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鉄道ででかけるメリットをあげていくとたびをしたくなる


はじめに

 ふだんはほとんど車を運転して移動する。ことしは台風をさけるための2泊3日でホテルに避難。それは本来の旅とはいえないかもしれないが、老いた両親とともに安全と思われる地域の宿にとまりやりすごした。

荷物をわたしがそこそこかかえて両親の足元に注意しながら。高速道路で1時間そこそことはいえ車でないとなかなかむずかしかった。半日後には鉄道は運休しそうな状況でやむなし。

しかし本来の旅行、しかも単独行動だったら鉄道をえらびたい。それにはいくつかわたしなりの理由がある。そのはなし。

飛行機だったら

 サラリーマンだった前職のころはやめる前までは出張つづき。スケジュールのつごうがあり、たいてい航空機利用。職場からの年間の旅費はかぎられ、目的地までの鉄道往復分でのみ算定されていた。それを超えるぶんは自費で。

そのため割引の大きい航空機をはやめに予約してつかっていた。もちろんマイルがたまる。しごとをやめるまぎわにはその自らで支払ってたまったマイルで家族全員の航空券が買えたほど。

ただし飛行機の場合、地元の空港にいる段階ではまだ旅行がはじまった気がしない。たびの入り口にいるかんじ。空に飛び立ち目的地の空港におりてから旅がはじまる気がする。

おなじく羽田で搭乗口の手前のベンチのかたわらで地元の方言が聞こえると、すでにわが家に帰ってきたなと感じてしまう。あくまでも移動手段であり、空を飛んでいるあいだはたびをしている感覚がうすい。

鉄道だったら

 まえのしごとにつく以前、つまり学生時代まではもっぱら移動といえば鉄道。自動車の運転免許をとったのはしごとに就いて以降だったのでやむなくそうしていた。

そのかわり学生の特権で時間はたっぷりあった。特急でなく時間はかかるが乗車券だけで乗れて安い鈍行列車をえらぶことすらあった。どこかよそ行きのふんいきのただよう特急列車や新幹線とちがい、在来線の普通列車にはふだんのままの地元のようすがかいまみえて興味深かった。

方言そのままで高校生たちがしゃべっている。詳細は聞かないが話すようすのちがいがおもしろい。こればかりはその土地にこないと体験できない。たとえば関西から北陸にむかうと、乗客がうつりかわるとともにことばがかわっていくなあとかんじとれた。

車窓をえんえんとながめつづけられるのもいい。山陰本線の海岸ぞいを鉄道で移動するのもあじわいぶかい。日本海の白い波のうちつけるようすをすきなだけいくらでも鑑賞できる。おいしい魚介の駅弁をあじわいながら。

つまり鉄道での移動の場合には最中から旅がはじまっている。宮脇俊三の「時刻表2万キロ」をはじめとする著作は愛読書だった。


そこまで徹底して「鉄道に乗る」ことをわたしはもとめないが、記述の端々には日本各地の風土や趣きがまったくむだのない文章で著され、鉄道旅のよさをしみじみとかんじとれる。ああ、日本ってどこもいいなあと思えてくる。


ほとんど車

 鉄道をおどろくほど利用しない。眼のまえを通っているのに。それぞれの方面から先への用件にはさらなる交通機関を必要とする。たいてい車を利用してしまう。

しかも運転するので車窓はながめられない。買いものはとくに車がありがたいし、両親の病院の送迎には上述したように鉄道やバスの利用はむずかしい。足の弱った状態では駅からはなれた病院まで歩けない。わたしが送迎できない場合でもタクシー利用になってしまう。

中山間地に住むくらしのため、なんらかの移動手段をつねにあたまのすみにおいてくらしている。移動できる方法をかならずひとつもっていないと、とっさのときにうごけない。

おわりに

 たびをする出だしの場所が中山間地ならば制限が多い。それでもそばに鉄道がある。にもかかわらずたびに出るチャンスを逸している。もっとほんとうは利用したいし、さらにたびをしたい。なかなかその機会はおとずれないが。

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