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暴れん坊将軍とペルシア

 暴れん坊将軍で有名な徳川第8代将軍、徳川吉宗はオランダ商人経由で何度もペルシア馬を購入しました。その数は全部で30頭近くになっています。ここでいうペルシア馬は当時の記録(日本語・オランダ語)によるものですが、おそらくアラブ馬(アラビア馬)のことだと考えられます。日本の馬がもともとポニーのような小柄なものであったのはご存じでしょうか。吉宗は大柄なアラビア馬を輸入して、馬の大型化を図ったのかもしれません。

 ということは、松平健演じる暴れん坊将軍が、番組オープニングで大柄な白馬にまたがり、海岸などを駆け抜けていくのは、時代考証としてまちがっていないということになります。

 なお、このとき吉宗が輸入したペルシア馬の一頭が三戸(現在の青森県)で飼育されることになりました。残念ながら繁殖できずに、馬は死んでしまったそうです。ただし、きちんと埋葬され、墓碑の代わりに松が植えられました。ふしぎなことにその松はペルシアの方角にしか枝が伸びませんでした。馬が故郷のペルシアを想っていたためだと人びとは噂したといいます。飼育を担当した石井玉葉が供養のため石碑を建てました。石碑には「から花の陸奥(みちのく)に散る春砂哉/子の花や住谷に開く春の駒」と記されています。「春砂」はおそらく「ハルシヤ」のことでしょう。ハルシヤとは江戸時代にペルシア(イラン)を表すのに用いられた語です。この話は、国語学者の新村出が紹介しています。

 この石碑は外国産の馬に関する日本でもっとも古い史料であるとして、青森県重要文化財に指定されているそうです。この石碑の場所はのちに馬力神社となり、現在は馬暦神社と呼ばれています。ペルシアの産駒が遠く離れた日本で神道の神社になっているなんて、なかなかいい話ではないでしょうか?

参考:唐馬の碑と馬暦神社

(保坂修司)

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