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ドルアーガの塔の『31階』の思い出 ─40周年に寄せて

小学生時代から生粋のゲーセン少年だった僕にとって、ナムコという会社はとにかく特別な存在だった。

『ゼビウス』は言うに及ばず、『マッピー』『リブルラブル』『グロブダー』など、まだまだシューティング全盛だった時代に他のメーカーとは一線を画す自由な発想のゲームを次々と打ち出していた。

当時のゲーセン中学生たちへの影響力たるや、もはやゲームを超えて一つのカルチャーとでも呼ぶべき存在だった。
殊に、ゲームセンターで時々頒布される『NG』というナムコの広報誌があったのだが、僕たちはこれが欲しくて欲しくて仕方がなかった。
「お前の分ももらっといたよ」なんて言ってくれる友達が現れた日には、その場で義兄弟の盃を交わしたくなるほど篤い友情を感じたものだ。


今から40年前の今日、まったく何の前置きもなく、そのゲームは突然僕たちの前に現れた。
1984年。僕たちが待ち焦がれた、ナムコの新作ゲームだった。

そのゲームはマッピーと同じ2画面スクロールのゲームで、茶色のレンガ敷きに「いかにも迷路」といった感じの画面は、はっきり言ってかなり地味だった。

引用(https://www.famitsu.com/news/202207/20268907.html)

だが、僕にはわかっていた。僕は知っているのだ。このゲームは僕たちが信じる、あのナムコの最新作だ。たとえ自分のことは信じられなくても、ナムコのことは信じて大丈夫だ。たとえ見た目は地味でも、遊べば面白いに決まっている。そう、決まっているのだ。そんな確信と共に、僕はゲーム機に50円玉を投じた。(近所のゲーセンは1プレイ50円が相場だった)

僕はすぐに考えを改めた。
「このゲームは俺には合わんかもしれん」

無理もないのである。
キャラの動きは異様に遅く、やることと言ったら鍵を取って扉を開けて上の階に行くだけ。
何かすれば宝箱が出るらしい、くらいの事前知識はあったが、アクション性がかなり特殊で難易度も高く、この状態で謎解きなど到底やれる気がしなかった。

これが、僕と『ドルアーガの塔』の出会いだった。


『ドルアーガの塔』を知らない人のために、簡単に説明をしておこう。

プレイヤーは『ギル』という名の騎士を操作して『ドルアーガの塔』を昇り、最上階に囚われている巫女の『カイ』を救出するのが目的だ。
各階は鍵を取って扉を開けばステージクリアだが、件の通り隠された宝箱があって、謎を解き明かしてこれを手に入れる必要がある。

謎解きはかなりクセが強く、操作自体は4方向レバーと1ボタンだけのシンプルなゲームだが、その操作で思いつく限りのありとあらゆることを求められる。
一例を挙げると、「レバーを右回りに3回回す」とか、絶対にわかりっこないしわかったところであまりの無根拠さに「どおおじてだよおおお」と藤原竜也のモノマネの一つもかましたくなる。今風に言えば「無理ゲー」だ。そんなわけで僕のゲーセン仲間たちも、このゲームには次第に手を出さなくなってしまった。

無理もないのである。
当時僕たちは中学二年生で、1日に遊べるゲームの回数はほんの数回程度だった。その大切な投資をこの不条理難易度のゲームに捧げるのは、まったく割に合わないことだったから。


この頃の僕たちが通っていたのは、平塚の片田舎にある『24』というゲームセンターだった。なんで『24』という名なのかは今でも知らない。開店当時は24時間営業だったのかもしれない。

それから半月ほど過ぎた頃だったろうか、ゲーセン仲間の一部が、あのゲーム──『ドルアーガの塔』の周りに集まり始めていた。すっかり心が離れてしまっていた僕は、その集まりを遠巻きに眺めていた。
しかし、ギャラリーは日増しに増えていく一方で、だんだん気になり始めてきた僕は、人垣を掻き分けるようにゲームプレイの様子を盗み見た。そこで見たのは、なんとも言えず異様な光景だった。

