コミュニケーションの道具としての「英語」を習得しつつも、まったなしで身につけたい「情報」のスキル
(2024.8.19加筆)
はじめに
学習サポートの教室で生徒たちに話題になるのが「英語」と「情報」について。サポート役としてさまざまな話をする。そのなかのひとつ。
ふだんのくらしで「道具を使う」のはなにも特別ではなく、毎日使いつづければ慣れてなんとかなる。ただし職人や演奏家がヒトビトを唸らせるまでになるには腕をみがかねばその境地には達せない。母国語でない英語の習得はそんなに接する機会のない日常ではなかなか容易でない。
報酬を得るまで極めるための努力や修練はどんな職業やくらしでもおなじ。世間では道具としての英語でなにができるかを問うている。一方、「情報」はもはや全世代で身につけたいものとしてとりあげられてきたのだが…。AIの台頭などでまったなしになりつつある。
きょうはそんな話。
なにができるか
たしかに英語は道具にすぎない。英語は一部をのぞき世界各地で共通言語としての役割を担う。
日常生活で道具をつかう仕事や場面は多い。だがそれだけではなにも生まない、もしくは限られる。たとえばこのクニでは英語の能力を高めようとかなりのエネルギーを費やし消耗するほどに見える。かといって早期教育しても使いつづけないと錆びついてしまい、そのうち泡のごとく消え失せる。
習得がどこかでねじまがり目的になっている。もはやコンピュータの翻訳ソフトは格段に進歩し、日常の業務のサポート役として欠かせないほどに。使う側のニンゲンが英語をある程度基本を理解して使わないと意味がない。英語と情報をしっかり身につけるべき時代へと変わりつつある。「英語」と「情報」は学校で学ぶが、その学問上の位置づけや比重が移ろいでいる。
運転手とは
たとえば自動車の運転は職業によっては採用の必要要件。もちろん運転できるだけではものたりないし、用をなさない。道を知りお客さんに応対し安全に運行できてプロの運転手としての役割を担える。同乗するヒトやモノを滞りなく目的地までとどける配慮ができるか。仕事の意欲や能力をもちあわせているかどうか、コミュケーションもときには必要だろう。
「運転」は職業としての手段。免許や資格はいずれもその能力の素地があるというお墨つきに過ぎない。
道具としての
手段を目的としては意味がない。もちろんとりあげた「英語」を極めるのはそれなりにたいへんだし、到達までの努力には頭が下がるし尊重したい。だが同時にその道具を使いなにをやりたいのか、なにをすべきかをもういちど考えたい。
もちろん報酬を得るだけのためではない。習得した言語で意志をつたえたり、より多くのヒトへやすらぎを与えたりの無償の目的があってもいい。社会に出て道具をつかう場面を職業(ボランティアであっても)としてとりあげたい。するとどうだろう。なにが必要か見えてこないか。
具体例をひとつ。道案内役や商品の説明、打ち立てた理論の明示や発表など、機械的に話すだけでは相手にじゅうぶんに内容はつたわらない。相手に伝える能力とは。そしてその習得にエネルギーを費やしたい。英語圏の人々はもちろん母語として身につけるあいだに、ヒトに意志を伝えるスキルの習得にずいぶん比重をかけられる。
英語だけでない
よりひろげて考えたい。みずからの能力を拡げ、高めるためにどの程度時間や手間を割くといいか。再考するといいだろう。もちろん英語などは先々に必要性を感じがちで、ふだんから標準的なレベルを維持したいもの。
なんども記すが英語圏のヒトビトは幼い頃から日常の言語として使える。もちろん母語を「国語」としてみがくのはおなじだが。並行して興味のあるのスキルを身につけるほうに邁進できる。そのアドバンテージはどうしようもない。なげいてもしかたない。
「情報」を
互角にわたりあうにはもちろん英語は欠かせないだろうが、その一方で身につけるべきことがらは明確に存在する。「情報」はいまや多くの分野で必須といえそう。記したくないがこのクニの教育のうごきはすでに2周おくれぐらいかも。
競い合うつもりならば「英語が…」とばかり言ってられない。2周おくれでもやるしかない。このクニでもめざとい若者たちはじぶんでやりつつ、すでにそれ以外のところに目をむけて世界に伍しようとしている。みずからやるやらないでずいぶん差がひらくにちがいない。
おわりに
さまざまな言語をあやつれてサポートしてくれるAIが登場。もちろんもととなる英語の力をつけたうえで使えるのが理想。ヒトには耐え難い業務でも文句ひとつ言わずにこなしてくれる助っ人。支援してもらえるならば使いこなせて、本来「ヒトとして」習得すべきスキルにエネルギーを費やしたい。
話は飛ぶが、「情報」は学校の教科や科目ならば「数学」「技術家庭科」などに分散していたもの。「保健体育」、「現代社会」、「国語」などにもちらほら。それらを統合して高校の必修教科とした。来る1月には共通テストではじめて必須教科に。
それらの基本能力がこのクニに生きるうえでもとめられるのは明白。いったんリセットされるのか、まだ追いつく余地がのこされているのか、もしくは世界からとり残される方向へむかうのか。
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