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わたしのすきな自然・いきもの・カメラ・絵

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むかしからひまがあると宇宙を空想して時間をすごす少年でした。ヒューとこがらしの冬にこたつでまどろみながらすごすのが無性にすきでした。その想いは年月を経たいまでも変わらない。その日…
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#わたしの野菜づくり

やさいのたねまきと苗の水まきを年中つづけられるたのしさ

はじめに やさいづくりをしていたころ、玄関先の軒下で苗をそだてていた。ここは適度に陽があたり風のとおりがいい。陽あたりと水やり、そして適度な風。これがそろうとよく育つ。 この場所ならば日々何度か出入りするのでそのついでに水やりできる。何年ものあいだとぎれることなくその習慣をつづけられる。 きょうはそんな話。 やさいをつくるには 基本的に苗を買わない。いずれも可能なかぎり種子を購入して蒔くところからはじめる。やさいをそだてるにはいい苗さえそだてられればさほどそのあとはむ

いちごの果実の表面の種子を蒔いて、ドロップのかおりのする果実が実った

(2024.3.18加筆あり) はじめに やさいづくりのかたわらさまざまな手にするくだものの種子を蒔くのがたのしくてしかたない。そのなかから最終的に果実をみのらせるのに成功した例から。 きょうはそんな話。 いちごを食べるころ 実際には真冬にはじめた。本来いちごの旬は今ごろ。クリスマスなど真冬のケーキにのっかっているのはごく一部をのぞいてあきらかに施設栽培でつくったもの。 露地で実るいちごがなつかしい。わたしは冬のさなかのいちごには興味がなくまず買わない。春に地元産のち

雪まじりの寒さのなかでかぶが発芽

はじめに こちらも8年まえの記録から。春にもかろうじてとう立ちするまえに収穫までこぎつけるアブラナ科のやさいがある。そのうちわたしのすきなのはかぶ。 これについて記したものがみつかったので、いずれ栽培するときのためにnoteに残しておく。ほぼ原文のまま。 さむさのなかで 寒さのなかで畑Bでかぶが発芽しました。このところはげしい雨や雪、風のなかでどうにか発芽しました。ながれてしまわぬようにねんのためビニールをかぶせて重石をのせておいたのですが、ビニールの1枚は遠くまで飛ん

やさいづくり備忘録:さむいさなかに春をかんじたのかはだか麦が伸びてきた

(2024.2.12加筆) はじめに 8年まえの記録から。当時、ふと麦を育てたくなった。えらんだのは実ったあとの脱穀の手間と、この土地への相性をかんがえて比較的あたらしい品種のはだか麦。 そだてたようすを記す文面からはじめて播種したときの試行錯誤の状況や期待感などがわかる。文章はほぼ当時の記録のまま。 観察していると 散歩で麦を見てきました。遠くからながめてもこの一画の若葉の緑が美しいです。晴天の陽ざしのなかで、若葉色がかがやいています。 ここに蒔いたのは倒伏しにくい

かぼちゃはつくりやすくすみずみまで利用できるすぐれもの

(2024.1.8加筆) はじめに これも以前のやさいをつくっていたころのこと。庭でもはたけでもスペースさえあればかぼちゃを蒔いていた。たいてい食べておいしかったかぼちゃの種子。それを水で洗い、表面のヌメヌメをとり乾燥させる。それをしかるべき時期に植えていた。 実がなると、種子まで利用。じつに食べがいがありそしてすみずみまで利用できてむだがない。 きょうはそんな話。 かぼちゃが手にはいると たいていかぼちゃはこれまで食べたかぼちゃの種子を蒔くことでまかなってきた。ほぼ

むかしながらのやりかたでさつまいもの芽出しとやさいの苗づくり:温床準備とはたけ作業

(2023.12.18加筆あり) はじめに 以下の記事は古い。7年まえのちょうどこの日。年がおしつまるころ、こんな作業をやっていた。このふりかえりは作業の時期と内容をわすれないため。いざなんどき農業を必要とする時期がこないともかぎらない。 なにも記さなくてもシーズンごとにやる作業のおおまかな手順はからだでおぼえていたはずなのに、年のせいかつぎつぎに忘れてしまいがち。ヒトからたずねられても確固としたかたちでつたえられない。しかもそれらのなかには祖先たちのやっていた動力や燃料

冬至のかぼちゃが待ちどおしい:かけあわせでうどんこ病につよいほくほくの西洋かぼちゃ風をつくってみる

(2023.12.11加筆) はじめに そろそろ冬至をむかえる。秋作のかぼちゃの味がよくなるころ。 安定してできるわけではないのを承知のうえで、あくまでもつくりやすく自家消費用として食べてもらえるかぼちゃをつくろうとおもった。手づくりでかけあわせて。 きょうはそんな話。 過去の話だが じつはいまは農業はやめている。先祖からかんがえると100年以上たがやしつづけたはたけ。中断するのはじつにもったいない。でもいまさらあとにはひけない。つぎのしごとのために街へとひっこした。

日が暮れるときよりも夜あけに時間がかからないこの季節のかわりめにでまわるはずのものが気になる

(加筆あり。2023.9.25) はじめに もうすぐ秋分の日。急速に日がみじかくなってきたとかんじる。あかるいあいだがみじかくなり惜しいにもかかわらず、ひるまは夏がいすわっているかのようにあつい。 秋のくだもののきせつのはずなのに例年とはようすがことなる。 きょうはそんな話。 季節感が… あきらかに秋がみじかくなっている。残暑のひとことでかたづけるにはくびをひねる日々がつづく。その一方で1日ごとに日がみじかくなるとかんじる。ちょうど夕方に生徒たちを出むかえるしごとのた

農業をやっていたころはつねに天候を気にしていたことをいまになって知る

はじめに しばしば出会うヒトと出会うとまずは天気を話題に。くわえてわたしの場合、起きて寝るまでいつもそらのようすを意識していると気づいた。 この習慣、農業をやりはじめた10年ほどまえから身についたようだ。はたしてそれ以前どうしていたか。ふいにヒトに出会うととたんに「きょうは・・・。」と無意識に口をついてでるほど。 きょうはそんな話。 そらを見あげる 種子のじかまきの時期。ちょうどこのころはよくしたもので数日おきに雨が降る。それを見こしてそれまでに土をたがやし、酸度の調整