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わたしのすきな自然・いきもの・カメラ・絵

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むかしからひまがあると宇宙を空想して時間をすごす少年でした。ヒューとこがらしの冬にこたつでまどろみながらすごすのが無性にすきでした。その想いは年月を経たいまでも変わらない。その日…
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#絵

数十年まえに絵に描いた桜の木がいまもまだその公園にあった

(2024.4.8加筆) はじめに 生まれ故郷をはなれて数十年がすぎる。おとずれる機会はほとんどなかった。ところがひょんなことからその痕跡を知る。 きょうはそんな話。 同窓会で 遠くの大学にすすむため生まれ故郷をはなれた。旅立つまえに小学校のクラスの同窓会に参加。場所は小学校の家庭科室。そこで恩師にお礼をいいクラスメートに別れをつげた。 その帰りだったと思う。学校近くの公園にひとりで立ち寄った。級友たちと冬の日に雪合戦をしたり、すみのたいらな場所で三角ベースをしたり。

ひとことでいうと「若さ」のかんじられる絵をいいなと感じる

はじめに ふつう展覧会にいくと複数の絵を鑑賞する。するといつのまにか印象にのこるもの、おもしろいと感じられる作品が2,3点ほどあたまにのこる。がんばろうとかもっと生きようとするきもちをもらえる。いい映画をみたときとおなじ。 きょうはそんな話。 身近なところに 街にすむようになりちょうど1か月。あらたなすみかからほど近いところに古くからある美術館がある。それだけでない。このあたりは様変わりしつつあり、おおきな公会堂やいまどきめずらしい新しい本屋、古美術をあつかう店など駅前

もしかしたらひきたて役以上かもしれない額縁を見るために美術館にむかうこともある

(2023.8.29加筆あり) はじめに 絵を描いたり見たりでおちつける。たまに時間があると美術館や展覧会場にむかう。もちろん絵を見るのがおもな目的。それ以外に興味をしめすことがある。 きょうはそんな話。 絵とともに 絵を見るのはたのしい。風景や人物、そして身のまわりのものから空想画や抽象画まで。絵の対象はかぎりない。どんなテーマの絵でもとりあえず興味をしめして見るほう。なかにはそのせかいにひきこまれる作品に出会えることも。絵画それぞれのせかいの入り口に立ち、そこからな

ひろい空のひろがりにそらいろ、草木の生い茂るようすにみどりいろを塗らなくなってから

はじめに 学習サポートで生徒たちを待つあいだ、教える教科や科目の予習や準備が終わると絵を描く。家でぽっかり時間ができるとやっぱりそれに時間を充てる。画材はいろえんぴつやパステル。最近ではPC上に。それぞれクロッキー帳やパステル用紙に。 デジタルはもちろんだがいずれもほかの道具がいらず、おもいたったらすぐにはじめられる。 そんなときにふと気づいた絵の変化について。 きょうはそんな話。 あき時間に 学習サポートのしごとはどちらかというと昼間におつとめの方とくらべると変則

パウル・クレーの絵を模写してへやに額装すると日々いろいろと語りかけてくる

はじめに  模写はおもしろい。中学の美術で画家の特徴を実習で知ろうと企図しておこなう。先日も学習サポートにおとずれる生徒たちがやったと話していた。わたしも学生時代以降たびたび、そのときどきで興味の向く画家の絵を画集から選んで模写。 そのせかいにしばらくのあいだひたる。するとその絵のなかに画家が思い入れたものの片鱗がすこしだけ見えてくる。 きょうはそんな話。 画集をかりる  できてまもないちょっとわが家からはなれた公民館図書室。このあたりはこのところ開けて多くのヒトビ

はるかむかしの生命誕生からずっとさきの未来までをかんじられるジョアン・ミロの絵画

はじめに  中学のころだったかな。おそらくいまごろの時季。新学期に配られたばかりのインクのにおいのするまっさらな美術のテキスト。パラパラとめくるとおもしろいさし絵。変わったデザインを描く画家がいるなあとしばらく目がはなれない。 図書室で画集を探しあてる。それ以来、彼の絵にはいまもって惹かれる。興味のつきない画家のひとり。 きょうはそんな話。 絵への興味  世のなかには見たとおりでない絵を描く画家がいる。中学のころにそう思った。新聞の日曜版の大きな画面で毎週ひとりずつ