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DEAR FRIENDS_自叙伝1980年01_miracle後半

19840621_PERSONZ結成

バンドは1984年には活性化。6月には藤田くんが加入。ベニーちゃんが初めてのお披露目となる1984年6月21日の新宿LOFTでのライブで名前を「PERSONZ」と改めました。ここがPERSONZの結成日となります。

JILL 、本田毅、 渡邉貢、 藤田勉の4人でスタートしたPERSONZ。

だけど、ベニちゃん以外は、他のバンドも幾つか掛け持ちでやっていたので、私としては駒が揃っているこのバンドを守りたくて、他のバンドをやっている本田くん、渡邉くんをとにかくひっぱろうと躍起になってLOFTのブッキングをツメツメで入れたり、彼らにも曲を作れぇ〜〜と捲し立て、リハも頻繁に入れて、ミュージシャンに鞭打つマネージメント的な努力も大いにしていました。


そうこうしているうちに、絶対この4人ならいける!という気合いが本格的になり、私はこのバンドのことだけを考えて日々を過ごすようになります。実際、LOFTでのライブも月数回入れていたし、対バンありのライブを立て続けにこなすようになりました。その後に同じ事務所になるARBとの出会いも、この当時のこと。
もちろん、元々ARBとつながりのあるH氏からのご縁です。

KEITH(ARB)から紹介されたARBオフィス

ドラムのKEITHとは家族ぐるみの付き合いでよくご飯も食べました。
最初、KEITHと私は、ふたりともお互いの印象が悪くて距離があったのですが、交友関係を続けるうちに、私のバンドを事務所に押してくれたり、話してみるととてもハートフルなKEITHが大好きになって、兄のような存在になりました。見た目は強面だけど無茶苦茶義理人情にアツい秋田人です。

ARBオフィスとのご縁もKEITHのおかげ。
KEITHから
「PERSONZはいいよ、カッコいいし音もいい」
との強力プッシュ推薦もあって、ARBオフィスに少しずつブッキングを手伝って貰えるようになりました。
それも私が何回も事務所に通って少しづつ得られた支援でした。
KEITHに推薦されたとはいえ、当時のARBオフィスは少数精鋭。
社長を含め3人の首脳陣でまわっていて、私も側から見ていていい事務所だなぁと憧れていました。後楽園ホールでリングを回したりね、発想もパワーもあった。
でも事務所としては慎重です。いわゆる芸能プロダクションではなく、ARBのための個人オフィスという事務所でしたし、実直というか、話は全然スイスイとは進まず、事務所に所属!とか、メーカーからのデビューが決まる!というわけでもなく、地道に地道に、私がちょくちょく社長に会いに行って状況を話したりして少しずつ協力を得られるような感じでしたけどね。

だけど私が事務所で話をしてきた後は、他のメンバーには、そろそろ話が決まりそうだ!とか言って雰囲気を高めたりして、これは鞭の反対の飴です。
そんな風にマネージメントとボーカルを兼務し、フルパワーでPERSONZを突き進めようと必死でした。

別居から離婚

だけど、バンドに熱が入れば入るほど、結婚生活は反対に破綻していくことになります。

その頃には喧嘩も多発。小さなことから言い合いになり、最後はどこまでも言葉で楯突く私に彼は暴力で返すようになりました。
どちらもエネルギーが止まらない。そんな状態。
私はバンドを再度やりたいという意志が強く、彼は離れていく私をどうにかして引き止めたい。相反する想いにどちらも必死でした。
私は私で、生まれて初めて男性から暴力を振るわれたことが最大の恐怖になりました。同じような展開の悪循環が数回続いた時点で、負の連鎖を断ち切るため、私は彼との家を出て実家に戻りました。
以後は別居という状態。

その後は、別居を経て9月に私たちは協議離婚をしました。

角川映画「友よ静かに瞑れ」

離婚もして気持ちも新たな1984年の終わりに、LOFTのライブ後の飲み会で既に知り合いとなっていた崔洋一監督から、

「JILL、映画に出る気はあるか?」
的なお誘いが突然ありました。

舞い上がりましたね。
嬉しかった。
角川映画でしたから。
この頃の角川といったら映画を量産していたし大規模でメジャー。
この崔さんからのオファーは、私にとってもバンドにとってもすごいチャンスになると思いました。
もちろん、私は役者になるなんて微塵も思っていなかったし、崔監督曰く…

「JILLはさ、そのまんま、そのままでいいから出ないか、演技なんてしなくていいからJILLはそのまんまでいいから」

とおっしゃり、私を安心させてくれました。

そして、あれよあれよという間に、なにやら年明けから即沖縄ロケ❗️が決まりました。ひゃあ。
いきなりの成り行きに嬉しいけど、あたふたする私。
まだARBオフィスにも所属していない状態ですから、なんとかひとりで動かなくちゃならない。
焦る。
しかも若い。
しかも無名。
そして事務所もなく、スタッフはゼロ。

とりあえず沖縄に行く羽田までの往路は本田くんにお願いして確保。
あとは飛行機に乗ればいいんだけど、飛行機の旅は、その前になると、H氏と初めて北海道に行ったきり、まさにひとり旅での飛行機はお初のこと。
搭乗したはいいけど、焦り過ぎてシートベルトがうまく出来なくて困っていたら、お隣にいらした同じ映画に出演なさる大女優の宮下順子さんに、あらあら〜こうやるのよぉ〜と優しく教えて頂いたくらいドタバタ。
はぁ、その後、とにかく飛行機は離陸。

沖縄ロケ

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