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長典男の人生四百五十年の思い出話

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あの世へ行かず!?転生を繰り返す長典男の人生四百五十年で見聞き、体験、出逢い談。更新中。
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#人生四百五十年の思い出話

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その3)

そこから数ヶ月間ですが、“雨蛙”としての人生が始まりました。 が、ここでも問題が起きました。そもそも“破壊僧”とは言っても、最初は真面目な僧侶でしたので、死ぬまで基本的に1汁1菜で過ごしてきました。それなので、生きている物を食べるなんて以ての外! という概念があります。 ところが“蛙”という生き物は、基本的に“生き餌”しか食べられないのです。そうなると、ただでさえ生き物を食べるのに抵抗があるのに、生きるためには食べるしかありません。それも、“雨蛙”なので、人間であれば食べ

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その2)

私の過去生は前回にもお話した通り、新興宗教の教祖のような立ち位置で信者を集め、アヘンを使って中毒患者を作り、お金を集めるというとんでもなく悪徳な“破壊僧”でした。 もっとも、この頃の僧侶というのは人々のために尽くす、仏の教えに正面から向かい合って精進するという“真っ当な僧侶(?)”と、今で言う“反社会的組織”の方々とあまり変わらないことをし、武力を持った僧兵を飼い慣らして勢力を広げる“破壊僧”とが、それなりの割合で存在していました。そのため、情けないことに、特別悪いことをし

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その1)

人は亡くなると基本的に“あの世”に行きますが、希に“あの世”に行かずに転生する方がいます。 この輪廻転生に関しては、後に触れさせていただくこととして、題名を「人生四百五十年の思い出話」としたのは、私が“あの世”と呼ばれる世界に行かずに今生に転生しているからなのです。今回はそのことについて少しお話をさせていただこうと思います。 私のことをご存知の方は、既に知っている方も多いと思うのですが、私の前世は“雨蛙”でした。それを私が最初に知ったのは、初めて高野山に連れて行かれた時に