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『悪魔のゲーム』─ファミリーコンピューターの思い出

40年前の今日に何をしていたのか、僕は明確に覚えている。
僕は平塚の忠実屋まで、予約していたファミリーコンピューターを受け取るために、嬉々として自転車を漕いでいた。

当時ゲーセン少年だった僕は、家でいくらでもテレビゲームが遊べる夢の8ビットマシンの登場に衝撃を受け、その発売を店頭チラシで知ってから、地道にこづかいを貯め続けていたのだ。
貧乏な中学一年生にとって1万4800円(消費税なんてなかった)は目も眩むほどの大金だったが、それが確実に効率の良い投資であることは明らかだった。

何かを予約して買うなんて初めてだったと思うし、僕は浮足立って家路についた。
こうして、グレーコードに四角ボタンの初期ロットファミコンを手に入れた僕は、同時に一本のゲームを購入した。
ファミコンのローンチタイトルなんて知っている人のほうが稀だと思うが、『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』の3種類だ。

僕はこの中から、迷わず『ポパイ』を選んだ。
理由がある。
当時、これらのゲームはすべてゲームセンターにアーケード版があって、僕はどれも遊んだことがあった。
そんな中で、ポパイというゲームは、なんだか異彩を放っていたのだ。

当時のゲームは、どれも操作キャラが小さいのが当たり前だった。
ドンキーコングにおけるマリオ(ジャンプマン)やパックマン、ペンゴなど、操作キャラは画面に対して小さいというのが、何かの不文律でもあるかのように決まりきっていた。
しかし、このゲームの操作キャラのポパイは見た目が大きく、ブルート、オリーブといったキャラクターも、まるでアニメの中から飛び出してきたのかと思うほど忠実に原作を再現していたのだ。

当時の僕はこの圧倒的な完成度に感銘を受けていて、最初のゲームをポパイにすることにはなんの迷いもなかった。

この後、ファミコンはとんでもないヒット商品になり、店ではなかなか買えない状態が続いた。
直後の夏休みに僕は人生で一度きりの転校を経験しているのだが、新しい環境、新しいクラスにおいて、「ファミコンを持っている」ということは大きな意味を持っていた。
僕の家はたちまちサロンになり、毎日5~6人の友達がやってきては、順番にポパイで遊んだ。
ファミコンのカセットは差し替えられることなく、来る日も来る日もひたすらポパイだ。なにしろソフトはこの一本しかない。

ファミコン版のポパイを初めて遊んだときの感想は、正直言えば、軽い失望を覚えたと思う。
アーケード版と比べて、ファミコン版のポパイはなんだか一回り小さかったのだ。
「思ってたのと違う……」と思いはしたが、それは最初だけだった。
ゲームとしての完成度は非常に高くて、遊んでも遊んでも、ポパイの楽しさが尽きてしまうことはなかった。

とはいえ、そんな状態が数週間も続くと、どれほど優秀なゲームであろうとも、さすがに飽きてくる。

僕らの周りにも、そんな嫌な空気がじわりと広がり始めていた。
それは別に僕のせいではないのだが、やはり家に招いている手前、その空気になんとなく申し訳なさのような感情も抱き始めていた。

そんな時、僕はある画期的な発明をするに至った。
それは、この良作ゲームを「悪魔のゲーム」へと変貌させてしまう恐ろしい発明だったのだが、その話は後でするとして、まずはポパイというゲームのあらましから説明しよう。

プレイヤーはポパイを操作し、愛しい人であるオリーブが天井から好き勝手にばらまくハート(2面は音符、3面は文字)を拾い集める。
それを一定量集めるとステージクリアとなって、次の面へと進む。

当然ポパイを邪魔するキャラが存在して、最凶なのが同じマップ内を徘徊しているブルートだ。
ブルートは体が大きくて、キョロキョロと辺りの様子を探りながら確実にポパイを追い詰めてくる。
ポパイは一応パンチが打てるのだが、どういうわけかこのパンチはブルートには効かず、ポパイは弾き飛ばされて海の藻屑となってしまう。

そんな最弱ポパイの逆転の一手は、作品ではおなじみのほうれん草だ。
マップの端のほうれん草を食べるとパワーアップし、この状態の時だけはブルートを弾き飛ばすことができる。

