりんごの苗をほぼ見かけない。


山盛りのりんご

 週1回のスーパーでの買い物は5分以内と決めている。買う商品をあらかじめメモ書きして、それを手にテキパキと商品かごに入れて。その道すがらりんごの山から1、2個をかごに入れ、さっさとレジを通過。

なにげなくおこなう日ごろの行動。これ自体は何でもないめずらしくもない光景。しかしよく考えてみると意外とめずらしくなりつつあるかもしれない。

多くの野菜やくだものは透明プラスチックフィルムに覆われているか、さらに発泡スチロールのトレイにのせられラップをかぶる。

よくよく店内を見わたすと、はだかのまま山積みの食料品はすくない。セールで袋に入れ放題などの催しのほか、わたしの利用するスーパーや生協の店舗ではあまり見かけない。


モンマルトルのくだもの屋で

 フランスにでかける機会があった。昼下がりのモンマルトルの丘。だらだら上り坂のつづく通りのひとすみのくだもの屋。

在住の方だろうか、ふだん着の日本人の老婦人と孫らしきこどものふたり連れのお客さん。商品を手に取りながらたがいに日本語で会話している。日本のわたしの住むところでは見かけなくなったどこかなつかしい光景。

なぜだろうと思ったらほぼすべてのくだものが山積みされていた。いろとりどり。老婦人はそのなかのひとつを品定めしている。やはりほのぼのむかしを彷彿とさせる。こどもの頃、母に手を引かれて買い物に歩いた店先と重なる。


おわりに

 こうした店先や八百屋では、買い物かごや袋を持参する。手にとった商品を数えて総額を伝えてもらい、その額を払い売買成立。おつりは店のひとの前掛けか軒先に吊るしたかごから渡す。葉物野菜などは新聞紙にくるんでかごに入れてくれた。

みそは山盛りだったし、乾物もそう。豆腐屋にはなべをもっていき、しょうゆ屋では空の瓶に移してくれた。

いったいいつの時代のことかといわれそうだが、半世紀前の日本の地方都市ではそのような店が健在だった。

なにもそのまま取り入れる必要はないし、衛生や手間ひまなどをクリアできればそれがいい。そんな形態の店があったら買い物かごをさげて利用したい。それだけ外装のごみを減らせそう。

合理的な世の中だけどこんなシステムも受け入れられる世の中がいいな。

もしも叶うならば。


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