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【連載第211回】豊岡演劇祭にみる「地の利」「人の利」

前回はコチラ。それより以前の連載は、特別サイトもしくは書籍(『希望の書店論』『書店と民主主義』)にてご覧いただけます。

(承前)

 前田章、大下順子、菱田信也らが、兵庫県南部・瀬戸内海沿いの神戸市に新しい劇場を立ち上げて奮闘しているとき、反対側の兵庫県北部・日本海に面する地域で、同じく演劇活動を軸とした野心的なプロジェクトが進行していた。豊岡演劇祭である。

 日本では類例のないフリンジ(自主参加)型の国際的な演劇祭を目指す豊岡演劇祭の「第0回」が、未だコロナ禍の不安が去らない中、今秋9月9日(水)〜22日(火)に亘って豊岡市で開催され、成功裡に閉幕したのだ。

 “細かい数字がわかるのは先になるが、期間中の来場者は延べで3000人、関連企画も含めると5000人近くの来場者を得て大成功に終わった”(『世界』11月号「但馬日記」第21回)と書くのは、同演劇祭のフェスティバル・ディレクター、岸田戯曲受賞者で世界的劇作家の平田オリザ。平田は豊岡市に腰を据え、そこからの通信「但馬日記」は、『世界』今月号で、19回を数える。

 東京大阪を中心とした一般の興行界が今なお状況を見ながら復活のタイミングを図っている中、豊岡市での演劇祭がかくも成功を収めたのは何故か?

 東京、大阪と違って、コロナ感染者がほとんど出ていないのも、もちろん大きい。演劇祭に向けて東京から豊岡に来た人たちは、口々に「ここはパラダイス」だと言う。全員、東京を出る前にPCR検査は受けているし、豊岡についてからも、2週間は稽古中もマスクを外さないが、それでも精神的負担が「数十倍も違う」らしい。

 東京では、コロナの第二波、第三波の懸念により、上演計画も立てられない。それに対して豊岡では、休校によってストレスを抱えた子どもたちのために、夏休みの前後、保育園から高校までほぼすべてをまわって、演劇や大道芸を上演し、あまねく歓迎されている。平田が率いる地元の劇団(リージョナル・シアター)の存在が、大きい。

 音楽の世界でも、日本では演奏者が東京に集中して居住、活動しているため、地方では企画の相談自体が難しくなってしまったという。欧米なら、各県各州にプロのオーケストラ、バレエ団、劇団がある。コロナ禍は、多くの文化的リソースを東京に頼っている日本の弱点を、白日の下にさらしたのだ。(『世界』9月号「但馬日記」第18回

兵庫県豊岡の「地の利」、「人の利」

 豊岡には、「地の利」もある。

 大都市から一定の距離がある(といって、決して交通不便というわけではない)ことがコロナウイルスを遠ざけたことは、逆「地の利」と言うべきかもしれないが、豊岡の場合他にも「地の利」がある。豊岡市は、平成17年に日本有数の温泉街城崎町や蕎麦で有名な出石町などと合併し、一級の観光地を市内に持つ。その豊富な観光資源をアピールし、21世紀に入ってからも観光客の誘致に努め、成果を上げてきた。その地で演劇祭を開催すれば、訪れ滞在する人々は、芸術鑑賞とリゾートの両方を満喫できるのである。

 予約満杯の中、「キャンセル待ちで並んだけど駄目だったので、その時間は温泉に入りました」人もいたという(「豊岡演劇祭2020」公式ホームページ「「豊岡演劇祭2020」終了のごあいさつ」平田オリザ)。「豊岡で演劇祭を行う強み」が確かにある。

 しかし、今回の成功の最大の理由は、何より「人の利」であろう。豊岡演劇祭実行委員会会長を務めた中貝宗治豊岡市長と同演劇祭フェスティバル・ディレクターの平田オリザが、二人のキーパーソンだ。

 豊岡市は、1971年に野生個体群が日本から完全に消滅したコウノトリを、ソビエト連邦から寄贈された6羽の幼鳥から人工繁殖させ、野生復帰(放鳥)に成功させ、今日では「コウノトリの郷」として名を馳せている。その復活物語の中心人物こそ、現中貝宗治市長。その中貝市長が次にターゲットにしたのが芸術・文化だった。(平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』講談社現代新書、P54

“豊岡市と合併した城崎の温泉街の町外れに、兵庫県立城崎大会議館という施設があった。1000人を収容できるコンベンションセンターだが、残念ながら稼働率は極端に低かった。建設当時は、大会議場を作れば様々な学会や労働気味合いの大会などを誘致でき、周辺の旅館業も潤うと考えたのだろう。しかし残念ながら、その目論見は見事に外れた”。(同P54−55)

