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わりと明確に季節のうつりかわりのはじまるタイミングをかんじられるときがある


はじめに

 きのうからきょうにかけて、季節のうつろぐはじまりを肌でかんじることができそう。もしかしたら数時間のあいだに。

これからしばらくは行きつもどりつ。そういえば職場のいちょうも色づきはじめた。なぜか昼間にはセミがあいかわらずないているけれど。

年齢をかさねると

 長く生きていると、暑さと寒さをのりこえるのを意識しながらという感じがする。たとえば「この冬を無事に越せるだろうか。」というふうに。若いころはいそがしさもあって寒暑をかえりみる、気にすることはなかったと思う。いつのまにか過ぎていた。

わが身もそうだが、老いた両親の世話をしているとつねづねそう感じずにはいられなくなる。したがってめいっぱい両親の住む家(といってもわが家から10歩ほど先だが)の暖房や冷房に気を使う。今年の夏はふたりとも入退院をくりかえした。そのあいだに実家をかたづけていごこちよくした。クーラーはほぼメンテナンスのいらない力のある最新式に買いなおした。

寒暑をのりこえるのにくわえ、気象が荒々しい。台風や豪雨にともなうがけくずれや土石流にも注意を払わねばならず、両親といっしょに避難をくりかえしている。

そうこうしながら季節は移り変わる。きのうあたりからきょうにかけてちょうどそんな変わり目になりそう。暑くなったり涼しくなったりをくりかえすはじまり。昼間だけでなく明日の早朝あたりはとくにそう感じられるだろう。あたたかい寝具がほしくなるにちがいない。

やさいをつくっていた頃は

 3年前まではたけでやさいをつくっていた。するとしぜんに天をあおぐか、天気情報を念入りにみはじめた。農業はやはりしぜんとの競争。雨の情報はとくに播種(たねまき)には欠かせない。とくに雨の少ない時期に蒔くニンジンなどはむかしから播種自体で作がらが半分以上きまるとよくいわれる。ほんとうにそのとおり。

ニンジンをしっかり作れるようになったら、ほかのやさいの播種もいつのまにか苦にならなくなった。以前はポットに念入りに蒔いていたものでも徐々にじかに畑に蒔いても芽がでるように。

降る雨は強すぎても弱すぎてもよくない。ほどほどの雨が理想的。なかなかそのタイミングをあわせて蒔けるなんて1年をつうじてそうたびたびはない。

気温もそう。秋蒔きは春蒔き以上にズボラなわたしにはやっかい。数日おくれると数週間収穫が遅れるとむかしからのいいつたえもそのとおりだと思う。雨のたびにさむくなるのでとたんに発芽がわるくなる。

季節を感じる

 寒くなりはじめにはまちがいなくあたたかいものがたべたくなる。うどんやシチューはそうした料理。けさは温麺だった。今回の生協の宅配ではうどんを注文した。家族の好物でもある。

旬のやさいのいくつかがあじわえれば満足。いまはにわにサトイモとシマカボチャ。いずれもかってにはえてきた。すでにサトイモはさぐりぼりして味わえた。かくじつに季節はすすんでいる。

秋の虫は夜になると聞こえる。例年とくらべるとスズムシよりはカンタンなど。シンプルな音をやさしくかなでる。

おわりに

 季節の変わりめはいそがしい頃はいつの間にか通り過ぎたり、たびたびの遠くへの出張で感覚がずれたりで気づけないことが多かった。

年齢をかさねて万事に用心深くなるというか、そうしないと基礎体力のとぼしいわたしなど生きつづけられない。

このところ家にいる生活が多いので微妙な変化に気づけて、季節の進行におちついて対応できているかんじ。さて、衣がえしないと。

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