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花と蛇

父の著作を語るときまず真っ先に思い浮かぶのはこのタイトルでしょう。


『花と蛇』は団鬼六を名乗る前、

花巻京太郎のペンネームで昭和38年に『奇譚クラブ」投稿し、

以後掲載誌名を変えながらも昭和50年までの約13年間、

延々と連載を続けました。

書籍化についての出版社は最初は耽美館、それから東京三世社、

角川文庫、富士見書房、太田出版、幻冬舎アウトロー文庫、と変遷。

映画化も幾度もされて、主人公の静子役には谷ナオミ、麻生かおり、

小川美那子、杉本彩、小向美奈子などが起用され、

時代に応じて加筆修正やリメイクを加えながら現在に至るまで

世に送り続けられてきました。


団鬼六といえば『花と蛇』であり、

『花と蛇』こそが団鬼六と言って差しつかえない認知度であります。

いったい何がそんなにこの作品が人を惹きつけたのであろう、と私、

満を持してこのたび、手に取って読んでみることにいたしました。。。

はい、正直に申し上げますが、

オニロクの息子としてこの世に生を受けて57年間、

父のこの作品には手を触れたことがございませんでした。

もちろん家庭内でもこのタイトルは口の端には幾度となく登りましたし、

内容についても大枠理解しております。

幼いころは谷ナオミさんの膝の上で遊ばしていただいたこともありました。

ただそれと息子がこの著作を実際に読み下すというのは

全く次元が異なるのです。


学生時代のヤリたい盛りのころ、

おかずにしようとエロ本を片手にページをめくり、

好みの淫猥な描写に興奮し、股間に手を伸ばしかけたところ、

著者・団鬼六の名が目に飛び込んできて、

驚いて本を放り投げてしまったことがありました。

父親の書いたエロネタで息子が自慰をしそうになるということの屈辱感、

忌まわしさはわかっていただけるでしょうか。

直接親父にキスをするようなおぞましさを想像いただければと思います。

(いや今ならそういう倒錯の世界もありか?)

すなわち、親父が描く世界を頭では理解していても、

そこに体を開く気には

息子としてはなれなかったということです。


そして今ようやくこの歳になって実の父の書いたSM小説に

冷静に対峙する覚悟と経験が積まれたというわけです。

開いてみると、おおこれは。。。


「けだものっ」「何をなさるのっ」「後生です、やめてっ」

「こんな卑劣な方法で私を辱めるなんて、私あなたを呪うわ」

「川田さんの女になりますわ」。。。

なんと昭和の古式豊かな言葉の数々。。。

設定では凌辱される女性たちの年齢は主人公の静子夫人で26歳、

他の女性はそれ以下であり、

まあ今やこんな話し方をする女子はどこを探していないだろうし、

このような話し方が存在すること自体、知らないでしょう。

また出てくる単語がすごい。

「ズべ公」「ハクい」「色事師」「メンス」「(女性の)腰のもの」。

私としてはなんとも懐かしい単語(死語)の響きですが、

令和の若い読者のみなさんはぜひググっていただきたい。

この古色蒼然とした世界観の中にいったいどんな特異性があったのか、

人を呪縛する(緊縛する?)魅力があったのか。

もう少し次回詳しく見ていきたいと思います。


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