プレイをしているのは、ゲームが一番上手なことで定評がある近藤君だけ。他の人はお金を出して近藤君にプレイをしてもらい、何やらルーズリーフに熱心に書き込んでいる。これまで、ゲームセンターでこんな光景は見たことがない。
そして、一日に何度か大きな歓声が上がる。それは、未知なる謎が解けて宝箱が現れた瞬間だった。

根が単純な僕は、気づけばすっかり人垣の一部になっていた。
自分のゲームプレイのための50円玉も近藤君に託して、『ドルアーガの塔』の謎解きにすっかり夢中になった。


『ドルアーガの塔』の謎解きは、知れば知るほど難解、かつ厄介だった。

たとえば、上位の階で宝箱を出すためには、その下位アイテムを所持していることが条件だったりするので、基本的には全部の宝箱を取らなければならない。だというのに、中にはマイナス効果のアイテムも紛れ込んでいたりする。
さらにタチが悪いことには、本当にごく稀にだが、宝箱が出ないフロアも存在する。

このゲームは、直感や思い付きで攻略できるような生半可なゲームではない。
徹底した調査と研究、飽くなき探求心と確かな技術力があって初めて攻略が叶うゲームなのだ。
その常軌を逸した高すぎる難易度に、僕たち中学生の攻略意欲はたまらなく掻き立てられた。そして、この時点に至って、僕はつくづくこう思い知らされた。

「ナムコのゲームは、やっぱ最高!」


さらに一ヶ月ほどが過ぎ、僕たちは完全に煮詰まっていた。

どこでどう詰まっていたのか詳細は忘れてしまったのだが、とにかく僕たちはラスボスの『ドルアーガ』を倒すために必要な『ブルークリスタルロッド』の入手方法がわからずに詰んでいた。

僕たちは、ほとんどのフロアの宝箱の出現方法を既に解き明かしていた。攻略のルーズリーフは幾度となく書き直され、今ではかなり正確な資料として完成しつつある。
しかし、どうしても宝箱を出現させられないフロアが、まだいくつか存在していた。『ブルークリスタルロッド』を入手できないのは、それらのフロアのいずれかに原因があるのだろうと僕たちは考えていた。

そんな中でも特に謎が深かったのは、フロア31の宝箱である。
僕たちはこれまで、フロア31でできるであろう、ありとあらゆることをやり尽くしていた。それでも、宝箱は姿を見せる気配すらない。もしかしたら、このフロアは稀にある宝箱が存在しないフロアなんじゃないかと思うほどだった。
そんな膠着した時間が、それからまた一ヶ月ほど続いた。

これを読んでいる若い人が不思議がるといけないので前提情報を書いておくと、この時代にインターネットがないのはわかると思うが、それどころか、まだこの世に『攻略本』という概念すら存在しない時代の話だ。
そんな時代に、この難易度である。『ドルアーガの塔』がどれほど鬼畜硬派なゲームであったか、察してもらえたら幸いだ。


ある日、一つの未確定情報が僕たちの界隈に舞い込んできた。

「横浜のゲームセンターで、フロア31の宝箱を出しているのを見た」

その日ゲーセンにいた10人ほどは、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
宝箱が存在しないのではないかという説は、これで完全に打ち消された。
フロア31の宝箱は、確かに存在するのだ!
しかも横浜辺りじゃ、その出し方も判明しているのだ!

