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福沢諭吉と渋沢栄一のエジプト

 7月から紙幣のデザインが一新され、たとえば、1万円札の肖像は福沢諭吉から渋沢栄一へと代わるそうです。2人とも幕末から明治の激動期に活躍、実業や教育の分野など日本の近代化に大きな貢献をしたことで知られています。実はもう一つ、幕末に外遊を経験したという共通点が2人にはあります。福沢は1859年に米国、1862年にヨーロッパ、1867年に米国と3度の外遊を行っていますし、渋沢は1867年にフランスを訪問しています。訪問団の目的も、福沢・渋沢の役割もそれぞれ異なっていますが、中東研究者として見逃せないのが、2人のヨーロッパ訪問でしょう。実は2人ともヨーロッパ往復の途中に中東を通過しているのです。
 当時のこととして、当然、日本からヨーロッパまでは船で行くことになります。そこで2人ともインド洋からアラビア海、アデン湾・バーブルマンデブ海峡を経て、紅海に入り、スエズで下船、その後、汽車でカイロを経て、アレキサンドリアでふたたび船に乗り、地中海に出て、ヨーロッパに至るルートを取っていました。
 まず福沢の航路をたどってみると、品川出発が1862年1月21日で、現在のイエメンにあるアデンについたのが3月12日。その後、紅海を通って3月20日にエジプトのスエズに到着し、ここで汽車に乗り換え、翌21日にはカイロに到着しました。これは当時まだスエズ運河が完成していなかったためです。
 ちなみに、スエズ運河が完成するのは1869年、そして運河北端にあるポートサイードに中東における日本最初の在外公館(領事館)が設置されるのは1920年のことです。
 さらに鉄路、アレキサンドリアに移動し、そこから船でヨーロッパに向かっています。なお、一行は復路でもこのルートを逆にたどっています。福沢はこのときの中東経験を『西航記』などで触れており、たとえば当時のカイロについて「気候平康、但し潤雨少し。然れども草木よく繁殖し、麦、木綿等を産して、欧羅巴諸邦に輸出す」と描いていますが、経済や社会に関しては手厳しく「人口五十万、貧人多く市街繁盛ならず。人物頑陋怠惰、生業を勉めず。法律も亦極て厳酷なり」とかなり辛辣な評価を下しています。カイロの町に関しても「往々盛大の古跡あり」としながら、「皆零落」してみるべきものが少ないともいっています。
 一方、渋沢のほうは、徳川幕府の使節団としてパリ万博視察のため、ヨーロッパに派遣されました。このときの記録が、杉浦譲との共著で『航西日記』として残されており、最近、その現代語訳が講談社学術文庫から再版されたので、こちらから中東関連の記述を探してみましょう。なお、本書の前半部分はおもに杉浦の日記にもとづいていることが明らかにされており、その分はある程度、割り引いて考える必要があるかもしれません。
 さて、『航西日記』では、まず当時英国の管理下にあったイエメン南部のアデンについて、住民がインド人と比較すると強壮だが、品格が劣ると、これまた低く評価しています。しかし、土地が痩せ、飲水にも不自由するなど生活が困難なので、勤倹・剛健、事あらば武器をとって立ちあがるとも述べています。
 渋沢たちはここから海路、スエズに行き、鉄路でカイロに向かいます。『航西日記』では、当時フランスによって建設中のスエズ運河について言及されていて、このような大規模な工事が一身一個のためではなく、全国全州の大益をはかるためであるして、その規模の遠大で目標の宏壮なことに感嘆しています。渋沢の帰国後の活躍ぶりを考えると、スエズ運河の大工事も影響を与えていたのかもしれません。
 『航西日記』には、巨大モスクに関する記述もあります。大理石で建立した大伽藍とあるので、ムハンマド・アリー・モスクのことでしょう。靴を脱いで入るなど、内部の様子が細かく描かれているので、渋沢たちもなかに入ったのかもしれません。他方、ピラミッドやスフィンクスについてはさらっと描かれているので、こちらは立ち寄っていない可能性が高いでしょう。ちなみに福沢もムハンマド・アリー・モスクとピラミッドに言及していますが、ピラミッドについては3里ほど離れたところから望見しただけだそうです。

ムハンマド・アリー・モスク

 『航西日記』には、アレキサンドリアの習俗に関しても触れられており、妾が多いのを誇りとする風習があり、さらに男が嫉妬深く、自分の妾が他の男に顔を見せようものなら、殺してしまうとも述べています。こうした因習があまりに長くつづいたので、開化の機会を失ってしまったと解説しています。
 当時、エジプトにこんな習慣があったかどうかはわかりませんが、中東では、今日でも「名誉殺人」といって、妻や姉妹など一族の女性が不貞とみなされる行為をした場合、男性親族がそのものを殺して一族の屈辱を雪ぐという事件がしばしば起きています。

アレキサンドリア図書館

(保坂修司)


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