見出し画像

人の話は半分に聞いた方が、人生は楽しい。

海外に住んでいると、言語のバリアもあって、受け取る情報量が母国で暮らしているのに比べて自然と減る。

今の時代はどうしたって情報過多で、誰もが情報の消化不良を起こしがちなだから、この「情報がある程度は遮断されること」は、海外で暮らすメリットの1つだと私は思っている。

それほど、メディアや情報、いわゆる世間一般みたいなものから切り離された今の生活は非常に暮らしやすく、心地が良い。時代についていかなくていい、って感じだ。

ただ、その反面、限られた情報の摂取方法を間違えると、とんでもなことにもなりがちだとも思う。バランスを欠いた、強い自己バイアスがかかった状態になりやすいんじゃないかな?

海外での暮らしはやはりなかなか大変な事も多く、先人の知恵や経験は非常に貴重だし、ありがたい。本当に助けられることは多い。でも、それと同時に、例えば、○○さんがこう言ってた的な情報が、途中で○○さんという個人の経験談ならではのフレーバーが抜け落ちて、「こういうものらしい」という、あたかもな一般論にすり替わってたりする。

異国で右も左も分からず、心細い時だからこそ、他の人の体験談はありがたく拝聴しつつも、それはその人個人の経験の範囲を出ない事を忘れずに、思い込みはできるだけ捨てて、自分で実際にやってみながら判断することが大事だなと思っている。

特に子育てまわりの情報はその典型で、この学校が良いとかダメとか、母語でしか思考力が育たないとか、オランダ語よりも英語だとか、食育が何より大事だとか、いや、外遊びで子どもは育つだとか、プログラミングが論理的思考の形成に良いだとか・・・まぁ、そんなの全部真面目に聞いてたらとんでもないことになる。

世間の常識は時とともに変わるし、
あなたと私は違うし、
自分で自分なりに探っていく余白がなければ、
他の人の足跡をなぞるような人生はつまらないじゃないか。

子どもは人の話しを半分も聞いてないぞ。

自分も含めて人は思い込みで話す。自己バイアスはどうしたって、誰だって程度の差はあれあるものだ。だから、まぁ、「人の話しは(少なくとも)半分に聞く」ぐらいがちょうど良い。

あまり人の話しは間に受けすぎず、

そういうこともあるだろう。
でも、そうとも限らないだろう。
まぁ、なんとかなるだろう。

それが私の人生の呪文。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?