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Fathers! Be free!

心のオアシスである父のことを書きます。

いつも平常心を失わず、人のことにあれこれ口を出さず、淡々と日常のタスクをこなす父は、生活を共にしているのが嘘みたいにありがたい存在です。家事の半分は、父が行っています。

誰しも新しい友達が出来ると嬉しいものです。いろんなことを知っている人だと、学べますね。私が大学生のとき、学生として学業を根を詰めてやらないで、喫茶店で接客するのに時間を割いていると、父は言いました。「僕の知人にも、尊敬する人のもとでアルバイトしていて、大学を辞めてしまった人がいる。」

この発言に、日頃分け隔てない父の、心の闇を見て、苦しくなりました。

失敗したらだめだと思っているのです。失敗とは、社会性や、社会的規範や、常識の判断により作られるものですが、それらが大きくなり過ぎると、人を抑圧するものになることがあります。

こうでありたいと願う自由、こうでなくてはならないと感じる自由、どちらも自由ですが、恐れがあるとき、抑圧になります。

父は学者としてキャリアがある、そういう社会性を持つ人生であるから、このような闇を持つのだと感じたこともあります。

だとしたら、社会性の強い男性に、このことが当てはまる人は多いかもしれない。

私には、この父の恐れを、取り除くことはできません。しかし、私が、何かを願い、感じ、行動するためには、父が恐れていて、私に対して抑圧するものを跳ね除けなければならないのです。

私がこのように感じる、と口にするとき、それを解決しようとする父は、私の考えを、そのように考えるのではなく、このように考えるべきだ、という言い方で受け止めようとします。

恐れの無い人は、何かに挑戦しようとする人にやってみたらいい、ということが出来るでしょう。

これが無かったためかどうかわかりませんが、私は現在、統合失調症の治療中であり、度々パニックにとらえられます。

そこで言いたいのは、自由になってください、ということです。

私は多くの失敗をしましたが、無価値であることを恐れてはいません。私の価値は、私が人に義理を果たして、大切にするときに、発生すると思っています。

失敗したとあなたがレッテルを貼る知人のことを、その先にも、その人独自の人生があることを、許容してください。

人を励ますことができるのは、学びの多くある人だけです。重要な学びの機会を、自分にも人にも、大切にしてください。尊敬する父に望むことは、このことだけです。そして、直接知らないけれど、社会性に生きる父親であったり、挑戦することのないことによって、保守的に安泰なキャリアを積み重ねた父親たちに。

これからも、私の人生は続きます。とても楽しみにしています。




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