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DEAR FRIENDS_自叙伝1980年01_miracle前半
80年代の幕開け
(注:80年代の自叙伝は途方もなく長い!とにかくたくさんの思い出があるのでかなり細分化します。今回もmiracleは1985年までを前半後半に分けての記事でございます)
私はハタチ。バンド活動&学校との3年間を経て、やっと望星高校を卒業。
成人式もこの年にちゃんとやりました。
姉からの着物がまわってきてちゃんと写真館で撮影。
だけど、顔がロックのままなの。
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明治神宮へ
ここからも80年代初期の
縁が続いていきます〜
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私の80年代スタートは、まだまだエピキュラスで黙々とバンド活動続行。
でも「Z」は解散。
その後「PLEASE」という男女混合のバンドを一時的に組み、そのまた次は「SKIPPER」という3人組のバンドを組み。その当時はバンドの音も変化し過ぎてテクノポップのような曲に適当にノーミーニングな歌詞を書いてみたり、もうなにがやりたいことなのかわからなくなっていました。
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サポート的なメンバーとなりました
バンドへの情熱もさすがにダウンし始めた頃、出会いがありました。
エピキュラスで友だちになった女子バンドのLOVE JUICEの子から、JILLのことを気にしてる人がいるんだけど一度会ってみない? というお誘いがあって….えぇぇ!と。バンド一筋に生きていた私にとってそんなお誘いは初めてのことでホント初々しく舞い上がりました。
では、お願いしますみたいな感じで会ったのがH氏。彼はプロのミュージシャンで大手のレコード会社からデビューもしているバンドのメンバー。
最初に会った時は髪はハイブリーチ、豹柄のジャケットを着て、デビッドボウイに憧れて眉は剃り落としていました。
見た目とは違い、実際話してみると、とても礼儀正しい人で音楽の話と、エピキュラスで活動していた私を見てカッコいいなぁといつも思っていたと賞賛されました。そして、即お付き合いの申し込みという流れに。
私、バンドを始める前は学校問題でほとんど引きこもり状態だったし、その後はバンドに入れ込み、気がつけば、まるで男性とお付き合いする時間なんてなかったですからね。
まわりの女の子は付き合ってる男子の話をキラキラとしてたけれど、なんでかなぁ〜くらいにバンド一直線。しかも見た目は人を寄せ付けないオーラ出てたし。
エピキュラス時代に他のバンドの男の子からつきあわない?みたいに言われたことはあるけど、相手に興味なくて交際には至らなかったので、初対面で会っての交際の申し込みに驚きました。
話してみれば同い年。バンドに対する情熱も同じだし、彼のバンドはデビューして話題性もあり、人気もあり異色な衣装とその真似をした親衛隊がいたり、バンドの中でもカリスマである部分には大いに魅了されました。
そこからはもう恋するハタチの女の子。
まわりのもの全てが目に入らなくなりました。
彼は私のバンド活動がうまくいかなくてジレンマだらけの混沌としたひとりの世界から、もっと外は広いよと見知らぬ世界へ連れ出してくれた人でした。
当時の私の救世主。
出会ってからほとんど毎日一緒にいたし、お互いが必要過ぎて半年も経たないうちに結婚しようということになり、ちょうど姉の結婚の時期だったこともあり、合わせて私も籍を入れ家から出ました。
結婚式や披露宴を何故しなかったのかは不明。
そんな形式はいらないと思っていたのでしょうか。まさに衝動。とにかく若かったということかな。
両家の両親も反対もなく了承を得ての入籍。
今になって考えるとなんで式を挙げろと両親が言わなかったか不思議。というか一度に娘が嫁に出て寂しかったよねと親目線で思います。
私は21歳という若さでした。
21歳の日々
専業主婦になり、バンドはやらない日々。
ある日、ツアーから帰って来た彼のコートの下から子猫が…
最初の頃は私も誘われてツアーもあちこち同行していましたが、途中からはバンドのメンバーの中にいると気を使うので家にいるようになりました。
ツアーの間、彼がひとりじゃ私が寂しいだろうと北海道からキジ猫を連れてきてくれたのがコートから出てきた子猫。その後も縁が続いて2匹の猫を貰って3匹の猫たちと暮らしました。
はじめての生活。
彼が見せてくれたバンドの世界は、まさに憧れの世界。この頃は、たくさんの人と彼を介して会いました。家にはいつも誰かが来ていました。
金銭的にはキツイけど他のバンドの人たちを連れて帰ってくるわけです。
私はあまり喋らなかったけどつまみを作って出して美味しいと言われて微笑んでたかな。
私を彼が他の人に紹介する時にはいつも、こう言ってくれてました。
「こいつ、バンドやってるんだ、すごくいい歌を歌うんですよ、カッコいいんです、一度聞いてください」
みたいに紹介してくれる。
私は嬉しかったけど、すでにやるバンドがなくてただただ微笑んでいるだけの存在でした。
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1年くらい経って、やっぱりバンドはやりたいなぁと思う気持ちが彼のバンドを見ていてムクムクと復活。彼の側で微笑んでいるだけの生活はだんだん退屈になりました。
私は常に彼の奥さんという立場でしかなかったから。
再度、自分が何者で、自分ひとりだと何が出来るのかを試したくなりました。
NOTHING PERSONAL初期_ギタリストとの出会い
その時、知り合ったのが本田くんです。
本田くんは大学生。当時、彼のバンドのローディーをバイトでやっていて、私が再度バンドをやりたくなっているのを彼が察して、すっごくギターが上手いよと本田くんを推薦してくれました。
それで話してみると純粋でね。ほんとギター好きですって感じ。年は2つ年下。もちろん私には礼儀正しく敬語。というか、ほとんど固まっていたというか…ギターより何より、とにかくいい子だなぁと思っていた矢先、ARBのキースとの交流の中で、今井智というスーパードラマーと知り合います。
彼はピンナップスというバンドでデビューしていたし、弾丸ブラザーズというバンドや数々のバンドのサポートをしていて、何故か私と意気投合し、じゃ、バンドやろうよ、みたいな展開になりました。
そこで本田くんも誘って、ベースは今井ちゃんの知り合いであるスタジオミュージシャンの山口さんと4人でリハを始めました。
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