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昨今の状況下に山道が気づかせてくれたこと


はじめに

 いくつかの波が来てはひいてを繰り返し、波をぴょんぴょん跳ねながらやり過ごしてきた感じだ。

このところすこし落ち着いて一息つく。まだ「土用波」のような大波が押し寄せるかもしれない。

この昨今の状況下でそれほどみずからの生活は変わっていないつもりでいた。

ところが先日ひょんなことで、がくぜんとすることがあったので、それをこの1年半の振りかえりとからめて記しておく。

行動をブログから振り返る

 昨年の春まで兼業で農業をしていたことは、以前べつの記事に書いた。多いときで4か所の販売所に、できた野菜を持ち込んで販売。数えてみると累積100種類あまりの野菜をつくるまでになっていた。収入は本業の学習サポートを上まわり、規模は小さいが文字どおり第二種兼業農家となった。

5年前(つまり6年半前)からじわじわ軸足を農業に移し、そのくらしが日常となった。わりとなんなくできたし無理をしていない。さまざまなトラブルに見舞われはしたがストレスにはしないで済んだ。

そして彼の病の状況になる。1年半前に販売所のリスク回避のため、野菜の生産をやめて生活リズムが変わった。それは、わたしにとってがくぜんとするほどのことではない。

うごかない生活

 庭で使う草刈り機をとりに畑に久しぶりに出向いた。ここしばらく外出を控えており庭ですら草刈りは手作業で済ませ、この道具の出番がなかった。久しぶりに畑に上がると予想どおり畑は草茫々。わたしが刈らないので当然だ。それは致し方ない。

それよりもがくぜんとしたことがあった。それは畑までの道を歩いたのが半年ぶりだったこと。ほんの1年半前には毎日いそがしく往復していた道。それがこの半年のあいだ使っていない。遠くへ出張してひさしぶりといった感じと似ている。見るものが目新しい。

坂道を上がるだけで息があがり、ほとほと運動不足を反省しつつふと顔を上げると目に飛び込んでくるのは青々とした山の稜線、キラキラ光る眼下の海面。思わずうなった。これらを眺めずじまいだった。それに平気だった自分に驚いた。何ともったいない。

残りの人生を考えたら、このままの頻度ならばこの海をながめる機会はそれほど訪れないことになってしまう。

山道のあけびの実のひらくのも、曲がり角の大きな桜木の満開をながめるチャンスもあまりない。やはりそれはあまりに惜しい。


意地になっていた

 この状況下でみずからの生活は変わっていないつもりでいた。何もがまんなどしていないつもりでいた。いや、ちがうと山道が気づかせてくれた。

「変えてない」と意固地になっていただけかもしれない。変わった事実をすなおに受け入れてしまうと、大きなストレスにしたかもしれない。きっと、落胆しないで済ませようとそこを考えずにいたと思う。

心理的にバイアスをかけて考えまいと無意識のうちにしまい込み、昨今の状況を直視しないまま押しつぶされまいとしていた。きっとそうだろう。

この1年半を振り返り、がまんせずともひとりでリスクもないのに楽しめたりストレスを開放させてくれるはずのことまでみすみす逃してきたと思う。

山道がそれに本当に気づかせてくれた。何もそこまでしなくても散歩でもして道を歩き、まわりの自然のようすや生き物の変化を楽しむことができたはずなのに。


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