見出し画像

日常と死は隣合わせ

昨日の話。

まだ新鮮過ぎて今もまた同じ境遇に合うのではないかとハラハラしながらこれを書いている。

たまたまタイミングよく乗り込んだ通勤快速の電車だった。
帰宅ラッシュという真っ只中、上手い具合に座る事ができ、1日の疲れにぐったりとしながらスマートフォンの画面をポチポチいじっていたのだ。

突然、「緊急停止します!」と言ったアナウンスが流れ電車が急停車したのだ。

私はすぐさま耳にはめていたイヤフォンを外し、アナウンスに耳を傾けた。
最初のアナウンスでは、
「たぬきが電車と衝突したので緊急停止しました」と聞こえたのだが

実は人と接触した人身事故だと、後から分かったのだ。

まさかこのタイミングで自分がたまたま乗り合わせた電車で。

周りもざわつき始め、見渡す限りみんなスマートフォンをポチポチしていた。
家族へ帰りが遅くなる旨を伝えている人。
これから友人と飲みに行こうとしていた人。
眠過ぎて車内で大きないびきをかいて寝ている人。

誰もが予想だにしない突然の遅延。
人身事故。

ただひたすら次のアナウンスが流れるまで待つしかない静かな車両。

私も何か情報をと思いとっさにtwitterを開いてみた。
確かに色々な情報が溢れかえっていた。

何が正しいのかは情報だけでは判断できないが、ただ一つだけ言えることは

乗客の誰もが今の状況といつ電車が再開するのかということだけ。

後々分かったのだが、
各停で止まる駅にいたひとが泥酔していてホームから嘔吐。
そのまま通勤快速が通り過ぎ、ホームに打ち上げられて倒れていたとのことだ。

本人からしたら大好きなお酒を呑んで
気持ちよくなっていたころだろうか。

私からしたらなんでホームで吐いたのだろうか。
せめてもの防ぐことは出来なかったのだろうかとただただ思うばかりであった。
もし、それが自分の家族や身内だったとしたら
本当に悔やまれるであろう。

一番辛いのは残された側である。
家族や兄弟、あるいは恋人、妻、夫だったかもしれない。

これから飲み会の季節になっていくが
1人でも多くの人がくだらない事で命を落とさないでほしい。

何よりプラットホーム事故を防ぐのが国のやるべき事ではないだろうか。
私たちの日常にはすぐ隣に死があり
隣合わせで生きているのだ。

いつ、どこで命を落とすか分からない現実。
だからこそ今日も楽しく過ごせた。
幸せな1日だったと思える日々を過ごすことは
自分のいのちへの精一杯の奉仕ではないだろうか。

#日常 #死 #隣合わせ #命 #電車

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?