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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年10月の記事一覧

まなびをひろげる作業は路地をめぐりながら道どうしのつながりをひとつひとつつかむのとよくにている

(2023.11.7加筆あり) はじめに このところよくあるく。転居してようやく家まわりをすこしずつようすがわかりはじめた。するともっと知りたい欲求がわいてくる。何年もまえから幹線ぞいをしかも車内からしか把握できていないところだった。 ここに住みはじめ、さんぽで路地のまじわりやたどりつくさきをつかめておもわぬところに出られた新鮮なおどろき。なかなかたのしい。街の歴史や地形などを加味するとなおさらおもしろい。 これはちょうどまなびを広げていくのとにていないか。ようやくそう

水分の摂取不足は夏以外でもやってくるので注意が必要とからだがうったえた

はじめに きのうのあさ。職場からあるきはじめて1分もたたないうちに両足がつりそうになった。そういえばいつもの水分をまだ摂っていないと気づいた。水を口にふくんでほどなく足のいたみはひいた。まちがいなかった。 このところ気候がおちついて暑さはそれほどでない。油断しがち。 きょうはそんな話。 秋のおとずれ ほんとうに長かった夏がようやく通り過ぎようとしている。昼間の気温はたまに夏日をしめしてまだ高いが、朝夕はじゅうぶんにすずしい。するととたんにからだをうごかしたくなる。夏場

マイクロプラスチックをつくりだすプラスチック製のマットやプランターを玄関そとにおかないようにした

はじめに ナイロンは絹をヒントにつくられたという。ナイロンだけでない。世のなかには合成繊維だけでなく合成樹脂、すなわちプラスチックが生活のなかに浸透して代替は容易でない。環境汚染はおもわぬかたちでおとずれることが多い。 マイクロプラスチックもしかり。温暖化とおなじくすくなくとも現状よりわるくしないようにこころがけるにはどうしたらいいか身近なところからかんがえてみた。 きょうはそんな話。 家のまわりには 先日までの住まいは郊外の庭のある一戸建て。安くてかるいからとプラス

特許レベルのアイデアを思いつくチャンスとはほんとうになにげなくおとずれる

はじめに 研究パートの職場では研究のほかに開発にもかかわっている。勤務中だけでなく家事のあいまでもアイデアはふとわいてくる。 10個ほどうかんだうちのひとつぐらいは類似のもので出願がないかしらべる。こうしてじっさいに特許になるのは100にひとつぐらい。 ある考案がたまたまけさ朝ごはんのあとの皿洗いしているときにうかんだ。そのときのようす。 きょうはこんな話。 からだをやすめると もとのしごとといまのパートでは研究開発がしごとの一部。報告書や学会発表、そして論文を作成

〇〇が食べられなくなるというのはこんなふうに起こっていつのまにか機会がおとずれなくなる

はじめに すでにうなぎがそうかもしれないし、さんまなどはその過渡期からすでに食べられない状態へと遷移しつつあるのかもしれない。こんなふうにこのクニではある意味、せかいのほかのクニグニではおこりえないかたちで、食料の先細りがすすんでいきそう。 末端でなんとかしようとうごいているつもりだが。いきあたりばったりのこのクニのやり方がどうも…。 きのうにひきつづき食料について。 きょうはそんな話。 気づいてはいても 飽食の時代。スーパーやコンビニ(行かないけど)にむかえば、こ

SNSへの投稿をいったんやめたのは2022年2月のことだった

(2023.10.30加筆) はじめに さまざまなSNSに投稿するようになって15年あまり。note以外ではブログが圧倒的に多い。X(以前のツイッター)やfacebookはどうも性に合わずほっといたまま。Instagram(インスタグラム)は存在をわすれてしまう。いずれかほぼとぎれることなくつづけてきた。 じつは昨年の2月に意図的に中断した。こんなことをつづけるのが果たしていいのかとふと思い、やめておこうといきなりだった。再開までにけっこう時間がかかった。 きょうはそん

移り住んだ家のまわりからよく聞こえてくる音とはどんなものか

はじめに 四半世紀ほど住んでいた中山間地の家まわりの物音といえば鳥のさえずりと風の音が中心だった。冬の風がやむと物音がほとんどなかった。一転してひっこしたさきは街なかの賃貸住宅。まったく周囲の環境はことなる。 きょうはそんな話。 音のぬしは 中山間地でくらしていた2か月まえ。それはしずかなところだった。まどのそとから聞こえてくるのは自然の物音が圧倒的に多い。夏場は海風や木の葉がそよぎ、鳥たちがさえずる。ほったらかしの家主(=わたし)の趣味のせいで草ぼうぼうの庭では虫が鳴