まあ大体そんな感じのゲームだ。

話を戻そう。僕が考案した画期的な発明についてだ。
僕はこの役に立たないパンチに、大いなる可能性を見出した。

ハートを一定数集めると面クリになるというのは件の通りだが、リザルト画面を表示している間、各キャラの動作が停止する。
ある頃から僕たちは、「パンチを打っているポーズでリザルト画面を迎える」ということを狙うようになった。
つまり、最後のハートを取る瞬間に、絶妙なタイミングでパンチをくり出すわけである。
それはゲームの主旨とはまったく関係がなく、決めたところでなんのメリットもないのだが、それが決まると周囲からは称賛の声が上がるようになった。

「おおー!」
「すげえ、3回連続じゃん!」
「美しい……」

みたいな調子だ。

僕たちは、このパンチポーズでリザルト画面を迎える状態を「美しいフィニッシュ」と名付け、いつからかそれを目指すことに夢中になり始めた。

動画を漁っていたら、AC版で「美しいフィニッシュ」を決めている動画があったんですが引用しないでおきます。気になる人は探してみてください。

その日、たまたま家にはキャラメルコーンが一袋あった。
親が買い置きしてくれていたものだったのだろうと思うが、四六時中腹をすかせている中学一年生男子の群れのおやつとしては、さすがに物足りない。

そこで、僕はこんなルールを考案した。

「美しいフィニッシュを決めたら、キャラメルコーンを一粒食べてよい」

この極めてどうでもよさそうなルールが、色褪せ始めていたポパイというゲームに一気に彩りを復活させた。
僕たちはキャラメルコーンというインセンティブを目指し、「美しいフィニッシュ」を決めるために全神経を研ぎ澄ました。

「美しいフィニッシュ」を決められたときには、誰もが跳ね上がって喜びを表現した。
傍から見たら完全に猿の集団だったと思うが、そんなこともお構いなしに僕たちは心の底から喜んだ。
決められなかったときには、床に転げ回って悔しさを表現した。

(引用)https://gbttf.com/caramerucon/

こんな即興ルールのゲームでも、技量の差は歴然と出るものだった。
中でも哲ちゃんは、今風に言えば完全にフレーム単位で見切っていて、ほとんど確実に「美しいフィニッシュ」を決められるスキルを持っていた。

やり込みが進むと、みんなもそれなりに勘所を掴み始め、最初のうちは「決まったらスゴイ」くらいの頻度だったものが、いつからか「はずすと恥ずかしい」という頻度へと変わっていった。
そんな調子だったので、インセンティブのキャラメルコーンも、すぐに袋の底のピーナッツまで食べ尽くしてしまった。

やむを得ず、しばらくインセンティブなしの状態でゲームを続けたのだが、一度インセンティブありの味を覚えてしまった僕たちにとって、それはひどく空虚に感じられるものになってしまった。

しかし、僕たちはもっと「美しいフィニッシュゲーム」を遊びたかった。
どうしたものか……。

困り果てた僕たちは、次第に取り返しのつかない方向へと舟を漕ぎ始めてしまう。

何かないかと台所を漁っていた僕は、父親が買い置きしていたコーヒー豆を見つけた。
袋を開けると豆は挽いていない状態で、ふわっと大人っぽい香りが漂った。

「コーヒー豆しかないよ」
「それは食べられないの?」
「どうなんだろ」

確かに匂いはよく、見た目も麦チョコみたいで美味しそうではある。
もしかしたら食べられるのかもしれない。
僕は一瞬そんな錯覚に取りつかれた。

すると、純一君はコーヒー豆を一粒取り、口へ放り込んでガリッと噛みしめた。
まったく、男子中学生というのは愚かである。
純一君は次の瞬間、顔色を変えてゴミ箱まで走り、噛み潰したコーヒー豆を吐き出していた。

その様子がちょっと芝居がかって見えたこともあって、僕はむしろ興味が湧いてしまった。
なので、僕も続いて、コーヒー豆を齧ってみた。

その瞬間、口の中いっぱいに苦みが広がり、僕も慌ててゴミ箱まで走ることになった。
本能が「これは食べ物ではない」と全力でアラートを出していた。

ゴミ箱にコーヒー豆の残骸を吐き出しているとき、僕の頭の中で悪魔が微笑んだ。

おいしそうじゃない?

