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寂しいは帰るところがある人に訪れる


先日、祖父母の家に遊びに行った。

祖父母は私のことをよく心配する。
むしろ、一人暮らしを始めたおかげで家のことを気にすることもなく、たた目の前の自分の生活に向き合うだけで生き生きしているので何も問題はないので心配ご無用なわけではある。

そんな心配は少し方向が面白いので、
「ご飯食べてる?」と卵20個貰った。
一人暮らしで一週間しか消費期限がない卵を食べ切るのは少々厳しい気がする。
冷蔵庫を開ける度に少し気が滅入る。
もうこれはロッキーのようにコップに入れて生卵を飲み込むかとも考えたが、ネットで検索すると

生卵の一気飲みは危険!!ロッキー名シーン

なんて記事ばかりなのでやめる。
安全に卵かけご飯に食し今後の卵の消費スケジュール兼メニュー表作成をすることにした。
卵焼きは最後の手段としておく。

話は戻るが世代差なのか、一人で何か作業していたり動画を見るとよく「一人は寂しいからこっちへ来なさい」と祖父に言われる。
何かをみんなで共有することや一緒にいる時は絶対同じことをしなければならない、家族団欒が理想像だから。

一人暮らしを初めて生き生きしてる女、そりゃ早く自分の家に帰りたくてしょうがない。

帰りたさが伝わってるのかどうか分からないが、そんな時
「一人暮らしで寂しくないか?寂しくなるでしょ。いつでもここに来てね」
と言われた。

迷うことなく笑顔で
「寂しくはない。楽しいよ」
と答えた。
確かに寂しくなんかない。ここで聞かれている二人、祖父母の家に行こうという寂しさはない。

寂しくて来てくれるという祖父母の幻想、祈りや願いに近い気がする。

心配はさせたくないので今までもこれからも
もちろん月に一度は会いに行くつもりではある。

しかし、連日会えないパートナーと連絡を取り合っていて


おまえ、思いっきり「寂しい」とか言ってる。

ここで自分の感情に気付かされる。
そう。窓の締め方が分からない時、Amazonの荷物を宅配ボックス受け取りにして便利だと思ったのに1番上に入れられて荷物が取れなくて10分も格闘したりした時(どれも最近)一人、嫌だとなる。
これは相手が有りきの感情だともわかる。

私はもう元の家族だとかじゃなくて他に帰るべきところがあるようだ。そんな気がする。

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