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徒歩と自転車による「街歩き」のわたしにとってのあるたいせつなメリットとは


はじめに

 典型的な方向と方角が認識できないタイプ。いま来た道すらどれやらあやしい。したがって理系のわたしはいまある太陽の位置や木々の幹に苔のはえている側はどっちかとか、探偵のごときうごきをしながら街なかを進む。それらの手がかりをたよりにすすむ。このところしかたなく自動車での移動がつづき迷いつづけている。

この状況下であらたな場所での道のつながりかたを、わざわざ車を降りて歩きと自転車で身につける。わたしなりの克服のしかた。

笑えない方向と方角のずれ

 たしか京都だったかな。あの碁盤の目のととのった街でのできごと。たびたびおとずれ街のしくみさえわかればなんでもないはずなのに、目的地にいきつかない。あれ~、たしか前に来たときはここでのりかえだったはずなのにとか、なんか目的地からだんだんはなれていく気がする。

このあたりまではごく序の口。ひどいときにはもといた場所に舞いもどる。ここまでくると自分でも感心するぐらい。だって3回つづけて左か右に直角にまがらないとスタート地点にはもどらないはず。自分の行動の不可解さにおどろいた。

それほどなので車で移動するときには、前もって曲がり角に何があるか、そしてそこまでの距離はどのくらいか、先ほどの京都だったら大文字山はどっちに見えるはずかなど手がかりをいくつもとらえて納得の上で、しかも紙に書いたメモをもちながら、準備万端ととのえて出発。

その結果、道に迷う。さずがに自分でも情けないなあと思う。

まず未知の道は…

 すでに住みはじめて何十年にもなる街なのに、いまだにつながりのわからない道がある。車でそこへ向かうまえにおなじ場所を可能なかぎり歩いてみる。たしかめるだけが目的なので、なるべくならば自転車がいい。最近はレンタルサイクルが発達してきたので、これもいいかなと思いはじめている。

それでもっててくてく、もしくはペダルをこぎながらまわりをきょろきょろしつつおぼえていく。これはいい。まちがったところで「歩き」ならば一方通行のみちでもおとがめを受けることはない。もちろん自転車は押して歩く。

すると新たな発見がかならずといっていいほどある。このあいだもそう。よく通る道から一本はいるよこすじの街路。ここは歩いたことがなかった。ここの角の入り口にコーヒー豆を売るごくごくちいさな店の存在に気づいた。車でいつもそばを通り抜けるだけなので気づけなかった。

あきらかに車のときよりも道と場所の理解が進む。そしてわすれにくい。進学校の高速の授業より、ごくふつうの学校のおっとりゆっくりの授業のほうがわたしにとって理解しやすいのとおなじかも。

おわりに

 あきらかにあたまのモーターのできはそんなによくはない。したがって自分なりに苦手な方向と距離に関する感覚をやしなううえで、街歩きは欠かせない。あらたに得られるメリットもあるし。

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