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観る将の視点 渡辺明という仕事人

観る将記事の第2弾は現名人の渡辺明さんです。
20歳で初タイトルを獲得して以来、今日までずっとタイトルホルダーの地位を堅持し、現時点で通算31期は歴代4位の記録。
ご本人はその上の3人(羽生99期、大山80期、中原64期)は別格として、そこに並ぶのは無理とはっきりおっしゃっていますが、個人的には「64はともかく50はいけるだろ。あきらめんなよ!(松岡修造風)」と思っていたりします。

そんな名人も3月に10連覇中だった棋王のタイトルを藤井竜王に奪われ、ついに残すタイトルも名人のみという苦しい立場に追い込まれています。
そもそもタイトルは1期取るだけでも大変なもので、「残り1つだ、ヤバイ」みたいな感覚は贅沢と言うか、少し変な話なのですが、それだけタイトルを持っていることが当たり前な人です。

藤井竜王同様に渡辺名人についても色んな視点から語ることができますが、タイトルに「仕事人」と付けたように、私は渡辺名人の将棋との向き合い方に着目してみます。

何のインタビューだったか忘れてしまったんですが、以前「渡辺さんにとって将棋とは何ですか?」という質問に、名人がきっぱりと「仕事です」と答えたことがありました。
随分とドライな印象を与える回答ですが、いかにもリアリストな渡辺名人らしい答えに感じました。
最新のAIを駆使してもまだ結論が出ない将棋というゲームに対しては、棋士は時に研究者や芸術家のような向き合い方をすることもあると思いますが、どうも渡辺名人はそういうタイプではないようです。(だから渡辺名人が指す将棋に芸術性がないという話ではないのですが)

では渡辺名人が考える、仕事に求められる成果とは何なのでしょう?
過去のインタビューなどから総合して考えると、彼がタイトルホルダーとして自らに課している仕事とは、タイトル戦で勝つことに他なりません。A級に在籍することよりも、一般棋戦で優勝することよりも、タイトル戦で勝つこと、それが渡辺明にとっての「仕事」なのだと思います。

スポーツ雑誌のNumberが2回目の将棋特集を組んだ1044号の記事の中で、渡辺名人は共に永世竜王の称号をかけて羽生名人(当時)と戦った2008年の竜王戦を振り返り、あそこで負けていたら今と同じだけタイトルを取っていただろうとは思わないと述懐しています。
他のインタビューでも、タイトルは複数冠持っているかどうかより0か1かの差が大きいと発言していました。

つまるところタイトルホルダーという立場であればこそ求められる成果があり、常にそれに応え続けてきたことで今の渡辺明があるということです。
戴冠数は多少増減しつつも、タイトルホルダーという立場は18年間堅持してきたことを考えれば、求められる成果をずっと出し続けてきた見事な仕事ぶりだったと言えます。

そんな渡辺名人もここ2~3年は成果が出せずに窮地に追い込まれています。
そう藤井竜王の台頭です。これまでタイトル戦に13回登場して負け無し。渡辺名人も棋聖戦で2回、王将戦と棋王戦の計4回藤井竜王とタイトル戦を戦っていますが、いまだに勝ちがありません。(負けた番勝負の中での1勝は数に入れてません)

今の将棋界の流れからすると、今後タイトル戦に出場する棋士に求められる仕事の成果とは「藤井聡太と互角以上に戦えること」ということとイコールになるかもしれません。
そして渡辺名人は今そこに向けて自分の将棋を変えつつあるように思えます。
ご本人も「今までのやり方が通用しない」とはっきり認める発言をしておられました。
そのために「勝ちやすい」将棋ではなく、人間的には難しくても「勝つ」将棋を指すために、敢えて危ない橋を渡ることも厭わなくなっている、そういう印象があります。
個人的には名人戦直前のインタビューで棋王戦の将棋を振り返った時に、「将棋の作りとしては無理をしてるんだけど、しょうがない」という言葉を聞いた時に、この人は本当に自分の将棋を変えようとしているんだなと思いました。