僕たちは一頻り盛り上がった後、一転して全員表情を曇らせた。
理由は簡単だ。横浜に行けば、フロア31の宝箱を出す方法を知ることができるのかもしれない。しかし、当時の平塚に住む中学生にとって、横浜は宇宙にも等しいほど遠い場所だった。自分の意志で横浜に行ったことがある人間など、当時の平塚の中学生には一人もいなかった。(やや誇張)

「横浜……」

言葉ともため息ともつかないような声で、誰かが言った。
あまりのハードルの高さに僕たちの心は再び折れかけ、皆うなだれてしまった。
瞳の奥の光は、完全に消えかけていた。

「……行こう」

誰かが言った声に揺さぶられ、僕たちは顔を上げた。
そして、互いにそれぞれの顔を見合った。どの顔にも、不安と期待が複雑に入り混じっていた。

「行こうよ。横浜へ」
「……行けるのかな、俺たちに」
「もう中学生なんだぞ。行けるよ……絶対!」

瞳の奥の光が、再び静かに灯る音が聞こえた。
全員で横浜へ行こう。そして、フロア31の謎を必ず持ち帰ろう。
僕たちは再び盛り上がり、お互いに肩を叩いてそう誓い合った。


1984年当時の東海道線の平塚⇔横浜間の運賃は、たぶん往復1000円くらいだったんじゃないかという気がするが正確なところはわからない。(わかる人いたら教えてください)

わかることは、それは僕たちにとって途方もない大金だったということだ。
金策はそれぞれで、親にもらった昼のパン代を使わずに貯めた人もいたし、家の手伝いを条件にこづかいを前借りさせてもらっていた人もいた。
とにかく僕たちは一週間後、全員で横浜に向かう東海道線に乗り込んだ。

ついに辿り着いた横浜のゲーセン。そこは、平塚の場末のそれとはまったくの別世界だった。店の広さも圧倒的、ゲーム機の数も見たことがないくらいの種類が並んでいる。
完全な精神的アウェイの僕たちにとって、年上の客も多いその場所は恐ろしく危険な場所として映っていた。僕たちは内心ビクビクしながら、『ドルアーガの塔』の在処を探した。

すぐに見つけた『ドルアーガの塔』は、帽子をかぶった高校生くらいの人が遊んでいた。これは本当にラッキーだった。彼が相当な手練れプレイヤーであることは、醸し出している雰囲気だけで容易に窺い知れたからだ。

当時の『ドルアーガの塔』にとって、自ら謎を解かずに人のプレイを盗み見ることはタブー、言わばカンニングのような背徳行為と捉える人は多かった。だから、僕たちも群れになって人のプレイを凝視するようなことはできなかった。
僕たちが取った作戦はこうである。全員がそれぞれチラッと様子を伺っては離れる。これを繰り返す。そう、ヒット&アウェイ作戦だ。

高校生の彼は、まだゲーム序盤だった。フロア31に辿り着くまでは、時間がある。僕たちは、蝶のように舞い蜂のように刺すヒット&アウェイをくり出し続けた。
フロアは28になり、29になり、30になった。次がフロア31という段階になって、完璧だったはずの僕たちの編成は一気に乱れた。みんな結局、フロア31の宝箱が出る瞬間が見たいのだ。
ゲームがいよいよフロア31開始となった瞬間には、僕たちの大半がゲーム機を囲むような状態になってしまっていた。

高校生の彼は、きっと僕たちの存在にとっくに気づいていたのだと思う。そして恐らく、僕たちの知りたいことがフロア31の宝箱の出し方であることさえ、彼は知っていたのだろうと思う。

ゲーム画面がフロア31を映した次の瞬間、高校生の彼は全身を使って大きく動いた。
彼の動きに呼応して、ゲーム機も一瞬ガタッと揺れた。
その瞬間、歓声が上がった。
画面上に、宝箱が現れたのだ!

このゲームの仕様で、宝箱は必ずプレイヤーの初期位置に出現する。彼の行動があまりにもゲーム開始直後だったせいで、フロア31の宝箱は出現した瞬間に取得され、一瞬で消えた。
しかし、宝箱が出たことと、ギルがそれを取ったことは、僕たちにもはっきり認識できていた。


動揺を隠しきれない僕たちは、一度その場から離れブリーフィングを開始した。

──彼は今何をした?