ラジオ英会話を運転しながら聴きながしつつ語感のシチュエーションのちがいだけでこたえをえらべるかのゲームをした

はじめに 通勤のくるまのなか、きょうもラジオ英会話を聴く。そとの騒音やその日の耳の調子しだいでまったく聴きとれないときがある。ラジオの音を大きくすればいいのだろうが、運転に支障があってはならないのであえてしない。 ラジオはそのままでゲームにきりかえる。ところどころ聞こえる会話の雰囲気から想像をたくましくして、問いの候補文ABCのうちから強引に正解をえらんでみる。 日常の日本語での会話のなんて、まわりの音にかき消されながらもある程度ならば状況に応じて類推できる。話し手の目を

牛乳びんのふたをあつめるのと推しのアイドルのチェキをほしくなる心理はすこしにている

はじめに コレクションする行為に関してふと思う。わたしならば「石」だろうか。ひたすら惹かれる。鉱物や化石などといえばすこし聞こえはいいかもしれない。 大部分のヒトビトにとってはそのへんの石ころとなんら価値のちがいはないし、関心はごくうすいもの。むしろ重くて場所をとるやっかいもの。ミニマリストへの道を邁進中にどう整合性をつけるかなやましい段階にきている。収集物のもつ両面性。 きょうはこんな話。 はやりもの 小学生当時、時間のあゆみは永遠にちかいと思えた。このままずっとこ

コストパフォーマンスの高い秋の味覚をあるAIにたずねてみたら

はじめに AIをそれとなくつかってみる機会がそこそこある。くらしとしごとの両方で。後者では近々の蓄積してきた専門や関連分野の把握にもれがないかどうか知りたいとき。 AIは最近の情報には強い。一方でネット以前の紙のままの情報にはとうぜんだが基本的にうとい。「多言語に対応」とはいっても翻訳時のミスも無視できない。 そうしたデメリットを承知のうえで、くらしやしごとでぼんやりしたまま気づきにくいことがらについて、AIによるサポートをたまにこころみる。 きょうはそんな話。 サ

コンパクトに街ではたらくために中山間地の拠点のひとつを閉じる

(2023.10.23加筆あり) はじめに 中山間地の集落に2か月まえまでくらしていた。このところさまざまな点で支障が出て街へひっこしを決めた。さまざまなしがらみとともにしばらくはらたきつづけるためには最適解といえそう。 あらたなすみかにようやくおちつき、つぎの段階へすすむ。もとの借りていたこの集落の学習サポートの拠点を年末までにとじる準備にはいった。 きょうはそんな話。 十数年つかったしごと場 中山間地の集落。駅のそばに学習サポートの拠点をひとつもつ。通りに面してい

ヨハネス・フェルメールが17世紀後半にこんなにひかりをかんじられる絵を描いたなんて

はじめに はじめてみたのは中学校の美術のテキストだった。当時はフェルメールの絵に「なにかほかとちがう。」という印象。 西洋の絵画。時代ごとに描きかたのちがいや流行があると気づいたころ。彼とおなじ時代には宗教画や宮廷の貴族のようすをはなやかにえがいたバロック様式の絵がめだつ。それだけに彼の描く絵はどこか異彩をはなつ。 きょうはそんな話。 模写をして ヨハネス・フェルメールの絵にしっかりと興味をしめしたのはそんなに古くない。十数年まえのころ。ようやく美術の歴史を時代ごとに

ネット上で波長の合う記事との出会いは海岸でひとつのきれいな石をみつけるのににている

はじめに しばらくまえ、たびで支障がなければ手につつめるほどのちいさな石をひろいあげ、ポケットにしのばせて持ち帰っていた。もちろん持ち出してはならない場所ではない。なんの変哲もない路傍のごくありふれた石。くつのひもをむすびなおすしぐさとともにひょいとつまみあげる。 ふたたびおとずれるのはむずかしいなごり惜しさからの行動かもしれない。こうして各地のちいさな石たちを自宅のつくえのたなにならべる。ちょうどnoteであらたなお気に入りの文をみつけたときとにている。 きょうはそん

才能の芽をみつける・まわりで育てるきっかけや環境をバランスよくつくること

はじめに たくさんのわかい才能をひめたヒトに出会ってきた。職場の学習サポートに来る生徒たちはさまざま。きっとこのスポーツに生涯かかわるだろうなとか、適性に気づいて弁護士をめざしたんだと納得させられる日もあった。一方でかべに身をうちつけるようにまわりと反応しながらぶきっちょだなと感じさせる子もいる。 伸びざかりの生徒の立場を尊重しつつスムーズにバランスよくささえてのばしたり、すすむ方向をいっしょにみつけたり。できるやくわりはさまざま。保護者の方々をまじえて3者でのりこえてい