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石油と日本

 石油というと、中東を思い浮かべる人も多いでしょう。逆に中東というと、石油を思い浮かべる人も少なくないと思います。実際、世界の石油埋蔵量の約5割、石油生産の約3割を中東が占めています。また、日本の石油輸入の9割が中東からです。

 近年は気候変動、地球温暖化の元凶として石油を含む化石燃料が槍玉にあげられることが多いのですが、石油と人類のつきあいには数千年にもおよぶ長い歴史があります。一方的に悪者扱いするのではなく、もう少しちがった見かたで私たちと石油の関わりを考えてみるのもいいのではないでしょうか。

 日本における石油の利用は縄文時代後期に遡ります。さまざまな考古学的資料から、当時の日本人が生活のなかで石油を利用していたことがわかっています。ただし、今日のようにエネルギーとして用いるのではなく、多くは接着剤や防水として用いられていたようです。たとえば、石鏃を矢につけるのに石油の一種であるアスファルト(ビチューメン、日本語では瀝青)が用いられていますし、それは土器の修復にも使われていました。今のところ、石油を燃やして暖房や煮炊きなどに利用した証拠は見つかっていないようです。

 ちなみに、中東でも、旧約聖書に登場するノアの箱舟の話で、神は、ノアに箱舟の内外を「土瀝青」で塗るよう命じています。つまり、防水のために石油は用いられていたわけです。さらにバベルの塔の物語でも、人間たちが粘土の代わりに瀝青を使ったことが書かれています。洪水もバベルも舞台は中東ですので、相当古くから中東では石油が人間に利用されていたことがわかります。

 一方、日本語の文字資料では『日本書紀』に登場する「燃土」「燃水」が最初とされています。そこでは、西暦668年、天智天皇の御世、越の国から燃える土と燃える水が近江京に献上されたとあります。ここでいう「燃える土」とはアスファルトや泥炭類、また、「燃える水」とは石油だと考えられています。一方、越の国は、越後、すなわち現在の新潟県を指すといわれています。

 もしかしたら、新潟県が日本有数の産油地帯だったことをご存じのかたも多いのではないでしょうか。実際、新潟県では17世紀はじめから産業としての石油の生産がはじまっており、明治以降には本格的な石油生産がはじまります。日本最大の石油元売り会社であるENEOSの起源となった日本石油がもともと新潟で設立されたのはそのためです。

 ちなみに新潟のあちこちでは、われこそ、天皇に献上された「燃える水」の起源であると主張する地がいくつもあります。下の写真はその有力候補である新潟市秋葉区に残る油田跡です。ちなみに秋葉区には草水町という地名があります。草水は石油の古名である「くそうず」に由来しています。「くそうず」とは「臭い水」の意味で、石油の発する臭気からそう呼ばれるようになったのでしょう。

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 ただし、日本最初の近代的な商業油田は新潟ではなく、長野県にある浅川油田です。幕末の志士、石坂周造が1871年にここで石油を掘りはじめました。また、石坂は1874年には静岡で相良油田の開発を行っています。残念ながら彼の事業はあまりうまくはいっていなかったようです。下の2枚の写真は上が浅川油田、下が相良油田です。

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 なお、石坂は石油という語を作ったのは自分だと豪語していますが、実際にはちがいます。石油の語を使った一番最初は、11世紀の中国の政治家であり、科学者でもあった沈括です。石油の語は、日本に多大な影響を与えた李時珍の『本草綱目』にも登場するので、江戸時代には知識人にとっては自明であたっといえるでしょう。ただ、江戸時代には上記の「くそうず」のほか『本草綱目』にも出てくる「石脳油」が一般的に用いられていました。

 すでに秋田の油田については述べたことがありますが、そのほか北海道には石狩油田というのがありますが、残念ながら、今は生産を終了しています。下の写真は石狩です。わかりにくいですが、石油が水の表面に浮いています。

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 もちろん、日本で生産される石油の量は大したことがなく、戦前は主に米国から輸入していました。しかし、のちに戦うこととなる米国に石油を依存するのはまずいという配慮もあったのでしょう。日本は中東から石油を輸入しはじめます。

 私が調べたかぎりでは、日本が最初に中東から石油を輸入したのはイランからで、神戸鈴木商店の一角、帝国石油が英国のアングロ・ペルシア石油会社(現在のBP)から石油を購入したのが嚆矢とだと考えられます。今からちょうど100年前の1921年のことでした。

 今年は湾岸戦争から30年、9.11事件から20年、「アラブの春」から10年という切りにいいときにあたります。実はそれだけでなく、クウェートの独立から60年、バハレーン、カタル、アラブ首長国連邦の独立から50年でもあります。いずれの国も日本はすぐに独立を承認しており、その意味で今年は中東と日本の関係について今一度考えなおすいい機会かもしれません。

追記:最後の部分、湾岸諸国との外交関係樹立と書いてしまいましたが、独立承認と記述を改めました。(保坂修司)

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