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はじめまして。

はじめまして。
ご紹介が遅くなりましたが、私はジルとボクです。
発達障害をかかえながら、短時間就労をしています。
ここでは、
https://はったつしょうがい.com/humanrelations
https://pdd.myumic.com/発達障害と仕事/障がい者就業・生活支援センターと歩んだ再就職.html
に基づき、自分のことを告白させていただきます。

あゆみ
幼少期に言葉の発達が遅く、療育相談で自閉症状群(愛知県ではその診断だけで心身障がい者医療費助成制度の対象となる)の可能性があると診断されました。
その後定期的に療育相談に通っていたそうです(私はその記憶がありません)。
 犬のことに熱心だったり、漢字がすごく好きなど、一つのことに対する集中力が高い一方(こだわりが強い)、みんなが仲良く遊んでいるとき、私だけ一人ぽつんと本を読んでいたり、相手の言葉をオウム返しをしていたそうです。オウム返しは自閉症の特徴ですが、こういう面から「自閉的傾向」と言われたのでしょう。
 小学生になっても人との関わり方が分からず、一人でいることが多かったため、いじめに合っていました。
中学、高校時代の困りごと
 中学に入ると部活動が始まりますが、この時に先輩になかなか丁寧な言葉遣いができなくてトラブルになったことがありました。意識してため口で話していた訳ではなく、どうしても先輩との距離感が取れなかったのです。ここでも人との関わり方の問題が現れてきました。
高校はカトリック系の女子高校で、大学は隣町の大学したが、クラスやサークル活動でも友人がなかなかできませんでした。この状態で就職活動を行いましたので、面接で全て落とされ、上手く行きませんでした。結局叔母の経営する会社の手伝いをする羽目になりました。
小学校、中学校、高校と、全て人間関係で躓いているだけの時代でした。発達障害が影響していたことは確かですが、この時には知る由もありませんでした。
成人してからの困りごと
成人してから登山が好きになり、地元の山岳会に入って活動したこともありましたが、登山前に装備を借りることができずに出発した結果、山中で遭難しヘリで救出されるという結果を招いたこともありました。「〇〇を貸してください」という言葉を言えなかったのです。これも人間関係が苦手なことで起こったことです。
そして就職面ですが、叔母の会社を辞めて、就職の面接を受けても採用に至らなかったり、せっかく採用されても短期間で離職や転職を繰り返してしまうという就職不調の悪循環に陥っていました。そのうえ、右足の形成障害で手術を受けた際は、4か月間も社会と離れることを余儀なくされてしまいました。
その後、日雇い派遣から少しづつ仕事を再開し、翌年にはフルタイムの仕事に就けましたが、職場で人間関係のトラブルを起こすなどまた就職不調の悪循環に陥っていました。
「自閉症スペクトラムとADHDの合併」の診断
 このような人間関係を原因とする就職不調の悪循環に陥っている中、たまたまインターネットで発達障害を知り、「一人じゃないんだ」と思えるようになり、一度専門的判定を受けてみたいと思うようになりました。
 このことを小さい時から支援を受けてきた臨床心理士に相談したところ、「就職不調の悪循環は終わりにしましょう」と発達障害者生活・就労支援に実績のある社会福祉法人を紹介していただき、そこから障害者職業センターにつながりました。
 職業センターでは職業評価、作業検査、知能検査を受けましたが、その結果をもって知的障害者に準じた援護を要するか否かの判定を医師に依頼しました。
 その結果、発達障害であるアスペルガー症候群(自閉スペクトラム)と注意欠陥・多動性障害(ADHD)の合併があり、就職や職場定着には知的障害者に準じた援護を要すると診断を受けました。
 その際、判定にあたられたお医者さんには、「何かをしたいと思った時、3つ数えてから行動してごらん」とアドバイスしていただきました。その先生にはのちに、精神障害者保健福祉手帳を取得する際、その判定にもご協力いただくなど何かとお世話になりました。
就職不調の悪循環を断ち切って
その後、障害者職業センターの職業準備講座に通いました。同じ境遇を持った仲間と話すことができ、孤立しがちな私はとても助かりました。
職業準備講座終了後、就職活動を経て、ある勤務先に非正規ながら入社しました。職場体験・トライアル雇など使える制度はフルに使わせていただき、相談に乗ってくれる担当者も付けていただいたことに本当に感謝しています。
残念ながらその就労先は経営悪化で退社せざるを得なくなりましたが、自分の特性に合わせた勤め先で9年間頑張れたことに感謝しております。

そして再求職・再就職
前職を離職する少し前、障がい者専門の労働組合の指導により、地元の就業・生活支援センター(以下、なかぽつ)に登録しました。
会社から親会社の売り上げ低下や取引先の倒産を理由とした解雇を言い渡されたのはその直後でした。
そのことをセンターに伝えたところ、相談の時間を作ってくださり、就職活動のアドバイスをしていただきました。
離職してすぐ、離職票が届きました。
その事をなかぽつに報告したら、就業支援員がハローワークでの求職カードの再発行や障害者職業センターの評価予約、失業手当の手続きに同席してくださいました。
障害者職業センターでのインテークやケース会議には就業支援員のほか、
(精神保健/社会)福祉士(以下、ソーシャルワーカー)も同席してくださいました。

就職に向けての準備
障害者職業センターと相談のうえ、年明けから職業準備支援を受講しました。
「朝起きていくところがあり、仲間のいる暮らしをする」
という就職活動上大切な体験をさせていただきました。

また、ミスの傾向・自分に合った作業環境や上手な職務遂行方法のアセスメントをすることができました。
何より、同じ悩みを持つ仲間と励ましあって就活できたことはよかったと思います。

そのさい、就業・生活支援センターの方が合同面接会の出願相談に乗っていただいたことで本当に助かりました。

職業センターにある会社から実習話が持ち込まれました。
最初、私は躊躇しましたが、いろいろな企業や仕事を見ておいで、
という就業支援員のすすめで見学を決意。
その後体験実習に進みました。

実習もカリキュラムの一環ぐらいで取り組んだら、休まずできてうれしかったです。
反省会も就業支援員に立ち会っていただきました。

その後、面接や入社手続きを経て再就職。
そのあとに、ちょっと嬉しいことがありました。

暮らしの面での手続き(やる気が伝わってきました。)
ソーシャルワーカーは並行して行った障害基礎年金の手続きでいろいろお世話になりました。

母と何度もなかぽつに出向いて相談をお願いしたこと。
雪の残る山辺の道を母の運転でソーシャルワーカーのもとに出向き、
就業・生活状況の申告書の文案を考えたこと。
結果的には「障害基礎年金2級の状態に該当しない」としてうまくいきませんでしたが、ソーシャルワーカーの真摯な態度はこちらまで伝わってきました。

再就職とその後
再就職後も月に一回は様子を見に来てくださいます。また、7月に職業センターの方による試用期間の反省会が行われた時も同席してくださいました。
本当になかぽつにはお世話になりました。
なかぽつさんは、悩みや不安に対して堂々とものが言える良き相談相手です。会社が業務量低下で休みになったとき、なかぽつのもとに伺って相談させていただくこともあります。
今後とも定期的に相談に通いたいです。よろしくお願いいたします。

このノートの目的
自分の #polca 活動の記録、生活の中で気づいたことのメモなどに利用したいと思います。

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