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神様のお名前(呼び名)について

私が神事に関わるようになったとき、

最初に神と呼ばれる存在から命じられたのは、日本中の一之宮と呼ばれる神社を巡って、そこでの波動を感じてくることでした。

そのときは何故その様な事を命じられるのか判りませんでしたが、神社巡りが一段落して、本格的に神事が始まったときのことです。

拝殿で手を合わせていると、そこで感じられた神と呼ばれる存在の波動が、由緒書に記載されている神とは違っているように感じられることがあったのです。

それが1度や2度ならば、私の勘違いだと思い込むことが出来たと思うのですが、それが度重なると自分の感覚が正しいのか不安になってきて、あるとき、思わず神と呼ばれる存在に聞いてしまったのです。

「由緒書には○○の神を祀ると記載されていますが、私の感覚では△△の神だと思うのです。どちらが正しいのでしょうか?

すると、神と呼ばれる存在の方は「ここに詣る人々や、ここを守る者達は、我のことを○○の神と呼びたいのであろう。ならば、そう呼ばせておけば良いではないか。お前は我のことを△△の神と呼びたいのであろう。では、そう呼べば良いではないか。どちらかに決める必要性があるのか?」とおっしゃるのです。

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それ以降、もうひとつ注意していて気付いたことは、神と呼ばれる存在が「我は何々の神である」と名乗った場面に出会うことは、未だかつて一度もありません

つまり、神と呼ばれる存在にとって名前とは何でも良く、名前が分からないと困ると思っているのは人間だけということになるのでしょう。

思えば波動を感じ、それがどんな神であるのかを見極めることが大事であり、名前そのものが重要なことではないと、教えられた出来事でした。

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