 その、無用の長物となった「ハコモノ」を「劇団やダンスのカンパニーに貸し出してはどうか」と考え、「城崎国際アートセンター」へと生まれ変わらせたのが、中貝市長なのである。そして、彼の構想は見事に当たった。

“城崎国際アートセンターが好調です。県から譲り受けた城崎大会議館をどう使うか。迷った末に、舞台芸術用に無償で貸し出すことにしました。劇団などが滞在し、作品を制作する場として最長3か月間、施設を無料で提供します。

 世界各国から多数の応募があり、今年度は、日本を含む6か国、15の劇団の滞在・制作が決まっています。7月には俳優の片桐はいりさんが、8月にはルーマニアのダンサーらが滞在しておられました”。(同P71-2)。

 中貝市長の、2014年9月ブログからの引用である。

 そこそこの使用料を取りながら、色々な設備を「使っていいのは何時まで」など様々な制約を押しつけてくる官営の劇場に苦労してきた演劇人には、夢のような話である。自由に劇場を使わせてもらいながら、市民と同じように、日々城崎温泉の外湯でリフレッシュできるのだ。「世界各国から多数の応募」があったのも、頷ける。

演劇祭の成功を支えたもの

 そして、それは、平田オリザのいう「いままで日本の劇場、音楽ホールは、一般市民にとって演劇を観に行くところ、音楽を聴きに行くところだった。しかし劇場は本来、演劇やコンサートを創る場所でもある。あるいは芸術を通じて、市民が交流する施設でもある」(同P57)を、実践するものだった。文化講演会ではじめて豊岡市を訪れた平田が、偶然「アートセンター」構想の検討に出会い、積極的に参画するようになったのも、「必然的な偶然」であったのかもしれない。

 平田は、それまでにも、兵庫県から瀬戸内海を南に渡った四国・香川県に足繫く通い、演劇教育、コミュニケーション教育に携わっている。善通寺市の四国学院大学の学長補佐として、大学改革を手伝い、そこから派生して、小豆島町など県内のいくつかの自治体の教育政策や文化政策に協力しているのだ。(同P26)

 平田は、中でも、離島とはいえ基幹産業が存在し、豊かな自然と安全・安心な環境に恵まれ、「意外な便利さ」を合わせ持ち、一定の知名度、行政のバックアップもある小豆島町が近年コンスタントにIターン組を受けいれ、人口減少に歯止めをかけていることに注目している。それらの環境条件とともに、3年に一度開催される瀬戸内国際芸術祭が、小豆島町の「決定打」だと見る。「Iターン組の多くは、まず、瀬戸内国際芸術祭をきっかけにこの島を訪れている」からだ。(同P36~40)

 こうした経験と知見を持つ平田オリザと、決断力と行動力に溢れた中貝宗治市長の強力なタッグが、コロナ禍という困難な状況の中で「豊岡演劇祭」を成功に導いた原動力、「人の利」だったといっていいだろう。

 何もかもが東京に集中し、あらゆるジャンルが東京を中心として動く状況の脆弱さを、ぼくたちは今回のコロナ禍によって、思い知らされた。東京に何とか対抗しようとして東京「都」に目を奪われている大阪などの地方都市も、これまで「田舎」と侮っていたさまざまな地域での新しく魅力的な試みの蠢動、実践、発展、成功に何の刺激も受けずにいるとしたら、いつの間にか時代に取り残されていくに違いないのである。


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※福嶋聡さんと小笠原博毅さんの最新刊『パンデミック下の書店と教室』(新泉社)は11月末発売予定です。

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福嶋 聡 (ふくしま ・あきら)

1959年、兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。1982年ジュンク堂書店入社。神戸店(6年)、京都店(10年)、仙台店(店長)、池袋本店(副店長) 、大阪本店(店長)を経て、2009年7月より難波店店長。

1975年から1987年まで、劇団神戸にて俳優・演出家として活躍。1988年から2000年まで、神戸市高等学校演劇研究会秋期コンクールの講師を勤める。日本出版学会会員。 著書:『書店人の仕事』(三一書房、1991年)、『書店人の心』(三一書房、1997年)、『劇場としての書店』(新評論、2002年) 『希望の書店論』(人文書院、2007年)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年)、 『書店と民主主義』(人文書院、2016年)、『書物の時間 書店店長の想いと行動 特定非営利活動法人共同保存図書館・多摩 第25回多摩デポ講座(2016・2・27)より (多摩デポブックレット)』(共同保存図書館・多摩)


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