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三国時代はほぼ後漢時代

三国志三国志といいますが、われわれの知る三国志のストーリーのほとんどは漢という一つの国の中で繰り広げられたものです。

私自身が三国志に興味を持ちだしたのがコーエーの三国志シリーズからというのもあってですが、これがいまいちどうもピンと来ていなかったのです。三国志のゲームだとそれぞれの勢力ごとに色塗りされて、デフォルトの状態であれば何の断りもなく兵を出して違う色の敵国に向かえば攻撃できるわけです。

しかし考えてみると西暦220年の魏の建国まで、中国大陸は漢という国の統治下なのです。その国の中で漢臣であって身内であるはずの武将がそれはもう入りに入り乱れて争い合うのです。例えるなら現代日本で各都道府県がほぼ独立してるかのように独自の軍備・政治を実施して争い合うわけです。

征夷大将軍という武家のトップを差し置いて各大名で争いあう構図であると考えれば日本の戦国時代とかとも似ているかもしれません。(天皇という存在が日本の場合はいるので、違うところも多々ありますが。)

ともかく、当時の中国大陸はあくまで漢であったわけで、これが三国志のミソであり中心でありほぼ全てといっても過言ではないほどの情報なのです。(これがずっとピンと来ていなかった自分はずっとにわか三国志ファンだったということ。)

だから…

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じゃなくて、

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だし、

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じゃなくて、

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であって、

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これだって、

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なのです。(最後の227年に関しては、孫権がまだ皇帝に即位しておらず、魏に従属してる状態だと考えています。独自の年号を使い始めた222年から呉は独立しているとする説もあります。)

なのにも関わらず董卓が朝廷を乗っ取った辺りから色んな国が中国大陸で独立してるかのようにゲーム上なっていて、それでほとんど支障ありません。ここが三国志のある種おかしなところであり、おもしろいところであります。

何が面白いのかというと、漢という国の臣下である以上、誰も天下を取るとか、皇帝になるとか表立って言えないわけです。そんなことを言い出したら漢に対する反逆であって、袁術みたいに袋叩きに遭います。(その点、天下布武とか言い出して袋叩きを食らったのにも関わらず跳ね返した信長さんはいろんな意味ですごいね。)

だから各勢力様々ないちゃもんをつけて他勢力を攻めて自分の勢力を拡大しようとします。

このいちゃもんがおもしろい! というわけで、次回からこのいちゃもんについてできるだけ倫理学ベースに考えていきます。


P.S.

改行すると一行空いちゃうのは直せないのか…。ちょっと書くだけでボリュームが急に増えるように感じてしまう。

あと三国志14高くてまだ買ってません…。画像は三国志13ですね。くそ雑ペイントでごめんなさい…。

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