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長典男の人生四百五十年の思い出話

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あの世へ行かず!?転生を繰り返す長典男の人生四百五十年で見聞き、体験、出逢い談。更新中。
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#慈空庵

地底人との再会 その1”黒髪山神社”

群馬県には上毛三山と呼ばれる山があって、その1つに榛名山があります。その榛名山はカルデラ火山で、榛名湖と呼ばれるカルデラ湖を中心に稜線が続いていて、その山々の中で2番目に高い山が相馬山(黒髪山ともいう)と呼ばれる山です。この山は周囲を絶壁に囲まれた修験道の山で、古くから山岳信仰の霊山として厚く信仰されてきた山でもあり、第二次世界大戦後はGHQが現在の陸上自衛隊・相馬原駐屯地を接収して、山岳訓練と称してロッククライミングの練習をした山でもあります。 そんな霊山と呼ばれる山の山

地底人 その1 “蒸し暑い夏の日”

私が地底人に初めて会ったのは、今からおよそ35年前の朝から蒸し暑い夏の日のことでした。その日は最初に9時から市ヶ谷でお客さまと仕事の打ち合わせがあって、その後、九段下に移動して次のお客さまと11時から打ち合わせをする予定でした。ところが、最初の打ち合わせが思ったよりもスムーズに終わってしまったために、九段下のお客さまとのアポイントメントの時間まで、1時間程度の空き時間が出来てしまったのです。だからといって、九段下のお客さまのところへ1時間近くも早くお邪魔するわけにも行かず、か

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その3)

そこから数ヶ月間ですが、“雨蛙”としての人生が始まりました。 が、ここでも問題が起きました。そもそも“破壊僧”とは言っても、最初は真面目な僧侶でしたので、死ぬまで基本的に1汁1菜で過ごしてきました。それなので、生きている物を食べるなんて以ての外! という概念があります。 ところが“蛙”という生き物は、基本的に“生き餌”しか食べられないのです。そうなると、ただでさえ生き物を食べるのに抵抗があるのに、生きるためには食べるしかありません。それも、“雨蛙”なので、人間であれば食べ

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その2)

私の過去生は前回にもお話した通り、新興宗教の教祖のような立ち位置で信者を集め、アヘンを使って中毒患者を作り、お金を集めるというとんでもなく悪徳な“破壊僧”でした。 もっとも、この頃の僧侶というのは人々のために尽くす、仏の教えに正面から向かい合って精進するという“真っ当な僧侶(?)”と、今で言う“反社会的組織”の方々とあまり変わらないことをし、武力を持った僧兵を飼い慣らして勢力を広げる“破壊僧”とが、それなりの割合で存在していました。そのため、情けないことに、特別悪いことをし

題名を「人生四百五十年の思い出話」とした理由(その1)

人は亡くなると基本的に“あの世”に行きますが、希に“あの世”に行かずに転生する方がいます。 この輪廻転生に関しては、後に触れさせていただくこととして、題名を「人生四百五十年の思い出話」としたのは、私が“あの世”と呼ばれる世界に行かずに今生に転生しているからなのです。今回はそのことについて少しお話をさせていただこうと思います。 私のことをご存知の方は、既に知っている方も多いと思うのですが、私の前世は“雨蛙”でした。それを私が最初に知ったのは、初めて高野山に連れて行かれた時に

“慈空”とは

よく「慈空庵の“慈空”って名前、いったい何処から持って来たの?」「その意味は?」「いつから使っているの?」などと聞かれることが度々ありました。 実はこの“慈空”という名称は、私が僧籍に身を置いていたときの法名で、仏の世界に足を踏み入れたときに老師(師匠)から頂いた名前です。 そのとき、老師から言われたのは「お前は人としての“心”が足りていない。お前が日々精進し、この“慈空”という名の意味を理解できるようになれば、少しは人として成長できるだろう」というものでした。 そのよ