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レシピで料理はうまくできない

レシピで料理はうまくできない

『2003年の私の考察です。私の考えは今でも変わってないです。』
長く考えて来た証拠でもあり、NOTEを書こうとなったので推敲して
公開することにしました。

あえて、言わせてもらいます。レシピが料理じゃないんです。
料理には基本とか、料理用語が沢山あり、それを理解することが必要不可欠
だからです。一字一句を覚えるのではなく、ストーリーを感じてください。
レシピは、材料とその作り方とに別れています。材料を分量通りにするのも
一苦労ですが、作り方となるともっと大変。その作業(動き)は、
果たして同じ動きができるものでしょうか。
それなのに、結果もなぜ同じだと言うのでしょうか?

◆レシピって

そもそもレシピとは何なのでしょうか?
広辞苑によると、
レシピ【recipe】
料理の材料や調理法を記したもの。
とあります。

たとえば、カレーの材料はじゃがいもとニンジンがよく入ってますけど、入ってなくてもカレーですよね。ただの文字なのに、しかも短い文章にされているのに、伝えたいことは山のようにあって、
伝えきれないと私はいつも思ってます。

料理とはその材料と調理法がわかれば、すぐ作れるものだと思いませんか?
そのこと自体 実は、作られてきた情報であると私は考えています。
ほとんどの人がレシピ、レシピをくださいといいます。また、ある料理を考える人がレシピはお金であるという人もあります。
そのままの情報がお金なのですね。では、料理とは常に同じものが
作れるのでしょうか?同じものとは何でしょうか?

誰かが出来ると言ったかもしれませんが、自分で作ったことないんです。
講習を通じて、同じレシピを配布し、テーブル毎に同じ食材で同じように指導しますが、まったく同じ味になることはありません。違うものは、生徒さん自身。
その手(人)が違うからです。

◆おいしさは食べる人が決める

香川県のうどんが評判ですが、材料は小麦粉、水、塩とこれだけなのです。その分量は粉の約半量の水と塩です。塩は土三寒六という言葉が昔から言われていまして、夏場は塩の分量を多めに、冬は少なくするということです。それを数値でいうと「土三」。夏場は塩1に対して水3の割合の塩水を
練りこむことになります。また「寒六」とは塩1に対して水が6の割合の塩水ということです。現在の塩は精製度も高く、このとおり作ると塩辛くなるので、意味をなしません。
大切なことは夏場と冬場の塩水の塩加減が違うこと、それを考えてうどんを打つというこのことなんです。当然その日によりさらに加減をされているはずです。

この分量で作るとしても、うどん屋さんはいつも同じものが作れると思っていませんし
お店によってももちろん違います。でも、おいしいといわれるうどん屋さんはいっぱい
この香川県には存在するのです。どうしてでしょうか?ひとつの作り方にはおいしいさの秘訣は存在しないからです。おいしさとは味わう人の中にしかないからです。
作る人は、おいしくなれと研究し作り方を考えます。しかし味わう口は別のところに存在するということです。美味しいかどうかは食べる人のきもち次第ということです。だから熱心に一生懸命うどんを打ってくださいます。
だけど、誰もがおいしいというものは、この世の中に存在しないんです。
うどんよりラーメンが好きな香川県に住む人もいます。うどんが苦手な人もいるんです。

◆嗜好は、人気に左右される

今年、阪神が優勝しそうな勢い(この年阪神は優勝します。2003年です)ですが、必ずにわかファンが現れます。この人たちはほんとにずっと阪神を応援しているファンからすると、ほんとのファンとは思っていないでしょうし、ただ、お客さんがいっぱい入った阪神甲子園球場にいくのはほんとのファンもうれしいかもしれません。
それだけなのです。おいしいと評判になっている料理屋に行くのは、その店の常連にとってみると何と迷惑なことでしょうか?通いにくくなってしまってるはずです。
しかし、そのおいしい料理屋がつぶれないことは、きっとうれしいはずなのです。


 だらだらした文章になっているのでひとまず、まとめます。
レシピはその作り方を書いていますが、作り方を書いた本人のものであり、あなたのものではありません。本人がおいしいと思われるものを紹介してくれているだけであり、本人の道具を使い、作った時間の温度湿度での限定の値でしかない。何より本人の手が必要だということです。
自分で拵えるものは違うのだということです。
参考書であり、魔法書でもありません。
ほんとにおいしいものは自分の中だけにしかないのだということです。にわか阪神ファンになって甲子園球場に足を運んでいる人は、ほんとの阪神ファンではなくって、そのうちいなくなってしまう人です。弱いときでも応援しているファンの人たちにとってみたら、迷惑なのですが、たくさんの人でいっぱいになった球場が嬉しいはずです。
しかし、真の望みは弱くなったときでも、いっしょに球場に来てほしいのが本音だと思います。そういう本当のファンが増えることが、実に強くあり続ける本質なのかもしれません。いつでも応援する気持ちは、その人の中にしかありません。それが本物なんですよね。はやっているときだけ通う料理屋は、その人にとって、おいしいと思うものではありません。誰がなんといってもその店に通うひとが常連でしょう。(時代が変わり、いまはパリーグやどの球団も人気球団であり、コロナがなければいっぱいになっていると思います。)

