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身のまわりの整理:家に残る先々代の蔵人としての祖父のかすかな資料をどうするか


はじめに

 どういうわけか父方の祖父がのこした帳面などがわたしの手もとにのこる。戦後すぐの頃、むかしながらの醸造所で冬の農閑期のあいだ蔵人としてはたらいていた当時に記したもの。雑多なみのまわりもふくめた手記といっていい。なかには醸造に関するこまかなしごとのだんどりなどを記している。

このところ身辺のものや事柄を整理してさらに身軽になりたいとつねづね思う。だがなかなかこうしたかんたんに処分していいものか迷う品がある。

きょうはそんな話。

地券といっしょに

 ほかにも手元にあるものがある。歴史でよく登場する資料。明治政府があらたに土地所有者にむけて発行した地券。いわば土地の権利書。地租の課税の根拠になる。これが実家の仏壇のひきだしからたくさん出てきた。

それらの地券の名義は本家であった曽祖父以前のもの。土地を相続した祖父の名義ではない。土地所有の証明であるはずの本来の地券としての役割を終えた書類にすぎないのはまちがいない。

身内の者をこういうのは変だが祖父ははたらきものとして知られていた。それも並大抵ではなかったらしい。みつかった地券の束とは無関係に手持ちのはたけを増やしていった。

懸命にはたらいたぶんで周囲のちいさな畑をつぎつぎと手に入れ、さらに自らのしごと場をふやしていった。分家のじいさんは先祖から相続した土地(つまり地券のはたけなど)はもともと微々たるもの。その状態から自らはたらいて得た。

雑記帳は

 さて話を1冊の帳面にもどそう。じいさんのメモ兼日記。どうやら農閑期にふた駅はなれた醸造所の蔵人としてはたらいた当時のものらしい。戦後間もない頃。若い頃はほかにも近所で延長されつつあった鉄道のトンネル工事などもやっていた話を父から聞いている。

なにしろじっとしていない。たくさんのこどもたちを養っていかなくてはならない。おそらく冬のあいだの農家は実入りがごくすくない。できることはなんでもする方針だったようだ。

なかでも蔵人のしごとは父の話では同僚のなかでは一目置かれる存在だったらしい。杜氏から一部のしごとをまかされ、じいさんのまかされた品の質がよいということで、ある年などは鉄道で1時間ほどさきの醸造所の本社まで出向いていたそうだ。

日記の中身は

 わたしは生化学者なので醸造の作業工程については多少は追える。帳面には戦後まだそんなに経っていない当時の仕込みのこまかな作業上の注意点やつぶさな発酵の観察で気になった個所などを記している。こんなに細かな段取りまで任されたなんてという部分もあった。杜氏からきっと信頼されていたんだろう。

文面からじいさんの気まじめさと責任感がつたわってくる。周囲と密に連絡をとりあいながら懸命に作業していたようだ。

おわりに

 先祖にこんなヒトがいたとつたえるにふさわしい品かもしれない。地券のほうは学習サポートの中学生たちの歴史の教材にさっそく使っている。

さて、この帳面をどうしよう。こどもたちに内容の概略だけつたえて処分してよいものか。


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