TakramRadio_新聞とデジタルメディアの今__catch2

「新聞とデジタルメディアの今」(7/4 Takram Radio)を聞いて② #takram813

コンテクストデザイナー渡邉康太郎さんと、日本経済新聞社グローバル事業局兼広報室の財満大介さんと新田あかねさんによる「新聞とデジタルメディアの今」をテーマに語る回が始まった。

<かたLIST>
#1 全体の流れをまとめてみる(theme: 新聞とデジタルメディアの今)
#2  便宜性にも帯びる美 〜JR東海道線とJR横須賀線〜

#2  便宜性にも帯びる美 〜JR東海道線とJR横須賀線〜

渡邉康太郎さんがこんな話をしていた。

A)「速報性」を売りにした世論に役に立つ記事は、短期的KPIにつながる
→深く読む視点がなくなる・ある時間が経つと読まれなくなってしまう(
B)「芸術・文化」に関する記事は、何ヶ月も経過した後でも読める
→いろんなスタイルがあってよい(深く読める内容、長期的再読率あり)

「いろんなスタイルがあってよい」と聞き、以前、康太郎さん(もとは山口周さん?)が言っていた、コンビニの「文房具と趣向品」理論を思い出す。速報性=即時的/一義的な消費を目的としたA領域において、商業的プレイヤーはどんどん絞られることになる。B領域では、各カルチャーやコミュニティごとに新しいプレイヤーが増えていく。資本主義のルールに従えば、Aはトップのマスメディアのみが担うことになり、他は大敗してゆく。

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Aでも希望はある(作りたい)、という側面を考えたい、そんな回が今回のTakram Radioだったりする。新聞社の役割がAでもあるために、音楽やアート、経済、政治あるいは地域などの「情報そのもの」のバリエーションを絞るよりも、その「伝え方」の工夫によって、カルチャー性を帯びさせることができるかもしれない(と一丁前に言ってみる)。たとえば、新聞の記事がすべて漫画になっていたら(売れるか知らんけど)活字よりは読みやすくはなるし、新しい顧客が生まれそうだ(毎日作るの大変やけど)。

ここで言いたいのは、単純な「便宜性」という意味で速報性を売りにしているのか(X)、何か付加価値を生みながら速報性を大切にしているのか(Y)では意味が違う。機能だけにならず「美」も兼ね備えていく。その「美」が個人の文脈に佇むようになれば、数値的にも勝てる可能性がある(のではないだろうか)。

便宜性は勝る(X)であっても、便宜性は劣る(Y)が勝てる、と最近僕が体験した物語を紹介したい。

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JR横浜駅からJR戸塚駅へ行く日があった。乗換案内のアプリで調べたら、途中停車駅はない直行の東海道線が出てきた。優秀なアプリが言ってるのだから、もちろん、安いし早いし、ってことだ。ただ、僕は横須賀線を使った。横須賀線は、値段は同じで同じ線を通っているが、途中停車駅が二つもあるし三分ほど遅い。便宜性の点では劣っている。早い方がいいに決まっている。なぜ横須賀線を使ったかというと、東海道線よりも横須賀線の方が好きだったから、それだけだった。この話をするくらい、横須賀線が好き。

昔、祖母が逗子駅(横須賀線の駅)に住んでおり、現在のクモ系の前の___の時から使っていて、中学・高校時代も使っていた。とくに、横須賀線に乗っている人は何か温厚だし、「ガタンゴトン」のいい具合のリズムや、(地下も長い時間走り続けるため)若干湿ってる感も横須賀線ならではではないだろうか。

このべた褒め感に理由はない。ただ、これは確実に僕にとっては美である。対象に美を持つ理由を考えると、今回の場合は人生・習慣の中で「共にする時間」が長かったからだ。コン(CON)テクスト(TEXT)だ。コンテクストを紡ぐことにより、「ガタンゴトン」や湿ってる感など、非言語な体験にまでも好きは波及する。ここまでくると、一つのブランディングとも言えよう。

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今回、康太郎さんがアメリカの「ニューヨークタイムズクッキング」をとりあげたのは、メディアコンテンツが人々の習慣の中にどう入っていくか、内容をどう先鋭化していくかの重要性を提案するためだった。

人々の習慣に入ることも、コンテンツをローカルに寄せて広げていくのも、人々の人生・習慣に密着するためだと思う。

その一番簡単な例が人の可処分時間に長く密着すること(ロゴデザインの役割など)だが、現代は企業間で可処分所得の奪い合いが起こっているため、日本経済新聞社のための(日本経済新聞社だからこその)密着方法を探してみたいなあ、と思う楽しい回だった。

(トップ写真/PIXTA)



こんな横須賀線も新車両を迎えようとしているようだ。。。

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