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長い雨のあとの澄みきった青空とみずみずしい緑の山をみつめて


はじめに

 きのうの日中は雲がたちこめ、昼間でも薄暗いほどだった。ごく近くの丘のあたりまで雲なのか霧か判別できないほど。おとなしく部屋のなかですごす。夕暮れ時にようやく降り止む。心配した鉄道は遅れず学習サポートの生徒たちを迎えられた。無事に21時には学びのサポートを終えてようやくほっとする。

一転してけさは雲ひとつない青空。こんな澄みわたる空は何日ぶりだろう。じつに貴重な晴天。

きょうはそんな話。

雨つづき

 4月以来とにかく雨が多い。気になるだけでなさそう。実際に記録をさかのぼるほど雨が多いらしい。ぐずつき気味だった4月とはことなり5月はさすがに天候は安定するだろうと思ったがそうでもなかった。やっぱり雲に覆われる日のほうがめだつ。

いつもの年ならば草刈りにおおわらわしそうなのに、なぜか草がそれほど伸びていない。来週でいいかと先延ばし。中旬あたりからは伸びがぱったりとまってしまったかのよう。

昼間の気温はじわりと高くなってきた。でも日照がないままなので、いつもの年のまるで日陰の草のように背が低い。そのぶん根にエネルギーをためこんでいるかもしれない。どんよりとした雲は低くたちこめ、空がごくたまにしか見えない日がつづいていた。

このまま梅雨入り?

 4月からはやくも6月が目の前。5月の後半はあまり陽の射さないまま終わってしまうのか。あまりにも伸びない草のようすから今後のやさいの出来が心配。例年ならば(そのとおりにならないのが最近の傾向だが)梅雨入り間近。このままずるずると雨がつづいてしまうのか。

へやのなかに湿気を入れないように、こもらないように意識して窓をあけしめする。食べものをいつも以上に用心して保存する。

一転して

 けさは朝早く車でもとの家にむかった。信号停車中の窓ごしにくっきりとあざやかな山々の新緑。雨上がりのためふだんの春のぼんやりしたようすはすっかり取り払われじつにあざやか。こんなにすっきりした風景に出会うのはじつにひさしぶり。

とくにこの春の後半はこうした「快晴」といっていい日がほとんど記憶に残らない。そういえばこの「快晴」という言葉について。気象台の目視観測が一部をのぞき3月26日で「快晴」などいくつかの目視による観測項目からなくなるらしい。かわりに自動で観測されるとのこと。たしかに人間の眼で雲の空に占める割合(雲量)をだすのはなかなかたいへん。

おわりに

 この春は空を見上げて一喜一憂する機会が多かった。洗濯をするか、いつ草刈りをするかなど雲行きを見ながら進めることもたびたび。ここではいまだに自然現象にニンゲンのほうが合わせて行動しがちかもしれない。

きのうまでの降りしきる雨が上がり、澄みきった風景はこんなにもいとおしいものかとふと思った。


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