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『花束みたいな恋をした』に余命1年と2ヶ月宣告されて今バスで泣いてる

  タイトルで誇張表現ツイートすんなや


  先日有村架純さん、菅田将暉さん主演の映画、『花束みたいな恋をした』を観た。日頃「恋愛映画なんてアベックの映画館デートを成功させる為だけにあるもの。肘掛の上で手を握り合うまでがクライマックスなのだからつまらなければつまらない程良い」なんてイキり倒して周囲の反感を買っていた私だ。『花束みたいな恋をした』……タイトルからもうホンワホンワ。アベック大歓迎ムードが漂いまくっている。普段であれば総スルーなのだが脚本が坂元裕二さんとなれば話は別。公開を指折り数えて待っていた、のだが上映後の今、私はゴリゴリに傷つけられバスに揺られている。

  え?なんで??私今彼氏どころか好きな人もいないけど?いや原因は麦くん!!!!!君だよ君君君〜!!!!彼に未来の自分を見てほんとしんどくなりました。もう私の中でこれ、恋愛映画の枠に収まらんよ……

カルチャーを生き甲斐にしてしまった愚かな人間のリアリティショーだよ……   

    麦くんと絹ちゃんは小説を、漫画を、映画を、音楽を、いわば文化を愛し、それを愛する自分を愛して生きてきた人間でそこにまず深く共感した。もちろん2人とは趣味趣向は異なってくるけど私もそれらを愛さずには生きられない、前述したようにカルチャーを生き甲斐にしてしまった人間だからだ。ここで「してしまった」と表現するのは不適切かもしれない。絹ちゃんは現在進行形で文化を愛し、また愛された人間だからだ。けれど麦くんと私と、恐らく世間の大多数の人間は自嘲混じりに語るだろう。カルチャーを生き甲斐に「してしまった」、「愚かな」人間だと。


    映画の話をする前に少し私について語らせて欲しい。私は幼い頃からとにかく物語を摂取したがる人間だった。漫画も小説もドラマもアニメも映画も、気になったものは片っ端から触れていったしそうでない時間、何をしたらいいか分からないくらいだった。だって、作品を知らずにみんな頭の中で何を考えてるんだろう?小5でハリーポッターを初めて読んだ時、毎晩私はハリーになって空を飛んだ。寝る前にハリーの事を考えるからだ。「不死鳥の騎士団のハリーはちょっと荒みすぎてるよな、まあ思春期だからしょうがないのかもしれないけどその点ロンはまだ子どもらしい可愛げがあって……スヤスヤ」こんな具合に。だから特に夢中になるもの無く日々を生きている人達、両親なんか謎の極みだった。日頃暇なとき何を考えているか聞いてみた事がある。
「明日の会議の内容とか」     「買い物するものリストとか」

  うっそやーん !!!       

   私は考えたいことが多すぎて頭がいつもパンクしそうなんだ。架空のタクシードライバーがエレクトリカルパレードを爆音で流す空想まで面倒みなきゃならないのにそんなしょうもないことのんびり考える余裕ないよ。
「あんたはまだ学生だからだよ、社会に出たら空想ばっかしてられなくなる。大丈夫、脳が自然とそうなってくから」
そうかなー、なんて言いながらんな訳ないやろ、と冷めた頭で独りぐちた。きっと私と彼らとの間には大きな隔たりがあるのだ。それこそ違う国に住んでいる。私はそうはなれないし、彼らも私を真に理解することは無いだろう。そういうものなのだ。

   映画を観ていて麦くんと絹ちゃんが「こちら側」だとすぐに分かり、心底嬉しくなった。穂村弘さん!ほしよりこさん!ゴールデンカムイ!宝石の国!彼らはきっと眠りに落ちる直前までアンタークの死を憂えている。分かるよ、私もショックだったよ……
   だから私は心を通わせ合っていた2人が別れる決断をするまでの模様よりも麦くんが社会に適応し、心の拠り所であったカルチャーを失ってゆく過程が筆舌に尽くし難いほど苦しかった。
「ゴールデンカムイ、7巻で止まってる」
「読めばいいじゃん」
「読んでも頭に入ってこないんだよ、今パズドラしか出来ないんだよ!なんも頭に入ってこないから!!」
「僕今、今村夏子のピクニック読んだことない人間と同じなんだよ」
うろ覚えだがこのあたりの会話がもう泣けてしょうが無かった。この瞬間、麦くんは絹ちゃんと違う国の人間になってしまったのだ。

