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涙の新学期スタート

今週からわが家が住むオランダ(南部)では、新学期が始まりました。

引越しにより息子ふたりは転校をし、今学期から新しい学校で新たなスタートを切ることになったのだけれど、初日の前夜には7歳の長男が「学校に行きたくない」と、珍しい激しさで泣いた。

しばらく添い寝して、話しを聞き、本を読み聞かせしているうちに最終的には寝てしまったのだけれど、体を振るわせるほどの大泣きは久しぶりだったので、私の方も少し心が揺さぶられた。その間、次男はケロッとしていて「ジョーくん、学校は行くんだよ」と偉そうに言っていたのだが、当日の朝は今度は本人が大泣き。「行きたくない!」の一点張りで、教室に入るまでしばらく手こずった。

こんなに泣いているのうちだけじゃん?と思っていたら、見回すと、他にも若干名だけどちらほら、泣いたり、ごねたりしている子はいて、先生も「学校初日はいつだって緊張するものですよ」と声をかけてくれて、少しほっとした。

私は少しいい気になっていた気がする

子どもが「学校に行くの楽しい!」と言ってくれたら親は安心だし、
自分が良い子育て(いい親)しているような気になるものだ。

思えば、うちの子達も一旦オランダの学校で落ち着いてからは、毎日楽しそうに学校へ行ってくれていたし、大きな問題や困難もなかったように見えたので、私はなんとなくいい気になってたような気がする。

実際には、単に自分が子どもの心の動きに鈍感だったり、
うまくいって欲しいという自分の願いから、
認知バイアスがかかっていた可能性も大いにある。

親の「希望」とか「期待」ほど厄介なものはない、自戒をこめて。

新しい学校は親にとっても一からのスタート

さて、息子達の大変さには比べようもないが、私もまたゼロからのスタートである。

前の学校では私も親同士のネットワークがあったから、何か分からないことや、知らないことがあっても、そのネットワーク内で情報が補完されることで、うまくやれていた。お迎えに遅れそうになれば、一緒に子どもを預かって待っていてくれる友達がいた。

先生との関係性もできていたから、コミュニケーションもスムーズだった。
3年もいれば、大体学校のことは分かっているから、本当に楽だった。これが全部なくなって、一から関係性を築いていかなければならない。それも、今度の学校は前よりも私のような外国人の比率が低いので、すでに若干浮いている気分にさせられる。

ただ、環境を変えることにはポジティブな面もあると思っている。
慣れるって言うことは自動化したパターンにハマっているってことだし、
それを意識的にリセットをかけるのは結構難しいけど、環境が変わることで新しい人間関係や視点に出会えるはずだから、楽しみにしている。

娘は小学校の最終学年です

ちなみに、娘は小学校最終学年なのでこのタイミングで学校を変えることは得策ではないと考えたことと、本人の希望と、親の送迎なしに自分で登校できるという3点から、これまでと同じ学校へ通うことにした。

私は娘の通う学校へはほとんど顔を出さないことになるので、息子達とはまた別に、これまたこれまで以上に細やかな観察力とか、親側の余裕というか、一緒の時間を大切にしたいなと思う。

忙しさに追われると、どうしてもこっちのタイミングでばかり話をしがちになる。特に、もう私の気持ちを配慮してくれちゃう娘には、つい甘えがちなところがあり、気をつけなければ。

今日のまとめ

新しいスタートはいつだって若干気が重く、心は傷つきやすくなるけれど、
細胞が活性化するような新鮮な気持ちです。

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