2年前くらい前の名人の将棋感と言えば、ソフトが最善手と示していても人間には指しこなせないような手は除外していく傾向だったと思いますが、この「無理をしてるんだけど、しょうがない」というのは、人間的には難しい手でも最善を追い求めなければならないという意思表示に受け取れます。

棋風を変えるというのは素人が考えるほど簡単なことではなく、その影響なのか2022年度の渡辺名人の成績は正直振るわないものでしたものでした。ですが後半に入って来ると、目指す将棋と感覚が段々一致してきたようで、また勝ちが増えてきています。
棋王戦も負けはしたものの、内容的には非常に競っていたように見えました。
これまでの対戦でも渡辺VS藤井戦は対戦成績(3勝15敗)ほどに内容は一方的ではなく、むしろ中盤では渡辺名人が押していた将棋も多いです。
(にも関わらずここまで星が偏っているのが藤井竜王の恐ろしいところですが)

モータースポーツに例えるならば、藤井竜王と戦う相手は初めから性能の違うマシンとレースを強いられているようなものなのかもしれません。
それでも腐らずに、マシンパワーの差を他の部分で埋めていく努力を重ね、勝利への道を見出そうとトップ棋士たちは奮闘しています。

実は個人的に藤井竜王との競り合いで最も期待値が高いと思っているのが渡辺名人だったりします。
これまでの対戦成績からすれば豊島九段や永瀬王座(レーティング的にも)の方が期待値が高そうに見えるのですが、名人の「仕事」に対する向き合い方を見ていると、成果を出さずには終われないだろうと思ってしまいます。
ただマシンパワーが違うことをはっきり認めた上での戦いですから、簡単ではありません。

これを書いている今日(4月6日)、名人戦の第1局が藤井竜王の勝利で終わりました。
大方の人からすれば「やはり」という結果だったのかもしれませんが、途中までの経過を見ていると、藤井竜王がちょっと良くなったかと思うとまた互角に戻るということが何度かあり、つまりお互いに正着を指し続けられない非常に難解な将棋になっていたことがわかります。
また持ち時間も渡辺名人が先になくなってしまう展開になっていましたが、これも読みのスピードで勝てない分を量で補おうという姿勢、90点の手で妥協するのではなく、より100点に近い手を模索していった結果だと思います。

あの渡辺明がここまでやってるんだから、必ず結果が出るはずだ!
・・・と言える相手ではないのが苦しいところですが、ひとまず今後の渡辺名人の戦いぶりを楽しみにしています。


※4/28追記
敢えて語弊のある言い方をしますが、多分渡辺名人はこれまで将棋に100%全力で向き合ったことはないんじゃないかと思います。
ファンの方はよくご存じだと思いますが、名人は多趣味でオンとオフの切り替えがはっきりしている方です。
『将棋の渡辺くん』の中でも、初の名人位獲得後に奥様から「今後の目標は?」と聞かれて「特になし」と答えてますし、必要な時に最大効率で、というのが渡辺流の努力の仕方なのだと思います。

私はここで渡辺名人も永瀬王座くらい努力すれば藤井竜王と互角に渡り合えるかもしれないのに、などと言いたいのではありません。そもそもプロの世界は闇雲に勉強時間を増やせば勝てるようになる甘いものでもありません。

これまでは名人にとって仕事(=タイトルホルダーでいること)のために必要な努力の量が10だったとして、そこからタイトルを5~6冠に増やすためには30の努力が必要だったとしたら、あの人のことなので「いや、そこまで頑張らなくても俺、今の時点でタイトルホルダーだし」と言ってたんじゃないかと思います。
100%じゃなかったというのはそういう意味です。

しかしながら藤井竜王の台頭によって、タイトルホルダーでいるために求められる努力の量が必然的に底上げされました。
現在の将棋界はタイトルを獲ること=藤井聡太に番勝負で勝つことと同義になりつつあります。早ければ今年中にそうなるかもしれません。
そういう意味では渡辺名人は現時点で仕事ができておらず、彼の将棋のスタンスとしては藤井竜王に勝つために努力の量を増やさざるを得ない状況と言えると思います。

崖っぷちの今、仕事人・渡辺明の真価が問われているのではないでしょうか?

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