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【善とは?】愉快の選択

善とは何なのか?

安心・愉快・幸福を明確に。
不安・不愉快・不幸を明確に。

幸福への道を歩くために、
とても重要な哲学です。

※私の価値観で書いたものですので、
誰にでも当てはまる内容ではありません。

そして私の善、価値観は、
常に変化します。

それではよろしくお願いします。☺︎

◇善とは?

○○○ペディアによると、
善とは、

道徳的な価値としての良さ。
多くの人が認める社会的な存在。
所属する集団のルール。

とされている。

つまり、
社会の中の道徳。
である。

果たしてこのまま

社会の中の道徳、
お金を持つ人が偉い常識、
その人達が作る規則、

これらを善として、
幸福を感じられるのだろうか?

国際連合の調査では、
豊かな日本でさえ、
40%以上の人が、
幸福感が低い。
という結果が出ている。

つまり、
皆が認知されている善とは、
社会的に都合の良い善である。

ここで学べることは、
多くの人が目にする情報を
そのままインプットせず、
自分で考え、確かめ、
真実を知ることである。

真実は、
多くの人が認める社会的な存在。
ではなく、
多くの人が認めざるを得ない社会的な存在。

それが一般的に認知されている善のあり方。
である。

それは、幸福感が偏っている
格差社会そのものである。

この社会に安心し、
愉快に感じる人もいる。
しかし、
この社会に不安で、
不愉快に感じる人もいる。

社会的なことだけを善としてしまうなら、
人は幸福を感じられないだろう。

つまり人は、
「社会的な善」
以外も善としている。

それは
「個人的な善」
である。


◇社会的な善・個人的な善

人は、
社会的な善、
個人的な善、
それぞれに価値観がある。

どちらにも共通する
善の基準は、

好ましい。
価値がある。
気持ち良い。
心地良い。
楽しい。

である。

例えば休日に、

仕事・副業・学習・ボランティアなど、
社会にとっての善を優遇する人もいれば、

ゲーム・アニメ・ドラマ・映画など、
個人にとっての善を優遇する人もいる。

どちらを優遇するかの価値観は、
人によって違うのだ。

ここで、
善をまとめられることがわかる。

善とは、
社会にとっての善、
個人にとっての善、
どちらにせよ、

個人が愉快に感じる
ことを選択して
幸福を感じる。

である。

つまり、善とは

「個人が選択して愉快に感じるもの」

社会に評価されていない人であっても、
善意を持って生きている。

そして善によって幸福を感じられる。

◇善は人によって違う?

社会的な善は、認められることに重点を置き、
個人的な善は、認めることに重点を置く。

人は、
認められることを求め、
認めるものも求める。

善を作るのは、
愉快に感じた経験と、
不愉快に感じた経験である。

善は、経験や環境によって変化する。

よって統一される事はなく、

善は人によって違う。

大多数が愉快であっても、
少数が不愉快である事は、
大多数の善であり少数の悪である。

全てのものに対する善とは、
全てのものが愉快存続できる事である。

全てのものの善と悪は違う事によって、
善悪は全てに統一される概念ではない。


◇善の選択

善とは個人が選択して
持続される愉快であることから、
愉快な選択を存続できることこそが
善の近道である。

愉快を選択した時の短期的な善と、
選択した後に多く不愉快となる事もある。

例えば、
楽して稼げると思った仕事が、
苦労して稼げなかった。
ということである。

それは短期的な善と長期的な悪である。

全てを善にできる事は不可能である。

より多くの愉快の選択肢を持つ自分を知り、
より多くの愉快を選択できる環境を知る事で、
より長く善を存続させられる。

人は選択肢を多く持っている。

だが選択できる選択肢の中に、
不愉快しかない事もある。

必ずしも善を存続する事はできない。

だが、選択ができる自由はある。

人は常に選択肢を多く持ち、
より愉快に感じる事を選択できる。

多くの場面で愉快を選択できる事を
愉快だと理解し、

より良い愉快を選択するのが善への近道
である。

◇善のまとめ

◇善とは?
「社会的な善」
「個人的な善」

◇社会的な善と個人的な善、まとめると?
「個人が選択して愉快に感じるもの」

◇善は人によって違う?
「環境や経験で変わり、人によって違う」

◇善の選択
「より良い愉快を選択するのが善への近道」


結局のところ善とは、
社会的なものであっても、
社会的なものでなくても、
自分で選択をするものとなった。

つまりは、
個人的に選択できるものなのだ。

自分の価値観で自分で選び、
人それぞれ違って良い!
自由で良い!
ってことですね。

気づいたんですが、
私は何について考察しても、
毎回同じようなまとめになっています。笑

長くなりましたが、
まとめていきます。


個人的な善を大切にする。
個人的な価値観を大切にする。
(これは自分のみならず。)

善を追い求めれば、
いずれは、
多くの幸福を選択できる
環境に辿り着く。

自分が個人的な価値観・善を選択した時は、
人に嫌われることもある。
嫌われる勇気を持つこと。

自分の善を選択し、
発言と行動に移す。

自分で選択したという自覚を持たなければ、
不愉快に感じる事は多くある。(我慢してる時)

そうやって誰かに合わせて
嫌々生きるままでは、
環境は変わらない。

自分が選んだんじゃない。
自分は悪くない。
だから仕方ない。
それじゃ善は選べない。

大切なのは、
常に自分で選択している
という自覚を持つ事。

自分の意思で考え、
自分の善を求め、
選択することで、
もしも他者が不愉快になり、
自分も不愉快になったとしても、
自分にとっての愉快と不愉快や、
他者にとっての愉快と不愉快が、
どうして起きるかを知る事ができ、
その後、より良い判断ができる。

自分が善だと思って選択したことが、
不愉快な結果だったとしたら、
自分を改善しなくてはならない。
辛いこともある。
しかし、よく捉えれば、
なぜ辛いのかを経験することができる。
どうやったら良くなるのかを考えられる。
それはまさにチャンス。

そして経験をして考え、
これからどうするかを決定していくことで、
より良い選択肢を持つ事ができ、
より長く愉快を存続する事ができるようになる。

人は心地良い感覚の中で
力を最大限に発揮する。

常に善を選択する事で、
改善を繰り返し、
愉快を存続でき、
より多くの幸福を
纏うことができる。

嫌なことは嫌!
良いことは良い!

それをするから、
自分を知って、
経験して、
より善の存続へと近づく。

なので、
いつだって
勇気を持って
自分らしく

善を愉快に選択しよう♪

と私は思います。




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