確かに彼は一瞬、大きく身を躍らせた。しかし、それはあまりに一瞬すぎて、その行動を分解できなかった。
フロア31の宝箱の出し方について、正確に把握できた人は一人もいなかった。

僕たちは呆然とした。
千載一遇の大チャンスを逃してしまった。
このまま待ったところで、再び誰かがフロア31の宝箱を出す場面に立ち会える保証もない。
わざわざお金を貯めて横浜まで来たのに、何の成果も得られず帰る羽目になるのだろうか。

メンバーの一人の駒形君が、意を決したように言った。
「俺……、聞いてくるわ」
彼のその勇気ある提案に対して、反論できる人間などいるはずもなかった。

僕たちは高校生の彼がゲームを終えて席を立つのを待ち、彼の後を追って話しかけた。
「あ、あの……、すいません」
高校生の彼は振り返った。
「僕たち、31階の宝箱の出し方が知りたくて、平塚から来たんです。
 さっきの宝箱の出し方、教えてもらえませんか」
一息に言い切った駒形君の声は震えていた。
後ろに控えて並んでいた僕たちも、全員彼に頭を下げた。

高校生の彼は、一瞬困ったような顔をした後で、
「え…、わかんない」
小さな声でそう言い、去っていった……。


帰りの東海道線の記憶はない。
僕たちは全員肩を落として、何も話す気になれなかったような気がする。

平塚に帰った僕たちは、翌日からまた『ドルアーガの塔』に挑み、高校生の彼がやったのと同じように、全身を使ってガタガタとやった。
わかっていることは、「ほんの一瞬の何らかの操作で宝箱が出る」ということだ。しかし、何をやっても、フロア31の宝箱が出ることは一度もなかった。

僕たちのルーズリーフにはただ一言、こう記された。
「瞬間的に××する」と……。

引用(https://www.famitsu.com/news/202207/20268907.html)

さてさて、『ドルアーガの塔』の思い出話は、以上となります。

この話も語るなら今日をおいて他にないと思ったので、慌てて昨日から書き始めました。『ドルアーガの塔』、40周年おめでとうございます!

一気に書いたので文章がちょっと雑ですが、その点はご容赦ください。
決して去年書いた「ファミリーコンピューターの思い出」が、多くの人に読まれたことに気を良くしたわけではありません。(でもよかったら是非こちらもお読みください)

これはもう歴史が証明していることですが、『ドルアーガの塔』は、その後の世界のアクションRPGの礎となった傑作中の傑作です。
このゲームがきっかけとなって多くのゲームが生まれたし、多くのゲームクリエイターもまた生まれました。
文中でも少し触れましたが、まだこの世には『攻略本』という概念すらなかった時代で、実は最初の攻略本が生まれたのもこのゲームがきっかけだったりします。

あの時代に、情報共有のための人流までデザインされていたのだから、本当にディレクターの創意には感服するばかりです。
僕も完全に狙い通りに動かされた、チョロい中学生の一人でした。

このエピソードから何十年も先の未来で、僕は『ドルアーガの塔』のディレクターの遠藤雅伸さんと知り合いになって、何度か一緒に食事をさせていただく機会がありました。

ドラクエが好きな遠藤さんには色々と目を掛けていただいて、『ゼビウス』や『ドルアーガ』の開発当時の話もたくさん聞かせていただきました。でも、この話は遠藤さんにしたことがなかったですね。次にお話をさせてもらうときには、ぜひゆっくりこの話を聞いてやってください。

やれやれ、短くまとめようと思ったのに、結局長くなってしまいました。
でも、これもどこかで話しておきたかったエピソードなので、こうして一本の記事にできて満足です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

え? フロア31の宝箱の出し方ですか?
それは当然、「え…、わかんない」で(笑)。

どうしても気になるという人は、是非自分で検索してみてください。
いいじゃないですか。今はインターネットがあるんだから。

2024.7.20
藤澤 仁

【画像引用】
https://www.famitsu.com/news/202207/20268907.html


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