28. 僕を僕たらしめるもの。

この前、個人的に面白い体験をしたから、シェアハピ。

最近、いろいろと創作のストーリーを頭で考えててね。別に形にする気は無いんだけど、例えばこういうメッセージを伝えたいと思ったら、どんな主人公にどんな想いを乗せて書くかな、とか考えるの楽しくて。んで最近は、周りに笑顔を振りまくような、とっても明るい女の子を主人公にして色々考えてるんだけどさ。


1週間前くらいかな。いつも通り、大学からバスに乗って、駅から電車で帰ろうとしてて。改札通って、ホームに向かおうとしたら、すれ違ったおじさんのカードケースからsuicaがポロって落ちた。

ここで、僕とある程度関わったことある人ならわかると思うけど、僕そういうの絶対拾わないのよ。だってsuicaなかったら改札通れないわけだし、あれ?って思って振り返ったらそこに落ちてるわけだし。万が一気づかなくても誰かしら拾うだろうし。って思っちゃう人だから。
でも、そん時だけは違ったんよ。なんか、本当に、咄嗟に体が動いて、拾ってダッシュしてて。


後になって、なんでだろうって考えてたんだけど、その時僕、最初に言った女の子のこと考えてたんだ。もし自分がそういう子だったら、この世界はどうやって見えるだろうって。要するに、その子の人格が、多分僕に憑依してた。


結局、僕は何者にもなれる気がする。
「自分」っていう確固たる概念は本当に存在するのかな。
「キャラ」っていう飾りを全て取ってしまったら、僕には一体何が残るのかな。


祭の準備・片付け期間中、ほとんど本館の机と椅子をあちらからこちらへ動かし続ける作業で、めちゃくちゃ人手が必要だったから、その分いろんな新しい人と関わったんだけどさ。
作業分担する中で、1時間半くらいかな。全然違う局の先輩と2人で作業する時間あったんだけど、あの時の僕、すごく「後輩」だった。ずっと自分が「後輩」を演じられないことが実は隠れた悩みでね。なんか、嬉しかった。別にやったことといえばちょっとした作業だけど、誰かがただ僕のことを導いてくれる感じ、久しぶり。



中学の頃、先生によって態度を変えるなってよく言われてた。いや、人によって接し方を変えるのは当たり前だろうがって思ってた。それでも、対外的にどうこうというよりも、単に一人の人間として、ある程度キャラに一貫性はなきゃいけないんじゃないかなって思ってたんだけどさ。そうでもないのかも。昨日、あんなに無愛想だったやつが、明日は超絶人懐っこくても、別に周りはそんなに気にしちゃいない。

まあ、自分を演じれるのは自分しかいないんだし。ヨソはヨソ。ウチはウチ。鬼は外。福は内。外反母趾。
forthcoming 2030。

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