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なぜ看護師を辞めたのか

転職に至った経緯

私は2016年4月~CRA(臨床開発モニター)として製薬系企業で勤務していました。看護師としての仕事というよりは、資格を生かした働き方かもしれません。

そんな私が5年前の30歳の夏。
看護師として働いていた現場であることをきっかけに、転職を決意し、臨床を離れました。
それは、パフォーマンスでCPR(心肺蘇生)をしたことがあったからです。


自分の看護について悩んだ時期

私が看護師の資格を取ったのは26歳のときです。それまでは看護助手として働いていました。看護師になってからはHCU、脳外科、救外兼務のICUと渡り歩きました。

看護師の仕事に対して、もやもやとした感情が芽生えたのは、脳外科病棟にいた頃のことです。

私がいた病棟では、入院患者の大半は高齢者で入院数が多く、忙しい病棟でした。そこで、来る日も来る日も脳血管疾患を持つ高齢患者に接するうちに、ある一つの疑問が生じました。

「救命すれば患者は必ず幸せになるのか」

脳血管疾患に限らず重症な疾患で入院してくる患者は、入院前後で生活状況が大きく変わることは珍しくありません。意識が戻らない状態で余生を過ごすということもあります。

そういった患者を看るうちに、本当に患者や家族のためになる仕事をしているのだろうかと、毎日悶々と過ごしていました。

そしてある日、いつものように点滴の準備をしていた時、ふと手元のノルアドレナリン(血圧上昇剤)を見てこう思いました。

「薬は一つ開発するだけでたくさんの命を救っている。でも、反対に看護師としての自分はどうだろうか…」

実はこの時、一時的に祖母の介護をするため地方にいました。私の祖母は認知症でしたので、私への認識はぼんやりしていました。そんなこともあり、大好きな人に忘れられることはとても悲しく、認知症治療薬の開発に携わりたいという気持ちも湧いてきたのです。そして、ついに介護期間を終えて、関東へ戻ることに。

前述のもやもやした思いを抱えながら転職活動を進めていったところ、治療薬の開発に携わる「CRA」という仕事を見つけました。

転職を決意した医療行為

転職をして臨床から離れることを決定づけた出来事…それは冒頭にも述べたように「パフォーマンスでCPRをしたこと」です。私がいたICUでは、患者家族に延命しようとしている姿を見せるためだけに実施することがありました。

この行為は賛否両論あります。私も実際行っていてすごく辛かったです。しかし、有用な面もあると思っています。なぜなら、延命を希望する患者家族の多くは、CPRを目の当たりにしたことはありません。そのため、こうして実際のCPRを見せながら延命を希望するか、現場で家族に問うことで、「延命希望」とはどういったことをするかを家族にも感じてもらえるからです。もちろん手の施しようがない患者に対してのみ、このパフォーマンスは実施されます。つまり医療者側は患者が手の施しようがない状態であることを知りながら、CPRをしなければならないのです。

しかし、実施する側として、私自身は罪の意識で胸がいっぱいでした。自分の倍以上生きてきて闘病生活も頑張ってきた人に対して、安楽に死なせてあげることもできず、力いっぱい胸を押して痛めつけてる…。

このパフォーマンスとしてのCPRを初めて実施して、もう手の施しようがない高齢者の薄い胸板を必死に押しながら、私は臨床の現場から去ることを決めました。

※延命に関する記述ははあくまで私がいた病棟での話、個人の考えです。

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