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しごとにまつわる問題

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ヒトと出会ってはたらいて、それにともなうあれこれ。こころに浮かんだり、前むきに行動するきっかけだったり。つらつら記します。
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2024年6月の記事一覧

賃貸住まいのひとりぐらしでも月々の出費をさらに見直せないか

はじめに 食費に関しては健康を保った状態で定常的にいくらというラインを設けることになんとか成功。ほとんど意識せずふだんのままでプラスマイナス5%ほどに抑えられるまでに。さらにほかの部分を圧縮する余地がないかもう一段見直してみたい。まだ乾いたタオルをしぼる行為にまでは至っていないのはたしか。やってやれないことはない。 きょうはそんな話。 携帯電話+インターネット 3年ほどまえから通信容量制限なしの状態で契約。結局、安定した廉価な携帯電話1台をルーターとみなしテザリングでP

「わかりやすい」といわれることについての自己分析をやってみた

はじめに 機会あるごとに主宰する学習サポートに関して、保護者の方々を経由してどんなふうに受けとめられているのかおたずねした。すると「わかりやすい」という返答をよくいただく。お世辞をいただいているのはじゅうじゅう承知の上。自画自賛になってしまうと元も子もないが、異口同音にそう返答いただくのはなぜだろうと自問自答してみる。 きょうはそんな話。 気づいていないかも はやいもので学習サポートで何気なく教えつづけてかれこれ20年。そのあいだにカウントしたわけではないが地域の児童・

過渡期の学年の入試の英語はどうなりそうか予想してみた

(2024.6.25加筆あり) はじめに 今の中学生たちの英語の教科書のむずかしさはひとむかしからすると予想を上回るレベルかもしれない。そのめやすのひとつは英単語。学習サポートの生徒たち(中学生~高校生)のディクテーションやシャドウイングの練習は以前の高校生(前半部分)とおなじものがつかえるほど。 なにも極端なことをやっているわけではない。指導要領がそうなった。過渡期なのだと思い知らされる。教える方も意識の改革がもとめられそう。 きょうはそんな話。 教える内容とレベル

ものを手に入れるのはたやすいがあらたにスペースをつくるのは格段にむずかしい

はじめに 研究パートの職場。あらたな研究に着手しようとして必要な材料や機材をあつめてまわる。たりないとお願いして購入、生きものが対象なのでそれに適した試薬、用具をあれこれ手配する。そのあいだは場所の工面に右往左往することに。 きょうはそんな話。 さまざまな機材で埋まるへや ここは研究パートの研究室。いろいろなアイデアが湧いては消える。そのたびに手もちの機材や身のまわりの素材で適当なものを見つける。ないないと言いながらもそれなりにさまざまな実験器具があり、それなりのスペース

えんぴつ(シャープペンシル)の消耗が極端に遅くなった気がする

はじめに 手もとを見ながらふと思った。このところ文字を書く機会がほとんどない。同時に筆記具に無頓着になった。すでに何年ものあいだあらたな筆記具をまったく購入していない。そういえばえんぴつを手作業で削る作業は中学生のころから好きな作業で、心が静まりここちよかった。それを近ごろやっていない。 きょうはそんな話。 えんぴつが減らない このところ文房具をあまり使わない。つねに最低限必要なのはボールペンぐらい。先日ひさしぶりに宅配の何枚もかさなったカーボンの用紙に押しつけつつ記入

授業後のそうじをさっさとすすめてしまうほうだった

はじめに なにもまじめにやろうとしていたわけではない。授業後の教室のそうじ。のんべんだらりといつまでかかるか知れないままより、はやくつぎのたのしいことやもっとやりたいことへ早く移りたいから。 かといってヒトにそれをうながすわけでもない。無言で手早くやったほうがいい。ただそれだけ。それはどの段階の学校でもおなじだった。 きょうはそんな話。 どう思われようと 授業時間がおわるとそうじの時間。わたしが学齢だった頃は自分たちで身のまわりをキレイにするならわし(いまはどうか知ら

高校生の学習をサポートした延長線上に研究に活かせるものがないかと模索している

はじめに 小学生から高校生までの学習サポートしてきた。もう20年になる。なんとか食べていけてそろそろ潮時をむかえたか。その一方で研究パートのしごとのほうに重心を移しつつある。ほぼボランティアにちかく、まったく報酬などはあてにしていない。 あまりに陳腐なこのクニの研究環境をすこしでも下からささえる役割ができるなら本望とお手伝い。失礼な言い方になってしまうかもしれないがここにはじゅうぶんなお金も人手もいない。これまでやってきたみずから学ぶ方法を学生さんたちに伝え、さらにその先

食べものとそれ以外の部分の区別がここ十数年で代わりつつあると考えた

はじめに 日ごろ口にいれる食品。一時期は自らの手でつくっていた。そしていまはその多くを買っている。買うのと自らつくるのでは正直いうとあつかいや見方にちがいがあった。たとえると運転者と歩行者ほどの立場のちがい。それが変わりつつある。 きょうはそんな話。 食べものをつくる やさいや果物を6年あまりつくっていた。つくりそだてるあいだにいろいろなことがある。途中で枯れたり、山からおりてくる動物たちや鳥たちから見るも無惨なすがたにされてしまったり。これとて向こうは生きるのに必死。