   あんなに愛すべきものがあったのに、絹ちゃんとそれらを慈しむことが幸せだったのに、なぜこんな事になってしまったのか。麦くん、戻ってきてよ、、いや、麦くんはもう国籍変更まで完了してる。こうなったらもう言語が通じるかもあやふやだ。互いの考えが読めず小競り合いはやがて冷戦となる。仕方ない。カルチャーを唯一神とする絹ちゃんと一般的な家族の形(ゴリゴリな男社会、営業職での影響か、はたまた実家の価値観の植え付けか、どちらかというと旧時代的)を信仰する麦くんとではヘタしたら宗教戦争が勃発してしまう。仕方ない。この2人の別れは必然だったのだ。麦くんがイラストレーターになれなかった世界線において。


   私はこの麦くんが自分の好きなイラストで成功するかどうかが2人のターニングポイントだったのでは無いかと考えている。なぜ麦くんは社会人となってカルチャーから離れてしまったのに絹ちゃんはこれまでと同じような指針で暮らしていけたのか。
・絹ちゃんが麦くんより芯を持った人間であったから
・麦くんが日本の家父長制に縛られ、絹ちゃんより働くという行為を重く捉えていたから
・麦くんの置かれていた環境が絹ちゃんより過酷であったから
   これらに加えて様々な要因が重なり合って結果としてああなったのだろうが、私は地獄のような理由付けをしてしまった。それは「麦くんが中途半端にイラストを得意としていたから」だ。
    好きなことが得意なこと。それは一般的に素晴らしいこととされる。けどそれは「特別秀でた才覚がある者」に対して、だ。麦くんはそのひと握りに入れなかった。それが分かってたから区切りを付けて絹ちゃんとの未来のために就職した。絵は働きながらでも描けるから。大丈夫、全部諦めた訳じゃないよ。よ。。結果がこれだよ。。よよよ。。。


    得意なことってさ、自分の支えになるようなものなんだよ、それを諦めるのってそれこそ身を削るようなものなんだと思う。麦くんがあの労働環境で耐えれたのは夢を捨てた自分の矜恃があったからだ。断腸の思いで決断したのだからこの選択が誤りなんて思えない。そんなことあってはいけない。絹ちゃんとの幸せっていう目に見えた成果が欲しくて空回ってた部分もあったのかな。
    ここまで長文書いてるくらいだし私も文章を書くのが好きだ。唯一得意なことだとも思っている。そして今、シナリオライターに採用されて、一般企業に就職しても副業で書いていけたらな、まで考えてる。かつての麦くんと同じだ。辛い。もう麦くんのあれこれに感情移入しちゃって駄目だ。辛い、苦しい、刺されてるよー!助けてくれー!
   だから絹ちゃんがイベント会社に就職が決まった時、麦くんの気持ちが痛いほど分かってしまった。自分がこれだけしんどい思いして頑張ってる横で、あっさり好きを仕事にしちゃう恋人。ショックだよ。ちょっと裏切られた気分だよ。余裕無いし、否定したくもなるよ。そんなこと許される?だったら僕はなんだったの?てなるよ、なるよーー、、
    絹ちゃんが自分の好きな方向へ進んでいけたのは変なプライドが無かったからなのかなって思う。麦くんみたいに特別得意なことは無いけど、好きなことならたくさんある。だから好き!の気持ちだけ原動力に動ける。麦くんは同じように好きの数は多くても選択肢はひとつ、イラストで成功することしか無かった。皮肉にもその唯一得意なことがあったが故に道が狭まってしまっていたのだ。本当はもっと、広い世界があったのに。けどしょうが無いんだ。                                                         

 才あるもの特有のプライドがそれを許さなかったんだ。

その考えに至った時追加で泣けた。


    ここまで書いて結局何が言いたかったかと言うと、今まで薄々と感じてきたこと、見て見ぬふりしてきたことをこの映画で突き付けられて私は今恐慌状態にあるってことだ。困った。多分私も1年と2ヶ月後、麦くんみたいに違う国の人間になってしまう。明日の会議の内容とか買い物リストの夢を見る。もう私はハリーになれない。


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