◆レシピは料理した人の過去の1データ

レシピでうまくできるという人は、行程だけあればおいしさは存在するのか?
その通りとは、レシピを書いた人が、「あなたが私になったら」ということです。そんなことは、考えられないことです。不可能なのです。あり得ないのです。あり得ないことを神話化してしまっています。(すでに自分の経験を手に入れている人たちはできるでしょう。その人の味、料理として。その人には、そのレシピは完全に参考資料としているからです)

 もうひとつ言うと、おいしいものは自分の中にしかないのですから、自分だけのもの。
料理とは絶対に同じものになりません。感じる自分は日々変化していますし
もちろん、その食材も日々変化しているからです。今日出会ったみかんには、もう会うことはありません。今日のみかん1個は私の中で、臨終してしまったからです。

 今日の糧を食べる自分と作る人とはそれぞれに変化しています。変わらない人間は存在しないからです。レストランでいうと、お客も変化し、料理人も変化しています。しかし「昔と何にも変わらないな、この味」といいます。だけど証明はできませんよね。その必要もないでしょう。

料理屋のおじさんやおかみさんが何年も前と同じようにその場所に存在し、格好や店構えさえ変えないことで、ゆるく伝わっていくのです。
そういうおもいなのです。

 料理人「おいしかったですか?」
客1「大変おいしかったです。この魚と野菜の組み合わせが絶妙に口に広がって最高でした。また来ますね」
 また
客2「少し辛かった。」「少し甘かった」と言われる。同じ日の同じメニューなのに。

  普通の人間はまず「まずかった」とは言わないものですよね。

また、ほんとに味がわかる人になるのは、そんなに簡単なことではありません。食は三代かかって味を知るといいます。祖父母から父母そして私ということです。そして必要不可欠なのは、作るということだと私は考えています。知るとは知識があるということではなく、感性を持っているということだと思います。

 だからレシピは他人の参考書。資料なんです。まずそのレシピを、しっかりと読んでみてください。映像が浮かびますか?
(レシピを読むことで映像が浮かぶという表現こそ、感性を持っている証拠です。)
(最近は動画が、たくさんありますので、同じです。頭の中で思い起してください)

そして作ってみてください。ゆっくりと順番に
ここまでは準備ですよ。今歴史の授業で、参考資料の画像集をゆっくり見ただけです。
(ゴウダマシッダルダの石窟や、エジプトのクフ王のピラミッド、メソポタミア文明のチグリス川とユーフラテス川の地図)
 古代の歴史を覚える、イメージを摺りこむのに、役立ちますが、一度見たからと私はこれでテストが出来ると思う人いるんでしょうか?何度も何度も見返し、教科書も読むでしょ。それでも100点とれるかなあ?

なのに料理は画像や映像を一度みたり読んだりしたら、出来る完璧!なんてあるわけないでしょ。

 同じである必要もないのです。だって、食べたこともなければ、もし食べたことがあったとしても同じ味だわ。なんて、思う人はセンスがないです。
中々の出来映えだ。あるいは少しココは修正しようとかね。
数学のテストで、答えだけを丸暗記した正解みたいなもんです。本番で同じ問題が出ることはないでしょうし、丸暗記で解けるのでしょうか?

次に、白紙にレシピを書いてみましょう。自分が思う、揃えられた材料と分量。作り方を文字起こししてみてください。ここがファーストクッキング。
実際に過去問題を解いてみましょう。
あなたの最初のお料理なんですよ。経験(体験)そのものをお料理というからです。
あなたがこしらえた、あなたの作品そのものだからです。毎回ちょっと疑問をもって、繰り返し作る過程で、少しずつ美味くなっていく。ページのどこかにメモを書き入れましょう。自分の言葉で。レシピが結果として、気に入ったのならまったく同じでもよいのです。しかしそれはもうあなたのレシピです。

その経験が教えてくれています。だから、折角のその経験からたくさん吸収できるように、、
素直なあなたで食材にむかってくださいね。きっと優しく教えてくれます。

堅実に作ってください。あなたが作ったものが、まごころがこもっていて、食べる人をおもいやっているなら、おいしいものになっている。
一回一回の積み重ねです。

私は教室でよく言います。お家に帰って家族に作る時が本番ですよ。と。

※なぜレシピは必要か?
どこから手をつけて良いか分からない。だから謙虚に向かい合ってみてください。
譜面🎼であり、詩です。是非あなたの曲を聴かせてください。
それは、あなたにしかできない。だから素敵なのです。


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