「ここからは、美しいフィニッシュを決められなかったら、コーヒー豆を食べるってのはどう?」

完全に正気を欠いた提案だ。
だが、このルールを受け入れさえすれば、僕たちはまだ「美しいフィニッシュゲーム」を続けられる。
僕たちは、それほどこのゲームでもっと遊びたかったのだ。

「……よし、やろう」

誰かがそう言うと、みんな次々に頷いた。
こうして「美しいフィニッシュゲーム」は、成功を讃え合う美しいゲームデザインから、失敗が許されない悪魔のゲームデザインへと生まれ変わってしまったのだ。(※一応言っておきますが、これは若き日の過ちの話なので良い子は決して真似しないように)

「悪魔のゲーム」がついに始まった。

ルールにもアレンジが加えられ、3面までクリア、すなわち3回連続で「美しいフィニッシュ」を決めれば罰ゲーム(コーヒー豆)は免除される、となった。

最初の挑戦者は、これまでほとんど完璧に「美しいフィニッシュ」を決めてきた哲ちゃんだった。

哲ちゃんなら余裕で3連続成功だろう。
誰もがそう思っていたが、哲ちゃんはまさか1面で、いきなり「美しいフィニッシュ」をはずしてしまう。

ファミコンの置かれた和室が、一気にどす黒い空気に包まれる。
僕は恐る恐る哲ちゃんの顔を覗き見ると、ひどく引きつった笑いを浮かべていた。

哲ちゃんはしばらく俯いた後、なんだか言葉になってない声を漏らしながら、コーヒー豆を一粒口の中に放り込み、奥歯で噛みしめた。

「ぐっ…うぁ……」

哲ちゃんは呻き声とともに、ゴミ箱の方へと走っていった。

次は僕の番だった。
僕たちは今日まで、ずっとポパイだけを繰り返し繰り返し遊んできた。
だから、全員とっくに達人級の腕前で、通常のゲームでミスることはほとんどなかった。
だが、僕はその1面でしくじり、ポパイを海に沈めてしまった。

「こ、こういう場合は……?」

純一君が、冷徹に言った。

「ノーカンで。ただし、3面クリア前にゲームオーバーになったらコーヒー豆」

次々に書き加えられていく新ルール。
純一君の声は、地獄を見てきた者だけが醸し出せる迫力に満ちていた。

ルールに救われた僕は、なんとか1面、2面と「美しいフィニッシュ」を決めてみせた。

「おお……」
「さすが持ち主」
「お見事」

さっきまでとは打って変わり、称賛の声も静けさに満ちている。

しかし、3面クリアのタイミングで、僕はとうとうプレッシャーに負け、「美しいフィニッシュ」をはずしてしまった。
しばらく凍り付いた後、僕は再びコーヒー豆を噛みしめることになった。

……そんな調子で、僕たちはそれから1時間くらいは「美しいフィニッシュゲーム」を続けたと思う。

全員2~3回は罰ゲームをくらい、みんなすっかり意気消沈して言葉少なになっていた。
このゲームを続けることに誰もが疑問を抱き始め、やがて自然と霧散するように、この日は解散となった。

毎日来ていた友達もそれから足が遠のき、数か月後に『マリオブラザーズ』を買うまでの間、しばらく僕の家は静かになった。

「ファミコンの思い出」と言われるとまっさきに思い出すのがこの日のことで、自分にとっては苦い思い出です。色んな意味で。

ワイドショーとかで、「何が少年たちを凶行へと駆り立てたのでしょうか」みたいな常套句を聞いたときも、やっぱりこの日のことを思い出します。
少年の思い込みって怖いですね。
繰り返しますが、コーヒー豆を食べるのは危険なので本当にやめましょう。

しょうもない割に長くて恐縮ですが、いつか誰かに話してみたいエピソードではあったので、今日しかないと思って書いてみました。
「これが自分のゲームデザインの原点です」みたいな話に持ち込むつもりはないんですが、もしかしたら報酬設計の大切さくらいのことは、この日に学んだかもしれません。

当時のことを思い返しながら書いてるうちに、改めて自分の人生におけるファミコンの存在って大きかったなあと、しみじみと感じました。

あれから40年。
気がつけばゲームを作ることが仕事になって、人生における楽しいこともしんどいことも、いつもゲームと共にあったような気がします。

歳を取ってゲームとの付き合い方もかなり変わってしまったけど、あの日の変な熱狂は今もずっと心の中で疼いたままです。

ファミリーコンピューター発売40周年、おめでとうございます。
ゲームはやっぱり面白い!

2023.7.15
藤澤 仁

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