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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#なりたい自分

高校生の学習をサポートした延長線上に研究に活かせるものがないかと模索している

はじめに 小学生から高校生までの学習サポートしてきた。もう20年になる。なんとか食べていけてそろそろ潮時をむかえたか。その一方で研究パートのしごとのほうに重心を移しつつある。ほぼボランティアにちかく、まったく報酬などはあてにしていない。 あまりに陳腐なこのクニの研究環境をすこしでも下からささえる役割ができるなら本望とお手伝い。失礼な言い方になってしまうかもしれないがここにはじゅうぶんなお金も人手もいない。これまでやってきたみずから学ぶ方法を学生さんたちに伝え、さらにその先

食べもののなかで「もち」はゆるめの食事制限のある自分にエネルギーの確保につごうがいい食品

はじめに このところなんとか体重の維持ができている。油断すると体重をへらしてしまい、医師から注意を受けかねない。持病の関係から痩せるとそれだけ患っている腎臓に負担をかけるだけでなく、大事な筋力すら失うことになる。そのため体重管理には注意をはらう。 きょうはそんな話。 (注意:健康情報を含みます。自己責任にてお読みください) 体重を維持するには 世のなかの方々のかなりの方々が体重の「ふえる」ことに気をつかわれるのと同様に、「へる」ことに対処しないとならないニンゲンもいる

売ってもらえて買えるものがまだあるだけいいと思わなくては

はじめに 身のまわりが安心できるものであってほしいのは万人の願い。それを維持して保つにはどうすべきか。なにを維持しどこを是正すればそうできるか。なかなかむずかしい。 きょうはそんな話。 ひっぱりあい 世のなかではこぜりあいやせめぎあいがあちらこちらで見られる。この星に80億人あまりがくらし、それぞれ主義主張はことなり考え方は多様。それなりに矛を収めてつつましくとはいかない。 たしかにそれぞれ主張があり、相手に納得してもらおうという意図はありそう。とはいえ聞くほうにも

本来はもっと置いてきぼりにしてもらってかまわない存在のわたしたち世代なのに

はじめに 諸外国とくらべるとこのクニはいつまでもわたしをふくめた世代のことに気を使いすぎてさまざま制度疲労などをおこしていないか。もっと数ではすくない若い世代へ寄り添いスムーズに新時代を切り拓いてよいのに。あくまでもじぶんにむけて思うことがら。 きょうはそんな話。 ちょうど中間で 第二次ベビーブームよりひと世代まえとしてわたしは生まれた。第一次ベビーブームとのあいだの谷間の世代。すこしだけ両方の世代より高校や大学には進みやすかったのかも。わたしたちをふくめて上の世代は中

あっさり暑くなってしまったようでもうすこし朝のすずしさを満喫しながら運動の習慣をつければいいかもしれない

はじめに このまま気温があがりあっさり梅雨にむかうのだろうか。どうもそろそろからだが慣れたころだし、と出歩こうかと思っていた矢先に昼間の暑さ。すでに日中には半袖ですごす。かろうじて朝は20℃を切るのでさわやか。朝のうちに運動などすませてから職場に向かえばいいと気づいた。 きょうはそんな話。 時間の使いかた きょうの午後は職場の研究室の講読(ゼミ)。したがって午前中のうちに事務仕事を済ませておこうとPCにむかう。どうにか昼前に終わらせ昼食。ひと息ついたあとにゼミがはじまっ

ひとつのことを10数年つづけて見えてくるもの・気づくこと・この先に必要なもの

(2024.5.27加筆あり) はじめに すでにまえのしごとで16年、いまの学習サポートでおなじく16年。後者とともに農業を6年、そしていまの研究パートで3年目。昨今の状況下に基礎疾患もちのわが身には、まわりに支障の出ない範囲でやれることはまだ限られている。だがわたしにのこされた時間を考えるとやれることはそう多くない。 転業し学習サポートに着手したころ「10年つづけばたいしたもの。」と声をかけていただいたのを覚えている。あっというまに駆け抜けて気づくまもなくとっくに過ぎて

ひとつ上の学校にすすむ意義はひとつまえの学校の内容をやさしく感じて活かすことにあるのではないか

はじめに このクニでは幼児教育をべつとして小学校から大学院博士課程までだと、じつに21年ほど学校(+大学・大学院)に通う機会が設けられている。もちろんほかの道すじもある。わたしは人生の4分の1ほどを学びに費やし博士号を得たことになる。もちろんそののちもみずから学ぶチャンスはある。 ふりかえるとひとつまえの学校で身につけたこと、あるいはものの見方や考え方をそののちの人生で活かすぐらいがちょうど無理がなくていいのかもしれないとふと思った。 きょうはそんな話。 まなびつづけ

みずからの発する語が自動翻訳でしっかり日本語として認識されるかどうか

はじめに 日常生活でつかう程度の英会話をしたい、できたたらいいなと思う。たびたび諸外国の方と顔見知りになるのにこちらとは関係なしに流暢な日本語をお使いになる。ほっとするがときにはこちらからせめて英語でコミュニケーションしたいときがある。 推しのバンドがこのところぜんぶ英語の歌詞で新曲をだした。詞を書くのはメンバーのひとり。すでに何年ものあいだ海外ツアーに出て、ファンとのコミュニケーションをとろうとして、すこしずつ英語を身につけつつある。きっと努力されているのだろうなあ。

海外の方々のふだん使いの単語はいまの中学で習うものが多いので訳さずそのまま聴けそう

はじめに 最近、時間があるとFMラジオかYoutubeで音楽を聴く。車の運転中はラジオ英会話。ひとりぐらしでしごと場も単独行動ばかりでほとんど日本語を発することはないし、生の会話に接する機会はごくかぎられている。 そんな生活を数か月。いくつか気づきがあった。 きょうはそんな話。 音をくわえる ひとりぐらしはつねに外からの音にかぎられる。ひとりごとを発しないかぎり、くらしのなかでみずから声にだして音にすることはない。あくまでもしごとや店での交渉などごくかぎられた場面だけ

英語の壁が氷解していく過程(希望)かもしれない体験を記しておく

(2024.5.20加筆) はじめに こどもが言語を習得していくプロセスはなにもテキストによるものでない。身近なヒトビトとのコミュニケーションのなかからほんの数年のあいだに急速に身につけていく。 そのプロセスはおとなにはあてはまらないものか。せめて日常生活に使う程度の英会話に不自由しない程度でかまわない。しかしなかなか容易でないのは方法がなにかおかしいのではとふとした疑問がわき起こる。 きのうとはすこしだけちがう視点から書いてみたい。きょうはそんな話。 ある経験 なに

英語>日本語の生活をたのしみ半分でそのままつづけるうちに話の内容がすこしずつ伝わってきた

はじめに このところスキマ時間に英語のものを聴いている。ラジオの音楽やYoutubeの動画。車ではいつも洋楽。テレビは見ない。日ごろをかえりみるとどうやら意識しないまま英語に接している。あきらかに母国語よりもながい。そしてふと数日前に気づいたことが。 きょうはそんな話。 (タイトル写真:もとの家の庭のミツバをうかべた中華スープ) 日ごろの生活 車のなかではFMもしくはCDを流している。もっぱら洋楽もしくはラジオ英会話。基本的に日本語なのはラジオから流れるニュースもしく